彼の庇護下の私、彼の玩具、そして彼の後悔

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渡り雨 · 完結 · 16.0k 文字

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紹介

闇の地下社会で、米津弘武は名を聞くだけで震え上がる極道の組長だった。両親を亡くした私にとって、唯一の拠り所でもある。

掌の上で大事にされてきた――十八のあの年、私はなにもかも投げ出して彼に想いを告げるまでは。

あの日を境に、彼の目にあった慈しみは嫌悪へ変わった。か弱い淡島涼夏を屋敷へ連れ帰り、私は泥の底へ踏みつけられた。

前の人生。弘武が罠にはまり、強い媚薬を盛られた夜――私は彼を助けるため、自分を差し出した。それなのに彼は私を「恥知らずの淫乱女」だと断じた。けれど、思いがけない妊娠が発覚すると、彼は私を妻に選んだ。

その後、結婚式の日。涼夏は悲しさのあまり敵対組織の縄張りへ飛び込み、殺された。訃報を聞いても、弘武はなにも言わない。淡々と式を最後までやり切った。

私が出産間近になった頃、彼は私を家に閉じ込め、冷めた声で言った。

「おまえさえいなければ、俺が結婚したのは彼女だった。彼女も悲しくなって敵のシマなんかに行かず、死なずに済んだ」

罪はすべて私に押しつけられた。そして私は難産で死んだ。

――目を開けると、運命を変えたあの夜に戻っていた。

チャプター 1

 闇の地下社会で、米津弘武は名を聞くだけで震え上がる極道の組長だった。両親を亡くした私にとって、唯一の拠り所でもある。

 掌の上で大事にされてきた――十八のあの年、私はなにもかも投げ出して彼に想いを告げるまでは。

 あの日を境に、彼の目にあった慈しみは嫌悪へ変わった。か弱い淡島涼夏を屋敷へ連れ帰り、私は泥の底へ踏みつけられた。

 前の人生。弘武が罠にはまり、強い媚薬を盛られた夜――私は彼を助けるため、自分を差し出した。それなのに彼は私を「恥知らずの淫乱女」だと断じた。けれど、思いがけない妊娠が発覚すると、彼は私を妻に選んだ。

 その後、結婚式の日。涼夏は悲しさのあまり敵対組織の縄張りへ飛び込み、殺された。訃報を聞いても、弘武はなにも言わない。淡々と式を最後までやり切った。

 私が出産間近になった頃、彼は私を家に閉じ込め、冷めた声で言った。

「おまえさえいなければ、俺が結婚したのは彼女だった。彼女も悲しくなって敵のシマなんかに行かず、死なずに済んだ」

 罪はすべて私に押しつけられた。そして私は難産で死んだ。

 ――目を開けると、運命を変えたあの夜に戻っていた。


「出ていけ……全員、出ていけ!」

 弘武のしゃがれた怒号が、分厚いオークの扉を突き抜けて廊下へ響く。外に立つ護衛たちは凍りつき、誰ひとり近づこうとしない。

 私ははっと目を見開いた。額に冷や汗がびっしり。ここは前の人生の寝室じゃない。弘武の憎しみに満ちた視線もない。

 私は屋敷の二階廊下に立っていて、手には醒ましのスープが載った盆。

 重生した。弘武が薬を盛られた、この日に。

 前の人生では、私は扉をこじ開けて飛び込み、自分の清白を代償に「解毒剤」になった。

 でも、今度は同じ過ちを繰り返さない。

 私は盆を女中に雑に渡し、スマホを取り出して涼夏の番号を開いた。

 すぐに、甘ったるく作った声が耳に入る。

「彩未? こんな遅くにどうしたの?」

「弘武が盛られた。城南の半山の屋敷、二階の主寝室。米津の奥さんになりたいなら、今すぐ来て」

 電話の向こうが明らかに固まった気配がした。涼夏は、私が弘武を好きだとずっと知っている。普段から私の前で権利を主張し、陰で嫌がらせもしてきた。私が自分から電話するなんて、想像もしなかったのだろう。

