第5章

「足りないのは、見た目が純情すぎるところね。どうしても、いい子って感じを人に与えちゃうの」

「……私? いい子?」

林田知音は自分を指さし、それから少し考えて、自嘲気味にうなずいた。

「たしかに、この数年……おとなしくしすぎたかも……」

「目黒雲月には見せなきゃ。あなたはいい子なんかじゃないって」

「いい子じゃないなら、私はどうすればいいの?」

林田知音は頬杖をつき、酒を数口あおる。頬にふわりと赤みが差した。

千野二羽はグラスを持ち上げ、林田知音の前のグラスに軽く当てた。

「どうあるべきか、じゃないの。あなたが本来どういう女かって話」

「どういう意味?」

千野二羽の言い回しは回りくどくて、林田知音は少し頭がこんがらがった。

「あなた、林田知音。顔立ちもおとなしいし、名前までおとなしく聞こえる。でもね、その実――とんだ泥棒猫なのよ」

「泥棒猫……」

林田知音はぽつりとつぶやき、それから千野二羽をひと睨みした。

「そんなこと言うの、あなただけよ」

「だったら、その泥棒猫っぷりを目黒雲月に使いなさいってこと。あの人に見せつけてやればいいのよ、自分がどれだけ魅力的な女かって。林田知音、あなたはね、本当はすごく面白い女なの。バークレーにいた頃を忘れたの? あなたを追いかけ回してた男が何人いたと思ってるの」

千野二羽にそう言われて、林田知音の意識もふっとバークレーへ飛んでいく。

「林田知音、あなたは真面目すぎるのよ。いつだって目黒雲月の前で完璧でいようとする。でも、そういうところがかえって自分の魅力を隠しちゃってる。目黒雲月がどれだけ冷たく見えても、所詮は男よ。欲のある男」

いつの間にか千野二羽は林田知音の隣に移っていて、耳もとへ顔を寄せ、さらに囁いた。

「男の胃袋をつかめ、なんて話は聞かなくていいわ。そんなの効かない。あなたがつかむべきなのは、男の……欲望」

林田知音の頬がかっと熱くなる。耳まで赤く染まっているのを見て、千野二羽は呆れたように首を振った。

「その反応見ればわかるわ。最後にしたの、いつだったか怪しいものね」

「二羽!」

林田知音は小さく声を上げ、千野二羽の腕をぺしりと叩いた。

「ほらね。既婚者のくせにそういう話になると、未婚の私よりよっぽど堅いんだから。ほんと参るわ」

「もう、いいから。早く食べましょ」

「林田知音、私の言葉、ちゃんと胸に刻みなさいよ」

帰ってからも、千野二羽が耳もとで囁いたあの言葉が頭から離れなかった。何日も寝返りを打ってばかりで、ろくに眠れない夜が続く。

そうしてあっという間に金曜日が来た。

あの日、目黒雲月は言っていた。今日は二人の結婚記念日だから、彼女に付き合うと。

林田知音の胸には迷いがあった。けれど、特別な日というのは、それだけで人の想像を掻き立てる。

この五年、彼女と目黒雲月が二人きりで出かけることは、実のところほとんどなかった。だからこそ、今日はきっかけになるかもしれない。目黒雲月とちゃんと話すべきだ。二人に未来があるのかどうか。それは野呂雨芽に決めさせることではない。

林田知音はクローゼットから赤いタイトなワンピースを取り出した。身体の曲線をしなやかに浮かび上がらせる一着だ。そこへ黒の短めのジャケットを羽織る。

鏡に映る自分は、いつもの自分とはまるで違っていた。

それを見た大島さんが、目を輝かせる。

「奥様、今日は本当にお綺麗です!」

「じゃあ、普段は綺麗じゃないみたいに聞こえるけど?」

林田知音は冗談めかして言った。

「そんなことありません。奥様、今日は旦那様とゆっくり記念日を過ごしてきてください。坊ちゃんは私がちゃんと見ておりますから」

「……お願いします」

目黒雲月にも、気が利くところはある。たとえば今日がそうだった。本当は仕事が終わってから直接向かうと言っていたのに、林田知音が玄関を出ると、すでに彼は車のそばで花束を抱えて立っていた。

