第5章
ホテルの入口で、私はその場に立ち尽くしていた。見覚えのあるその姿が、タクシーから降りてきたからだ。
「潔志お兄さん!」
田中若菜が駆け寄り、私が見たこともないような満面の笑みを浮かべた。
藤原潔志はシンプルなシャツとスラックス姿で、病院にいる時よりも堅苦しさはなく、代わりにどこか疲れた様子が窺える。彼は田中若菜の肩を軽く叩きながらも、その視線は私に固定されていた。
「若菜、絢子と話がある。食事は後で連れて行ってやる」
彼は静かに言った。
私はその場に立ち、骨身に染みるような寒気を感じた。
まさか、本当に京都まで追いかけてくるなんて。
「もちろん、潔志お兄さん。お部屋で待ってるね」
田中若菜は従順にそう答え、去り際に私を勝ち誇ったように一瞥した。
藤原潔志は私に、ホテルのロビーの隅へ来るように目顔で示した。
私は深く息を吸い、彼の後について行った。
「君はそうすべきではなかった」
開口一番、彼は声を低めて私を責めた。
「私が何か間違ったことをしたとは思いません」
感情が高ぶったが、私も公の場でみっともない姿を晒したくなくて、努めて声を抑えた。
「そんな風に言わないでください、藤原潔志。私はあなたの患者でも、あなたの所有物でもありません」
彼の目が一瞬揺らぎ、態度が急に変わった。口調が平坦になる。
「君は悪くない。悪いのは私だ」
その唐突な譲歩は、かえって私を不安にさせた。
「悪かったのは、君を見張っていなかったことだ。だから今回の京都行きは君の気晴らしということにしておこう。だが、二度目はない」
彼は冷静に告げた。
「佐々木教授には私から話しておく。君の体の状態では、このような長期プロジェクトは不向きだと」
「どうしてですか?」
声を荒げないように必死で抑えたが、口調はすでに固くなっていた。
「どうしてあなたが私の人生を決められるんですか?」
彼の力をもってすれば、私を連れ帰ることなど造作もないことだと分かっている。
だからといって、私が大人しく従うわけではない。
藤原潔志は私を一瞥した。その目に読み取れない感情がよぎり、冷静かつ残酷に言い放った。
「他人の心臓を使っている君に、何の権利がある?」
その言葉は一本の刃となって、私の胸をまっすぐに突き刺した。
この「借り物」の心臓が、急に激しく鼓動を打つのを感じた。
「私は臓器移植を受けた患者です。あなたの所有物じゃない!」
もはや抑えきれず、私はテーブルの上にあったお茶を掴んで彼に浴びせかけた。
水滴が彼の顔を滑り落ちる。その目に嘲りがよぎったが、表情はすぐに平静を取り戻した。田中若菜がどこからともなく現れ、駆け寄ってきて藤原潔志の顔を拭き始めた。
「絢子さん、どうしてこんなことを?」
彼女は丁寧だが棘のある口調で私を責めた。
「潔志お兄さんは、ただあなたの健康を心配していただけなのに」
その偽善的な顔を見て、私はもう一つの湯呑みを掴み、彼女めがけて水を浴びせた。
その瞬間、突然心臓がざわつき、目の前が暗くなり始めた。
若菜が甲高い声で私を詰問している。
藤原潔志は不満げに彼女を一瞥すると、落ち着き払って従業員からティッシュをもらい、若菜に渡した。
そして、周りの人々に向かって実に申し訳なさそうに説明する。
「大変申し訳ありません。妻は少々、情緒が不安定なもので」
藤原潔志は田中若菜の方へ向き直った。
「行くぞ、食事にしよう」
去り際に、彼は何かを念押しするかのように、警告めいた視線を田中若菜に送った。
そして私に告げる。
「私も京都の古寺に参拝に来た。だが、もう君のことは構わない。定時に薬を飲むのを忘れるな」
心臓移植の後、私は拒絶反応を避けるため、長期にわたって薬を飲み続けなければならない。
私はその場に立ち、彼らが去っていくのを見送りながら、無力感に襲われた。
ホテルに戻り、私は畳の上に跪坐して、届けられた料理をただ見つめていた。
美しい料理はすでに冷え切っており、二、三口食べただけで食欲は失せてしまった。
携帯が震えた。田中若菜のSNSの投稿だった。彼女と藤原潔志がファミリーレストランにいる。田中若菜は嬉しそうにお子様ランチを食べ、藤原潔志がその隣で微笑んでいる。写真の中の二人は、幸せな兄妹のように見えた。
私は携帯を置き、胸が締め付けられるのを感じた。
同じ京都にいるというのに、彼らは気楽な夕食と笑い声を享受し、私は一人、冷めた料理に向き合うしかない。
窓越しに遠くの古寺を眺め、この心臓が私にもたらした数々の制約を思った。
飲酒はできない。辛いものも食べられない。夜更かしも、大きな感情の起伏も許されない。
私には楽しむ権利などなく、藤原潔志の前で笑うことさえ罪になるのだ。
まったく、つまらない。
