第3章
京介の家の前に立ち、七年間ずっと持ち続けてきた合鍵を強く握りしめた。
この家のことは、何もかも知り尽くしている。玄関ホールからリビング、そして数え切れないほど磨き上げた階段の手すりに至るまで。至る所に私たちの思い出が――あるいは、私が思い出だと信じていたものが、刻み込まれていた。
時刻は午後十一時。車庫に京介の車の姿はなかった。
鍵穴に差し込んだキーが、カチャリと聞き慣れた音を立てて回る。私は音もなく屋内へと滑り込んだ。リビングルームは漆黒の闇に包まれていたが、床から天井まで続く大きな窓から月明かりが差し込み、床の上にまだらな影を落としていた。
私は迷わず二階の書斎へと向かった。もし京介が何かを企んでいるのなら、その証拠は必ずそこにあるはずだ。彼はいつも重要な書類を、あのマホガニーの机の引き出しにしまっていた。暗証番号は私の誕生日――少なくとも、以前はそうだった。
書斎のドアは半開きになっていた。私はそれを押し開け、スマートフォンのライトを頼りにデスクランプのスイッチを探り当てた。温かな光が部屋中に溢れ出し、私の目は即座に机の上に散乱している書類に釘付けになった。
書類は片付けられてなどいなかった。まるで持ち主がほんの少し席を外しただけであるかのように、無造作に広げられている。一歩近づいて内容を確認した瞬間、私の心臓は凍りついた。
『エレガンス・ウェディング』――フォルダーの表紙には、そうロゴが印刷されていた。
震える手でフォルダーを開く。中に入っていたのは、詳細な結婚式の計画書だった。会場の装花から料理のメニュー選び、ゲストの席次表、さらには新婚旅行の日程に至るまで。すべての細部が完璧に計画されていた。
新郎は、松岡京介。
新婦は、渡辺綾香。
そして挙式日、二〇二四年六月十五日。今から三ヶ月後だ。
三ヶ月後。脳裏でその日付を繰り返す。たった三ヶ月後には、二人は結婚式を挙げるのだ。それなのに私は、自分たちの関係のどこがいけなかったのかと、馬鹿みたいに悩み続けていたなんて。
ページをめくり続けると、さらに衝撃的な事実が目に飛び込んできた。招待客リストの中に、私の会社の最大のライバルである東雲グループの社長の名前があったのだ。他にも見知った実業家の名前がいくつも並んでいる。そしてフォルダーの最後には、業務提携契約書の草案が挟まれていた。
その内容に、全身の血が引いていくのがわかった。綾香の会社が東雲グループと提携し、私のデザイン事務所『スタジオ・ハルカ』の主要顧客とプロジェクトを買収しようとしているのだ。
すべて、最初から計画されていたことだったんだ。
これは単なる男女の裏切りではない。周到に仕組まれたビジネスの罠だ。彼らは私の心だけでなく、私のキャリアまでも奪おうとしていた。
「それは、見るべきじゃなかったわね」
背後から聞き覚えのある声がした。振り返ると、入り口に恵莉さんが立っていた。絹の羽織を着て、まったく表情を読ませない顔をしている。
松岡京介の母、松岡恵莉。過去三年間、私が「お義母さん」と呼んできた女性。秘伝の肉じゃがのレシピを教えてくれた人。仕事のストレスで泣き崩れた私を抱きしめてくれた人。その彼女が今、まるで赤の他人のようにそこに立っている。
「恵莉さん」私の声は妙に落ち着いていた。「これは一体、どういうことですか?」
彼女は私の視線を避けながら部屋に入ってきた。「遥、あなたはいい子よ。でもね、京介にいい子は必要ないの」
「七年です、恵莉さん。七年もの間、私は恵莉さんを家族だと思っていた」私はまだ結婚計画書を握りしめていた。「このこと、全部知っていたんですね? 最初から」
恵莉さんはソファの端に腰を下ろし、膝の上で上品に両手を重ねた。「京介の母親として、あの子にとって何が最善かを考えなければならなかったの。あの子は、女性の愛し方や、関係の育み方を学ぶ必要があったわ。あなたがそれを助けてくれたのよ、遥。忍耐強さや思いやり、それに、甘い言葉の囁き方までね」
「じゃあ、私は何だったんですか? 練習台?」
声が震え始めた――恐怖からではない、怒りからだ。
「私との七年間は、あなたたちにとってただの訓練期間だったと言うんですか?」
