第2章
「森崎明良様のご冥福をお祈りいたします。安らかにお眠りください」
色とりどりの窓ガラス越しに差し込む陽光が床を照らす中、牧師の厳かな声が教会全体に響き渡る。聖堂内は立錐の余地もないほどで、関西の政財界のエリートたちが、「故人」となった明良に別れを告げるために集まっていた。
私は最前列に座り、漆黒の喪服に身を包んでいた。顔の大部分はベールで覆われている。表向き、私は悲嘆に暮れる未亡人。だがその内側では、この滑稽な茶番劇を冷徹な目で見つめていた。
「森崎明良は、我ら一族の誇りでした」
私の隣で、明良は感極まったように声を詰まらせながら弔辞を述べる。「彼の死は、私たち全員にとって大きな損失です。兄として、遺された彼の妻を支えていく責任は、私が引き受けます」
(よくもまあ、これほどの演技ができるものだわ。タイミングを見計らって涙まで流すなんて。もっとも、その言葉自体は真実でしょうね。前世と同じように、あなたは私を『世話』するつもりなのだから)
参列者の間から、さざ波のように囁き声が漏れ聞こえてくる。
「哀れな翔一さん、双子の弟を亡くされるなんて」
「当主様はいつも翔一さんを贔屓にされていたそうですからね。明良さんが亡くなった今となっては……」
「これで森崎家の後継者問題も決着がついたというわけか」
私はハンカチを強く握りしめ、誰の目にも触れぬ角度で、口元をわずかに歪めて笑った。(明良、これこそがあなたの真の目的でしょう? ただ純香のためだけではない、あの莫大な遺産を手に入れるため。本来、当主は翔一を寵愛していた。「明良は死んだ」ことになれば、あなたは正当に翔一として振る舞い、すべてを継承できる。一石二鳥――実に鮮やかな手口だわ)
「芹奈さん、この度はご愁傷様です」社交界の婦人が近づき、慰めの言葉をかけてくる。
「ありがとうございます……」私は声を震わせ、弱々しく頷いてみせた。「ただ……彼が本当に逝ってしまったなんて、まだ受け入れられなくて」
葬儀が終わり、人々が徐々に去っていく。私は「一人で祈りを捧げたい」と周囲に告げ、教会の奥へと歩を進めた。
祈祷室に近づくと、中から聞き覚えのある声が漏れ聞こえてきた。
「何と……明良……」
それは純香の声だった。私は息を潜め、扉の陰に身を隠して耳をそばだてる。
純香の声は、驚愕と恐怖に満ちていた。「あなた……どうして翔一になりすましたりしたの? どうして皆を騙したの?」
「君のためだよ」明良の声が、不意に熱を帯びる。「すべては、君のためなんだ」
足音が聞こえる――明良が純香に歩み寄っているのだ。
「大学にいた頃のことを覚えているか?」彼の声が甘く響く。「君は僕を愛していると言った。僕と一緒にいたいと」
「あきら……」純香の声は力がない。
「だが、あの後どうなった?」明良の口調が、急に苦渋に満ちたものへと変わる。「君は翔一の方が祖父に気に入られていて、一族の財産を継ぐ可能性が高いと知るや、僕ではなく彼を選んだんだ」
(そういうことだったのね! 純香が翔一を選んだのは愛ゆえではなく、金目当てだった!)
私は拳を固く握りしめ、爪が掌に深く食い込むのを感じた。(だから、あなたは私の元へ来た。私が彼女に似ているから。大人しくて、御しやすい「代用品」だから)
「私……あの時は若かったの、だから……」純香の声に嗚咽が混じる。
「だから何だと言うんだ? 僕が永遠に待っているとでも思ったのか?」明良は冷ややかに笑った。「愛する女が、自分の実の兄と結婚するのを見せつけられる気持ちが、君にわかるか?」
「本当にごめんなさい……」
「ごめんだと?」明良の嘲笑がさらに激しさを増す。「君がそうやって謝罪の言葉を並べている間、僕は『代用品』で自分を慰めることしかできなかったんだぞ」
(代用品。ついに認めたわね)
怒りの炎が私の瞳の奥で揺らめいた。
「芹奈は……彼女のことは……」純香がおずおずと尋ねる。
「あんな女、ただの『代用品』に過ぎない!」明良は躊躇なく言い放った。「最初から最後まで、僕が愛したのは君だけだ。彼女は君に瓜二つで、性格も従順だ。だから君のつもりで愛せると思った。だが、どうしても無理だったんだ」
言葉の一つ一つが、ナイフのように私の心臓を抉る。
「だが今は違う」明良の声が急に高揚した。「翔一は死んだ。僕は彼の身分になりすまし、祖父の寵愛も財産もすべて手に入れる。そして何より重要なのは、ようやく大手を振って、正当に君と一緒になれるということだ!」
「でも、そんなの狂ってるわ! もしバレたら……」
「バレやしないさ」明良の声は確信に満ちていた。「芹奈もすっかり信じ込んでいるし、他の連中もそうだ。今から僕が『森崎翔一』であり、君は僕の妻なんだ」
「あきら……」純香の声が震えている。
「何年も待ったんだ、純香。すべてはこの瞬間のために計画したことなんだ」
そして、口づけを交わす音が聞こえた。
情熱的で、飢えたような口づけの音が。
「拒まないでくれ」明良が唇を重ねたまま囁く。「ようやく一緒になれるんだ」
「ここは教会よ……」純香が弱々しく抗議する。
「それがどうした?」明良は低く喉を鳴らして笑った。「もう我慢できないんだ」
祈祷室から、さらなる口づけの音と、甘い吐息が漏れてくる。
(なんという皮肉。この神聖な教会で、実の兄の葬儀の最中に、待ちきれずに情事に耽るなんて)
私は静かにその場を立ち去りながら、冷ややかな笑みを浮かべた。
