第3章

 彼が剣を掲げたのを見て、口元の嘲りがいっそう濃くなる。

「手を出すつもり?」

 六枚の翼が天を覆うように一気に広がり、半歩・至高神の威圧が嵐となって爆ぜた。

 アーサーの背後に控えていた神使たちは、圧に押し潰されるように膝をつき、血を吐く。

 アーサー自身も苦悶の息を漏らし、剣を握る手が激しく震えた。

「お、お前……その気配は……」

「出来るなら、自分の手で取りに来い」

 冷たく言い放つ。

 手を振るえば、神聖の嵐が一直線にアーサーの胸元へ叩きつけられた。

「砰!」

 神王ともあろう者が、ぼろ布袋みたいに吹き飛び、結界の外の荒野へ重々しく叩き落ちる。

 彼は泥だらけのまま起き上がり、黄金色の神血をひと吐きした。瞳には信じがたいという色と、拭いきれない恐怖。

「私の領域から失せろ」

 背を向け、結界へ戻る。

 結界は再び閉じ、彼の怒りに歪んだ顔を外側へと完全に遮断した。

 アーサーは傷を負わされ、みじめに核心神域へ引き返した。

 数日は大人しくすると思った。けれど、リリスのために――あれは完全に狂った。

 数日もしないうちに、光輝聖域の情報官が、思わず笑ってしまいそうな報せを次々と運んできた。

「セシリアお嬢様。神王陛下は命令を下し、我ら光輝聖域の外部交易路を全面封鎖されました。さらに、こちらへ供給されていた星辰鉱脈も断ち切ったとのことです」

 情報官は片膝をつく。

 私は玉座に腰掛けたまま、興味なさげに爪先を整えていた。

「好きにさせておきなさい。光輝聖域の内側だけで、千年は自給自足できる。交易路を潰して困るのは、私たちの聖薬に頼っている中小の神族の方よ」

 案の定。

 アーサーの制裁令は、私に一片の傷もつけられないどころか、天界じゅうに怨嗟を広げただけだった。

 だが、アーサーの自滅はまだ序章にすぎない。

 私の血を得られなかったせいか、リリスの『容体』は日に日に悪化しているらしい。

 アーサーは彼女の命を繋ぎ止めるため、天界各族から希少資源を狂ったように搔き集め始めた。今日はエルフ族へ赴き生命の泉を強奪、明日はドワーフ族から大地の心臓を奪い、明後日には海神の一族に定海神珠の献上を迫る。少しでも従わなければ『反逆罪』で断じ、軍を差し向けて鎮圧。

 たった一か月で、天界はすすだらけのように荒れ果てた。

 かつて雲上に君臨していた神王は、今やどの種族の目にも、色香に目を曇らせた暴君として映っている。

「セシリアお嬢様。エルフ王より、昨夜ひそかに密書が届きました」

 情報官が羊皮紙の巻物を差し出す。

「エルフ王は、もしお嬢様が旗を挙げてアーサーの統治を打倒されるなら、全族の力をもってお従いすると」

 受け取って、読まずにそのまま聖火で灰にした。

「エルフ王に伝えて。天界の主だなんて興味はない。アーサーが勝手に自滅したいなら、飽きるまでやらせればいい。私たちは戸を閉めて見物していればいいの」

 二度目の人生だ。リリスの正体がどんなものか、痛いほど分かっている。

 彼女は癒やしの聖女などではない。神魂の傷を負った被害者でもない。

 ――深淵の魔女。そのものだ。

 彼女の『傷』とは、深淵の気配が天界の法則と衝突して起こす、ただの拒絶反応にすぎない。

 アーサーが天界の至宝を与えれば与えるほど、リリスの体内で深淵の魔気は早く戻る。

 彼女が完全に回復する日こそ、アーサーの死期。

 今さら、どうして私が自分の手を汚す必要がある?

 そのとき、広間の外がざわついた。

「セシリアお嬢様! 星辰騎士団団長ユリアン、謁見を願っております!」

 ユリアン――。

 前世、私がアーサーに囚われ、弄ばれ、壊されていたとき。天界の誰もが私を避け、見ないふりをした。

 ただ一人、ユリアンだけが違った。

 寡黙で、星辰の戦神と呼ばれた男は、単身で神罰柱へ斬り込み、私を救おうとした。

 だが、アーサーと十数名の神将に囲まれ、彼は私の目の前で討ち死にした。

 最期にこちらを見たその眼差しには、痛みと、抑えきれない想いが宿っていた。

 その瞬間になって、私はようやく知ったのだ。この男がずっと、黙って私を愛していたことを。

「通して」

 ほどなくして、銀の星辰鎧を纏った長身の男が大殿へ入ってきた。彫りの深い顔立ち。蒼い瞳の奥には、まるで夜空そのものが閉じ込められている。

「セシリア」

 ユリアンは私の前で軽く身を屈める。

「ユリアン。核心神域で神王の護衛でもしているべきでしょう。どうしてわざわざ私のところへ?」眉を上げた。

 ユリアンは私の目をまっすぐ見返した。

「俺は、あいつを守りに来たんじゃない。君を守りに来た」

 直球すぎて、息が詰まる。

「アーサーは狂っている。リリスの命を繋ぐために、禁忌の法陣を起動し、天界の地脈の気を吸い上げるつもりだ。法陣が動けば、天界全土の霊気は枯れる。止めたが聞かなかった。それどころか、俺の兵権を削いだ」

 ユリアンは静かに言う。

「セシリア、天界は変わる。いや、変わらざるを得ない。だから伝えに来た。何が起きようと、俺は君の側に立つ」

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