第2章

 翌日はロージーの誕生日だった。

 同時に――あの子が死んだ日でもある。

 私は邸宅の広大な厨房に立ち、震える手でケーキにアイシングをかけていた。

 五年前。最期の朝、五歳の娘はダミアンの頬に口づけをして、それから私にもキスをした。

「帰ってきたら、ふたりで作ったケーキがいい!」

 そう弾む声で言った。

 当時のダミアンと私は、セリーナをめぐってもう争っていた。ロージーはまだ小さかったのに、あまりにも敏感で、私たちを元に戻そうとしていた。

 ――それなのに、あの子は死んだ。私たちを待ちながら、焼けて灰になった。

 頼まれたケーキは五年遅れになった。ダミアンは完全に忘れていた。けれど私は、忘れられなかった。

 墓地に着いた瞬間、全身が凍りついた。

 セリーナとレオが、娘の墓の前に立っていた。

 レオは太い赤いクレヨンを握りしめ、ロージーの墓石に嵌められた写真を、乱暴に塗りつぶしていた。

「パパをこいつと分けたくない!」

 男の子は駄々をこね、ロージーの笑顔を引っかき消す。「ブサイクなら、パパは好きにならない!」

 セリーナは腕を組んだまま、得意げな笑みでそれを眺めていた。

「大丈夫よ、レオ」

 セリーナは猫なで声で言った。「あの子は死んでるもの。死んだ女の子なんて、あなたと競えないわ」

 くすりと笑い、息子の髪を撫でる。

「五年前、ダミアンの敵に予定を流しておいて正解だったわ。これであなたが唯一の跡継ぎ。クーリー家のものは全部、私たちのものになる」

 耳の奥で血が轟いた。世界が傾く。

 考えるより先に、体が動いた。

 私は突進し、セリーナを思いきり突き飛ばした。セリーナは悲鳴を上げて芝生に転がり、レオは後ろへ倒れて、耳障りな大泣きを始めた。

「何をしている!」

 冷たく怒りに満ちた声が、空気を切り裂いた。

 振り返らなかった。私はケーキの箱を掴み、セリーナの叫ぶ顔に、真っすぐ叩きつけた。生クリームとスポンジが飛び散り、あたり一面に広がる。

「ダミアン、助けて!」

 セリーナが泣き叫び、這うように後ずさった。「私たち、ロージーに謝りに来ただけなのに! どうしてこの人、殺そうとしてくるの!? レオは無実なのに!」

 ダミアンが私の腕を掴み、乱暴に引き戻した。あまりの勢いに肩が外れたような痛みが走る。

「正気か!?」

 ダミアンが怒鳴りつける。「子どもだぞ!」

「関係ない! こいつらは殺人者よ! ふたりとも死ねばいい!」

 私は血走った目で叫び、再びセリーナに飛びかかった。

 ぱちん。

 静かな墓地に、平手打ちの音が響いた。

 頭が横に跳ねた。口の中に鉄の味が広がり、耳がじんじん鳴った。

 ダミアンは手を上げたまま立ち尽くしていた。ほんの一瞬、彼の目に焦りがよぎる――自分が何をしたのか信じられない、とでも言うように。

「クロエ、俺は……」

 私は頬に触れた。純粋で、混じりけのない憎悪で彼を見上げる。

「そこまで彼女が好きで、あの私生児のことがそんなに大事なら、どうして私と離婚しないの?」

 離婚という言葉が、彼の中の闇を刺激した。罪悪感は消え、代わりに恐ろしい執着が顔を出す。

「考えるな」

 彼は唸り、顔を私の目前まで寄せた。「一度俺から逃げただろ。二度と手放さない」

 彼は部下たちに向き直った。

「連れて帰れ。部屋に閉じ込めろ。俺の許可なしに外へ出すな」

 その夜、寝室の扉がカチリと開いた。

 マットレスが沈む。ダミアンの温かい手が私の腰に回り、吐息が首筋にかかった。

「顔、まだ痛むか?」

 罪悪感で粘りつく声。「悪かった。俺も頭に血が上ってた。セリーナはレオを産むとき、死にかけたんだ。あいつはか弱い。傷つくのを見るのが耐えられない」

 じゃあ、ロージーはか弱くなかったとでも言うの?

 娘は、誘拐犯に縛られても泣かなかった。ダミアンが「危険なときほど落ち着け」と教えたからだ。

 ママとパパが助けに来ると、信じていたからだ。

 ダミアンが私の肩に口づける。

「西棟に移した。もう顔を合わせなくていい。俺たちは元に戻れる。ロージーに会いたいだろ? また娘を作ろう……」

 嫌悪で突き飛ばす前に、彼の電話が鳴った。

「何? レオが熱?」

 ダミアンは飛び起き、私の頭にせわしなくキスを落とした。

「すぐ戻る。待っててくれ」

 五年前と同じ。何もかも放り出して、あちらへ駆けていく。

 私はランプを消し、闇を見つめた。もう待たない。

 翌朝、扉が叩き壊されるように開け放たれた。

 ダミアンが踏み込んできた。人を殺しに来たみたいな顔で、携帯電話をベッドへ投げつける。私の電話だ。

「ロージーの死でお前が壊れたのは分かる」

 ダミアンは息を荒げ、吐き捨てるように言った。「だが、どうしてこんなことができる?」

 画面を見る。誘拐の真相が誰かにネットへ流されていた。世間はセリーナとレオを叩きまくっている。

「私じゃない」

 私は冷たく言った。「それに、仮に私だとしても――真実でしょう?」

「信じられない!」

 彼が叫んだ。

 ダミアンはタイプで打たれた紙を取り出し、私の手に押しつけた。

「これを自分のアカウントで投稿しろ。今すぐだ。そうすれば、なかったことにしてやる」

 私は読んだ。

 広報文だった。誘拐犯が狙ったのはロージーだけだった、と書いてある。ロージーは悪い子で、言うことを聞かず、罪のない小さな男の子を危険に巻き込んだ、と。

 レオを先に助けたのは正しい判断だった、と。

 死んだ五歳の娘の名誉を泥にまみれさせて、私生児を守れと言うのか。

 手が震えた。私は紙を握り潰した。

「絶対に嫌!」

 私は叫んだ。「無理やり投稿させるなら、あなたの目の前で死んでやる!」

 ダミアンの目が信じられないというように見開かれた。

「命で俺を脅すのか? お前が俺にとってどれほど大切か分かっているだろう!」

 顎が強張る。瞳から光が消えた。

「いいだろ。意地を張るつもりか?」

 彼は低く言い放った。「警備! こいつを邸宅の礼拝堂へ放り込め。石の上に跪かせろ。セリーナの名誉が晴れるまで、食事も水も与えるな!」

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