「あなたはわかっていないのよ」恵莉さんは立ち上がり、私に歩み寄ろうとしたが、私は後ずさりした。「京介の結婚は、衝動的に決めていいものじゃないの。あの子には対等な妻、キャリアを支え合える女性が必要なのよ。綾香は、その点――」
「その点、何だと言うんです?」私は言葉を遮った。「お金? 地位? それとも私より美しくて、優秀だとでも?」
「あの子は仕組みを理解しているの」恵莉は静かに言った。「ビジネスとしての結婚、その仕組みをね。遥、あなたは純粋すぎるわ。愛さえあればいいと思っている」
その時、階下から玄関の鍵が開く音がし、続いて聞き慣れた笑い声が響いてきた。京介が帰ってきたのだ。それも、一人ではない。
恵莉さんの顔から血の気が引いた。「遥、今ならまだ間に合うわ。裏口から出て。私が何とか――」
「いいえ」私は結婚計画書を机に戻した。「彼自身の口から聞きたいんです」
階段を上がる足音と共に、綾香の鈴を転がすような笑い声が近づいてくる。「……明日はウェディングドレスの試着に行きましょうよ、あのお店のがいいってデザイナーが――」
書斎から漏れる明かりに気づいたのか、彼女の声が急に途切れた。
入り口に京介が姿を現した。彼はまず恵莉さんを見、次に私を、そして最後に机の上に散乱した書類を見た。その表情は困惑から理解へ、そしてかつて見たこともないような冷徹なものへと変わっていった。
「ようやく真実に気づいたか」彼は部屋に入ってきた。その口調は恐ろしいほど落ち着いていた。「もっと早くバレると思っていたんだがな」
彼の後ろから綾香が続いた。私を見つけると、その顔に笑みが広がっていく。
「あら、石川さん」甘く、歌うような声。「まさかここでお会いできるなんて」
私は彼女を見つめた。この非の打ち所のない女性を。確かに彼女は美しかった。まるで人形のように。
「私の存在を、最初から知っていたのね?」私は彼女の目を真っ直ぐに見据えた。
「もちろん」彼女は軽く笑った。「京介と私に秘密はないもの。……正直、あなたには感謝しているのよ」
「感謝?」
「京介さんをここまで立派に育ててくれて」彼女は京介の横に移動し、慣れた様子で腕を絡ませた。「もう彼は私のものよ。女性の扱い方も、ロマンチックな演出も心得た完璧な恋人。そのテクニックは全部――あなたで練習した成果ですものね」
吐き気がした。「やっぱり私は、ただの練習台だったのね」
京介がようやく口を開いた。そこには罪悪感も動揺も一切なかった。「あの約束が何だと思っていたんだ? ビジネスマンの言葉を真に受けたのか? 遥、お前は賢い女だと思っていたが――恋愛に関しては随分と愚かだな」
「七年よ、京介。七年もの間」私の声が震えた。「あの誕生日のプレゼントも、旅行も、愛してるって言ってくれたあの夜も――」
「全部本気だったさ」彼は私の言葉を遮った。「その瞬間は心地よかった。インターンと一緒に仕事をするのが楽しいのと同じだ。だが、インターンと結婚する人はいないだろう?」
私の掌が、彼の顔を強く打ち抜いた。
乾いた音が部屋中に響き渡り、京介の顔がわずかに横を向く。彼の頬に、くっきりと赤い手形が浮かび上がった。
彼はゆっくりと顔を戻し、私を見た。その目に怒りはなく、ただ軽蔑だけが宿っていた。「……醜いな、遥」
横で綾香が見下すように笑った。「あら、野蛮ね」
私は三人の顔を順に見渡した。七年間愛した男、京介。彼の妻となる完璧な女、綾香。そして京介の母であり、私が自分の母親のように慕っていた恵莉さん。彼らはそこに立ち、まるで何も知らないピエロを見るような目で私を見ていた。
「帰ります」私は言った。驚くほど冷静な声だった。
「遥――」恵莉が何か言おうとしたが、私はすでにドアへと背を向けていた。
「ああ、そうだ」背後から京介の声がした。「鍵は置いていけ」
私はポケットから鍵を取り出し、ドアの横にある小さなテーブルの上に置いた。七年間、肌身離さず持っていたその鍵が、今ではひどく異質なものに見えた。
私は階段を降りた。一歩踏み出すたびに、一つの時代に別れを告げるように。
玄関のドアに手をかけたその時、京介が綾香にこう言うのが聞こえた。
「計画通りに進めろ。彼女の会社は、すぐに君のものになる」
