第3章

 米津家の「養女」である私なら、本来、ブライズメイドにうってつけ——そういう立場のはずだった。

 その日の午後。涼夏が薄桃色のチュールのドレスを抱えて私の部屋へやって来た。私の前で胸に当て、くるりと身体をひねって見せる。隠しきれない誇示が、目の奥でちらちらと光っていた。

「彩未、これどう? ブライズメイドの衣装。あなたのために、デザイナーにわざわざ採寸させて作ってもらったの」

「いいんじゃない。ありがとう」

 目も向けず、温度のない返事だけを置く。

「気に入ったならよかった」

 涼夏は花が綻ぶみたいに笑い、声を弾ませた。

「弘武がね、結婚したら東側の小さな別荘、あなたに名義移すって。彩未ももういい歳だし、そろそろ出て独り立ちしたほうがいいよね」

 胸の内で、冷たく笑う。要するに一刻も早く私を追い出したいのだ。米津家の女主人の座を、誰にも邪魔させず独占するために。

「うん、ありがとう。おじさんと涼夏に感謝しなきゃね」

 従順にうなずくと、涼夏はそれがよほど気持ちよかったらしい。勝者のように胸を張り、昂然と部屋を出ていった。

 扉が閉まった瞬間、私は踵を返して机へ向かう。

 天板には、これまで弘武にもらった贈り物が並んでいた。前の私はそれらを宝物みたいに扱い、毎日磨いて手入れしていた。けれど、出ていく前に整理して……時間を見て全部捨てるのがいい。

 そのとき、部屋の扉が唐突に押し開けられた。

 立っていたのは弘武。顔色は暗く、声にも棘がある。

「部下から報告が来た。お前、俺のカードでパリ行きのチケット買ったそうだな。どういうつもりだ?」

 心臓がひゅっと縮む。こんなタイミングでも監視しているなんて。彼はいま、式の準備にかかりきりでいるはずじゃないの?

「俺が結婚するから、刺激受けて国外にでも逃げて気晴らし? それとも……またそうやって俺の気を引きたいのか?」

 真相までは掴んでいない。旅行だと思い込んでいるだけだとわかり、私は内心で息をついた。

 黙っている私を見て、弘武は大股で部屋に入ってくる。

「彩未、いい加減にしろ。海外に逃げたところで無駄だ。俺と涼夏から隠れれば何とかなると思ってるのか? 結婚したら、顔を合わせないで済むわけないだろ。お前、一生逃げ切れるとでも?」

 私は落ち着いたまま答えた。

「でも、さっき涼夏が言ってました。東側の小別荘に住めって」

 弘武が眉をひそめる。

「涼夏が、そう言ったのか?」

「はい」

 数秒の沈黙のあと、彼はたいしたことでもないように言った。

「……なら、いい。住めばいいだろ」

「だから心配いりません」

 私は淡々と続ける。

「私はこれから、年長者としての情だけであなたに接します。顔を合わせないといけない状況には、なりませんから」

 弘武は嘲るように鼻で笑い、視線を机の上へ落とした。並んだ贈り物に。

「年上への情だけ? じゃあ、なんでこんなもの引っ張り出してる。未練があるからだろ。お前がどれだけ大事に保管してたか、俺が知らないと思うなよ」

 言葉が、刃のように突き刺さる。

「放せないんだよ、彩未。お前は一生、俺を放せない」

 自信満々のその顔を見て、私はふっと笑った。

 次の瞬間、身体を翻し、机の脇のゴミ箱を手に取る。贈り物をひとつ残らず掴み上げ、そのまま全部、どさどさと放り込んだ。

「今、捨てようと思ってただけです」

 声は自分でも驚くほど静かだった。

「こんなの、もっと前に捨てるべきでした」

 弘武が私を指差し、胸が大きく上下する。

「お前……!」

 しばらく言葉にならず、やっと絞り出したのは乾いた笑いだった。

「ふん。こっそり拾い戻すなよ」

 私は答えない。

 弘武はその場に立ち尽くし、長い間を置いてから口を開いた。

「……まあ、どっちにしろ。お前が国外に出るのは都合がいい」

 スマホを取り出し、指先で数回なぞる。

「本当はブライズメイドにして、式で余計な真似をさせないようにするつもりだった。だが海外に行くなら好都合だ。金、振り込んでおいた。少し遊んでこい。式が終わったら戻ってくればいい」

 そこから先は、妙に細かい小言が続いた。

「パリなら気をつけろ。あっちはスリが多い。夜道を一人で歩くな。パスポートと財布は分けて持て。パスポートを失くしたら、すぐ大使館に連絡しろ。あと、タクシーは遠回りする運転手がいるから、乗る前に地図でルートを確認して——」

 その生活感のある忠告を聞きながら、私は一瞬だけ、意識が遠のいた。

 ずっと昔——彼がこんなふうに、優しく私を気にかけてくれていた頃に、引き戻される。

 反射的に口が滑った。

「弘武……」

 弘武が眉を寄せて私を見る。

「は? なんだ」

 その目を見た瞬間、私ははっと我に返る。

「なんでもないです」

「ならいい」

 弘武は訝しげに私を一瞥し、立ち上がって出ていこうとする。

「海外でちゃんと楽しめ。……俺のこと、あんまり考えるなよ」

 その背中に、私は呼びかけた。

「おじさん」

 弘武が足を止め、振り返る。

 私の青春をまるごと隣で見てきた男。かつては掌の上で大切に扱い、そして後になって私を泥の底へ突き落とした男。

 私はまっすぐに告げた。

「これからの人生が、どうか平穏で幸せでありますように。涼夏との気持ちがうまくいって、末永く寄り添えますように」

 弘武は一瞬、言葉を失った。やがて小さく首を振る。

「……意味わかんねえ」

 彼は踵を返し、扉を乱暴に閉めて去っていった。

 私は部屋の中で立ち尽くし、ゴミ箱の中に捨てられた贈り物を見下ろす。

 今度こそ、本当に——さよならだ。

 式当日。まだ誰もが眠りの中にいる時間を見計らって、私は音を立てないようにスーツケースを持ち、裏口から屋敷を抜け出した。門の外でタクシーを止め、そのまま空港へ向かう。

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