第1章

 床に開いたままの虚無袋を見て、ミーレンは戸口で足を止めた。

「本気なのね。オークとの結婚」

「転移門は予約済みだ」私は手を止めずに言った。

「あと六日」

 ミーレンはゆっくり部屋に入ってきた。

「全部捨てることになる。ここでのものも、置いていく……」言い淀んでから続ける。

「……いとこも」

 私は顔を上げた。

「いとこ?」

「ヴェイラーよ」

「彼のこと、何も覚えてない」私は衣装棚を漁る手を再開した。

「何を置いていくっていうの? 私、彼を愛してたの?」

 ミーレンはすぐには答えなかった。代わりに衣装棚の奥へ手を伸ばし、薄い台帳を引き出した。使い込まれて柔らかくなった表紙の、細身の帳面。それを私の手に押しつける。

「あなたは五年間、彼を追いかけた。会うたびに記録して、試したことも全部。全部ここにある」

 私はページをめくった。几帳面で日付の入った、自分の筆跡が延々と続く。そのほとんどの欄に、ある名前が走っていた。ライセス。初期の記録にもあり、年を追うごとに増え、終盤にはほぼ毎ページに現れる。

 胸の奥が、ほんの一瞬だけ押されたように痛んだ。悲しみ、というほどでもない。知らない誰かのことを読まされているような、奇妙な圧迫感だ。

「ライセスって、誰?」私は尋ねた。

 ミーレンはゆっくり息を吐いた。

「彼が本当に欲しい相手よ。ずっとそうだった。あなたは、最初から『彼女』じゃなかった」

 私は絆の台帳を閉じ、虚無袋へ放り込んだ。

「五年もいて、一度も私を選ばなかった」袋の口を縛る。

「何を置いていくっていうの。捨てるものなんて、見当たらない」

「オークとの結婚だと?」背後から声がした。冷たく、刃のように。

 振り返る。

 ヴェイラーが、戸枠にもたれかかっていた。床の虚無袋を見て、それから私を見た。

「またくだらない真似か?」

 ミーレンが一歩前に出る。

「彼女は――」

「お前に聞いてない」彼はミーレンを見もしない。視線は私に張り付いたままだ。

「テッサ。俺はこの婚姻を受け入れた。お前もそれにふさわしく振る舞え。それと、ライセスについて何を吹き込んでいるにせよ――やめろ」

「ライセスのことなんて、何も言ってない」

「血月の宴。今夜だ。来い」

「どうして?」

「ライセスが来る」彼はいつも通りの言い方で言った――落ち着き払っていて、すでに決定事項であるかのように。

「彼女には正式な立場がない。俺が彼女を連れて行って、お前がいなければ、宮廷が騒ぐ。お前がいれば静まる」一拍置いて、「一晩だけだ」

 私は彼を見た。

 彼は今、口に出して、はっきりと私に頼んでいる。自分が本当に望む女の隠れ蓑になれ、と。天気予報みたいに淡々と。

「嫌よ」私は言った。

「行かない」

 彼は部屋を横切ってきて、私の手首を掴んだ。

 待ち伏せで負った背中の縫合――まだ抜糸も済んでいない、三週間前の傷――その糸が一斉に引きつれた。肩口の布の内側に、温かいものがじわりと広がっていく。

「ヴェイラー」

 廊下から、ライセスの声がした。柔らかく、慎重な声。

 彼は止まった。手を離した。

 脚が折れそうになるのを堪えて、私は戸枠を掴んだ。背中が灼ける。彼はもう扉へ向かっている。

 ライセスが部屋に入ってきた。青白い顔、飾り気のない服装。彼女の目はヴェイラーから私へ、そしてまたヴェイラーへと揺れた。彼女は部屋を進む。その歩き方は、明らかにいつもそうしてきたものだった――ここが自分の居場所だと言わんばかりに。

「お取り込み中だとは思わなかったわ」彼女は言った。

「また出直す」

 ヴェイラーは彼女のところへ行った。

「大丈夫か? 休んでいないと」

「ただ、会いたかったの」彼女は少しだけ彼にもたれ、腕を探るようにして手を添えた。

 ミーレンが私の横にしゃがみ込み、両腕の下に手を入れて身体を起こしてくれた。それから、ヴェイラーの背中に向けて顔を上げる。

「縫い目が裂けたわ」声はやけに落ち着いていた。

「血が滲んでる。あなた、彼女を部屋の向こうまで引っ張って――」

「問題ない」

「問題ある。三週間もかけて治してきたのに、掴んで――」

「ミーレン」たった一言。

 ライセスの手がヴェイラーの腕を強く掴んだ。声が低くなる。

「私が来ると、いつも余計に悪くする。テッサは私のせいで、ずっと我慢してきたの」彼の肩越しに私を見る。

「私に腹を立てても、当然だわ」

 私は一言も発していなかった。

 ヴェイラーが振り向いた。

 平手打ちは速かった。頭が横へ跳ね、耳の奥が高く空洞に鳴り続ける。私は戸枠を掴み、倒れずに立っていた。

 彼は手を振って痛みを払うようにした。「もっと賢いと思っていた」厄介事を処理するような目で私を見る。

「もうミーレンに代わりに喋らせるな。次はこんなに我慢しない」

 彼はライセスの手を取った。

「血月の宴。大広間。八時。待たせるな」

 二人は出ていった。扉は開いたままだった。

 音が消えきらないうちに、ミーレンの腕が私を包んだ――肩を避け、慎重に。しばらくして離れると、彼女の頬は濡れていた。

「ごめん」彼女は言った。

「私が――」

「あなたのせいじゃない」私はベッドの縁を探して腰を下ろした。

 ミーレンは一瞬立ち尽くした。それから開いた戸口へ顔を向け、表情のどこかが硬く冷えていく。

「行って」彼女は言った。

「連盟へ帰って。オークとの結婚を成立させて。自分が何を投げ捨てたのか、あいつに自力で思い知らせてやればいい」

 彼女は間違っていなかった。

 耳鳴りはまだ続いていた。肩が焼けるように痛む。私は座ったまま、日程を頭の中で計算した。

 転移門は予約済み。あと六日。オルドリックが待っている。

 あと六日。

 それからは、私の物語だ。

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