林田知音を見た瞬間、目黒雲月の目の色がわずかに変わる。

思わずといったふうに歩み寄り、彼は身をかがめて彼女の耳もとで囁いた。

「今日は……ずいぶん違って見えるな」

「褒め言葉だと思っておくわ」

林田知音はもともと、骨の髄まで誇り高い女だ。華やかで、強気で、人を惹きつける。そのぶん、反感も買いやすい。

彼女は無意識に後部座席のドアへ手を伸ばしかけた。だが目黒雲月は先に助手席のドアを開けた。

林田知音は一瞬、きょとんとする。

それでも歩み寄って腰を下ろした瞬間、どこか現実味のない心地がした。

彼の車に乗ること自体が少ない。乗るとしても、いつも後ろだった。

「どうした?」

運転席に座った目黒雲月が、彼女の身体が少しこわばっているのに気づく。シートベルトもまだだったので、彼は自然な動きで身を乗り出し、留めてやろうとした。

林田知音は面食らって、思わず身を引く。

「自分でできるわ」

シートベルトを締め終えると、目黒雲月はエンジンをかけた。

林田知音は何も言わなかった。けれど、この助手席には、目黒雲月のものではない女物の香水の匂いが、かすかに残っていた。

「君、クラウドレストランのステーキとムール貝が好きだっただろう」

「クラウドレストラン? もう何年も行ってないわ。あそこ、予約も取りにくいし」

目黒雲月は軽く応じる。

「ああ。たしかに個室は一か月前でも埋まる。でも今日は、俺たちの結婚五周年だからな。少し骨は折れたが、なんとか押さえた」

淡々とした性格の彼らしくない気遣いに、林田知音はしみじみと思った。

「今日のあなた、本当に変ね」

目黒雲月は顎を少し上げる。

その先に、精巧なギフトボックスが置かれているのが見えた。

「私に?」

「ああ。開けてみてくれ。気に入るかどうか」

林田知音はまたしても驚いた。箱の中には、静かにダイヤの指輪が収まっていた。

ダイヤの指輪――

「どうして、私に指輪を?」

「五年前、俺たちが結婚したときには、君と俺のための儀式らしいものは何もなかった。だから今日、それを埋め合わせしたかった」

林田知音は指輪を取り出し、左手の薬指にはめる。

驚くほどぴったりだった。

「目黒雲月……本気で決めたの?」

「何をだ」

「本当に、私と一生を過ごすつもりなの?」

「俺たちはもう五年も夫婦だぞ、林田知音。今さらそんなことを聞くのは、少し妙じゃないか」

「妙かしら……私たちの結婚自体、もともと少し歪だったもの」

本当は、こんな話を持ち出すつもりはなかった。けれど目黒雲月がここまで気を遣い、機嫌を取るようなことをするほど、感動の裏で拭えない違和感も大きくなる。

「この前まではね、あなたが私と離婚して、それで野呂雨芽と結婚するんじゃないかって疑ってた」

「どうしてそんなふうに思う」

「だって、野呂雨芽の本当の願いって、あなたに嫁ぐことでしょう? もし、残された時間の最後の望みが、たった一日でいいからあなたの妻になりたい、だったら……あなたは受け入れるの?」

林田知音にとっては、ほんの軽い探りのつもりだった。

けれど車体がわずかに揺れ、目黒雲月の動揺が伝わってくる。

「くだらないことを考えるな」

目黒雲月は淡々と言った。だが胸の内では、ひやりとしたものが走っていた。

林田知音の何気ない問いは、まさに昨日、野呂雨芽が現実に彼へ突きつけた願いそのものだったからだ。

「雲月さん……お医者様に言われました。私、もう一か月しか残っていないって……この人生でいちばん悔いが残っているのは、あなたとすれ違ったことなんです。もし許されるなら、たった一日でいい。あなたを独り占めして、本当の意味であなたの妻になりたい……一日だけでいい……本当に、一日だけ……」

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