第2章
彼女はわざと「一緒にT大へ」のところだけ妙に強調してみせ、瞳の奥に得意げな光を走らせた。
私は手を止めて立ち上がり、冷えた視線でその二人をなぞる。
「沙苗。いまにも泣き出しそうな顔、しまって。ここ、あんたに賞をくれる観客はいないから」
声は落ち着いているのに、言葉だけが刃みたいに刺さった。
沙苗の顔から血の気が引き、剣介の胸元へと小さく身を縮める。
「舞子! なんでそんな意地悪な言い方するんだよ?」
尻尾を踏まれた猫みたいに剣介が跳ね、沙苗を庇うように背へ回した。
「沙苗は親切で来てくれたんだぞ? その態度は何だよ。おまえ、昔はこんなんじゃなかった。いつからそんな性格の悪い女になったんだ」
「性格が悪い?」
その言葉を口の中で転がし、私はふっと笑った。
「剣介。ほかの女を連れて勝手に私の部屋へ入ってきて、お茶でも淹れてもらえると思った?」
「俺たちはただ……」
言い淀んだあと、剣介は苦し紛れに言い張る。
「志望校の最終確認、ちゃんとできてるか見に来ただけだ。おまえ、うっかり間違えて書きそうだから」
「余計なお世話」
机へ歩き、カッターナイフを取る。カチ、と刃を押し出す音。
剣介の顔色が変わった。
「……おい、なんで刃物なんか」
「段ボールを開けるだけ。何ビビってるの? 後ろ暗いことでもある?」
薄く笑って見てやると、剣介は居心地悪そうに息を吸い、例の『上から目線の施し』の顔を作り直した。
「舞子。全額奨学金の件でまだ怒ってるのは分かる。でも言っただろ。沙苗のほうがあれは必要なんだよ。おまえはT大に行ったって、私がいればちゃんと面倒見てやれる。来月、一緒に学校へ手続きしに行こう。荷物だって持ってやる」
その自信満々の面を見ているだけで、胃の奥がせり上がってきた。
「剣介。そいつ連れて、私の部屋から出ていけ」
「舞子! 調子に乗るなよ!」
剣介はついにキレて、ずかずかと詰め寄り、腕を掴もうと手を伸ばす。
私は身をひねって避け、氷みたいな目で言った。
「出ていけ」
剣介の手が宙で固まり、信じられないという顔で私を見た。十何年も、私は一度だって、他人を見るように――いや、ゴミを見るみたいな目でこいつを見たことはなかったはずなのに。
「舞子……今日、何か変な薬でも飲んだのか?」
歯を食いしばり、顔は真っ青。
「いい。そんなに騒ぎたいなら騒げよ。私が宥めてやらなきゃ、おまえがいつまで持つか見ものだ」
そう吐き捨て、沙苗の手を引いて出ていこうとする。
「待って」
私が呼び止めると、剣介は足を止めて振り返り、勝ち誇ったように口角を吊り上げた。
「なんだ? やっと後悔したか? 言っとくけどな、今日おまえが私と沙苗に謝らない限り、終わらねえから」
その勘違いは放っておき、私は机の引き出しから小ぶりで洒落た木箱を取り出した。ここ三年、剣介が私に寄こした『プレゼント』の全部。
蓋を開け、なかのものを床へざらりとぶちまける。
どこにでもあるデザインのネックレスが数本。安っぽいオルゴールがいくつか。それから、歪に編まれた赤い紐のミサンガ。
「それ、持って帰って」
床のガラクタを指して言う。声は平坦で、一切揺れない。
剣介が固まった。散らばるそれらを見下ろし、顔色が青くなったり白くなったりする。
「舞子……どういうつもりだよ。私がちゃんと選んで、おまえにやったものだぞ。床に投げ捨てるなんて……」
「ちゃんと選んだ?」
私は冷たく笑い、赤い紐のミサンガを拾い上げた。
「剣介。これくれたとき、神社で祈って特別に授かった、世界で一本だけだって言ったよね?」
剣介の目が泳ぐ。すぐに虚勢で胸を張った。
「……そうだよ。だから何だ」
私は首だけ動かして沙苗の手首を射抜く。今日は半袖で、そこには――まったく同じ赤い紐が巻かれていた。私のより作りがよく、しかも小さな金色の珠までついている。
「沙苗。あんたのそれも、神社で授かったの?」
笑っているのに、声は刃のままだった。
沙苗はびくっとして手を背中へ隠し、慌ててしどろもどろになる。
「こ、これは……自分で買ったの。剣介とは関係ないから」
「関係ない?」
私は容赦なく続ける。
「祝福だの祈願だのって言い訳に金の珠は付かないよ。それ、安いアクセ屋の三本セットで売ってるやつでしょ。剣介。千円で三本みたいな品を女二人に配って、泣ける話まで付けてくるとか。脚本家になったほうが才能あるんじゃない?」
剣介の顔が一気に真っ赤になった。人前で平手打ちでも食らったみたいに。
「舞子、適当なこと言うな! あれは……」
言い返そうとして、まともな理屈が何ひとつ出てこない。
「私は『唯一』をもらったと思ってた。でも実際は、誰にでも同じように卸されてたってだけ」
静かに剣介を見た。胸の中は波ひとつ立たない。ただ、底の抜けた嫌悪だけが沈んでいる。
「だったら、こんなの残しておく意味もないよね」
そう言って私は、散らばった品を目の前で黒いゴミ袋にかき集めていった。
「舞子! おまえ、ほんと話にならねえ!」
剣介は逆上し、突進してきてゴミ袋を蹴り飛ばした。ばさっと中身が散る。
「おまえ、自分が何様だと思ってんだ。金があるだけだろ? それ以外に何がある! 沙苗のほうが素直で優しい。おまえなんか、沙苗の髪の毛一本にも敵わねえ!」
沙苗が慌てて腕にすがる。
「剣介、やめて……舞子は、あなたのことが大事だから。わざとじゃ……」
「甘やかされてんだよ!」
剣介が私の鼻先に指を突きつけて怒鳴る。
その指が顔に触れそうな距離。堪忍袋の緒が、ぷつりと切れた。
迷いは一瞬もない。私は勢いよく手を上げ――
「ぱんっ!」
乾いた音が部屋に弾けた。
世界が、しんと止まる。
剣介は顔を横に弾かれ、左頬に五本の指の跡がみるみる浮かび上がった。頬を押さえたまま目を見開き、化け物でも見るみたいに私を見ていた。