「……な、なに言って……?」

「十分。十分以内に来られないなら、別の女を入れる。どうするか、自分で決めて」

 そう言って、私は躊躇なく通話を切った。そして護衛へ向き直る。

「扉を見張って。淡島涼夏以外、誰も入れないで」

 護衛たちは顔を見合わせた。

 私は取り合わず、廊下の奥――自分の部屋へ真っすぐ歩いた。

 数分後。階下から急ブレーキの音。続いて、廊下を叩くハイヒールの足音が近づいてくる。

「弘武! 弘武、中にいるの?」

 涼夏の声には焦りと、隠し切れない高揚が混じっていた。

 護衛は彼女を止めない。主寝室の扉が乱暴に開き、すぐに勢いよく閉まる。

 ほどなく、耳が熱くなるような音が、壁越しに途切れ途切れ漏れてきた。夜の大半をそのまま続いたのに、私は驚くほど安らかに眠れた。


 翌朝。

 私は朝食をとりに階下へ降りた。

 主座に弘武がいる。シャツの襟元は開き、肌にはいくつもの引っかき傷。顔色は険しいのに、眉間にはどこか満ち足りた色がある。

 隣に座るのは、頬を染めておずおずとした涼夏。男物のシャツを羽織り、首筋に残る赤い痕が、昨夜なにがあったかを世界に言いふらしているみたいだった。

 私を見るなり、涼夏が勝ち誇った笑みを浮かべる。

「彩未、ほんとありがとう。あなたが電話してくれなかったら、弘武が……」

「どういたしまして。手間でもなかったわ」

 私は顔も上げず、朝食に意識を落とした。

 その冷淡さに、涼夏の表情が一瞬ひきつる。彼女は弘武へ向き直り、被害者ぶった声を出した。

「弘武……彩未、私のことあんまり歓迎してないのかな。小さい頃から一緒に育ったんだもんね。私みたいなよそ者が急に入ってきたら、嫌だよね……」

 弘武が眉をひそめ、私を見る。

「その態度はなんだ?」

 そして続けて、命令のように言い放った。

「涼夏と関係を持った以上、俺は涼夏を娶る。これからは米津の女主人だ。礼儀をわきまえろ。身分を盾にいじめるな」

 私は顔を上げ、二人に微笑む。

「ご安心ください、弘武おじさん。今までは私が子どもで、しつこくまとわりついて困らせました。でも、もうしません」

「心から、おめでとうございます」

 弘武の動きが止まった。訝しげな目が私を刺す。

 私が彼のもとへ来てからずっと、私は「弘武」とだけ呼び続けてきた。「おじさん」なんて一度も言ったことがない。冷たくされるようになってからも、私は彼のそばに張りつき、名前を呼び捨てる癖が抜けなかった。

 それなのに――

「……分かった。そんなに物分かりがいいなら、涼夏はこの屋敷に住む。おまえが身の回りの世話をしろ」

 涼夏が白々しく首を振る。

「弘武、そんな……彩未はまだ子どもだし……」

「決まりだ」

 弘武は一切の異論を許さない口調で告げた。

 私は立ち上がり、二人へ丁寧に小さく会釈する。

「承知しました、おじさん。ほかにご用がなければ、部屋へ戻ります」

 そう言って踵を返し、階段へ向かった。

 背中に突き刺さる、喰い殺しそうな弘武の視線を無視して。

 三十分ほど経った頃。私の部屋の扉が乱暴に押し開けられた。

 立っていたのは弘武。顔色は暗く、目は鋭い。

 私は反射的に一歩下がる。

 けれど彼は大股で部屋に踏み込み、その距離を一気に詰めてきた。

「なんで俺を、おじさんなんて呼ぶ。今まで一度も呼ばなかっただろ。……俺に怒ってるのか?」

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