第4章
精神状態が、日に日に狂っていくのを感じる。
最近は不眠が続き、夜中に悪夢で飛び起きては、冷や汗で寝間着を濡らす日々だ。時折、幻覚さえ見るようになった。部屋の隅に母が立ち、私に微笑みかけているのだ。
さらに恐ろしいのは、記憶の欠落だ。
昨日行ったはずの会議の内容が、今日はもう思い出せない。
今しがた口にした言葉さえ、振り返れば霧散してしまう。
「お嬢様、本当にお加減は……?」
田中が心配げに私を覗き込む。
「最近、どこか上の空でおられますが……」
「大丈夫よ」
私はこめかみを強く揉んだ。
「少し疲れているだけ」
だが、分かっている。これはただの疲れではない。
別の病状だ。
ふと、亡くなる前の母も同じだったことを思い出した。
母もまた不眠に悩み、常に意識が混濁していた。時には突発的に癇癪を起こし、時には理由もなく泣き崩れていた。
当時、私たちはそれを、父の死を受け入れられないが故の錯乱だと思っていた。
だが今にして思えば、そうではなかったのかもしれない。
私は即座に田中に電話をかけた。
「田中、調べてほしいことがある。母が亡くなる前のカルテと、当時服用していた薬のリストだ」
「承知いたしました」
翌日、田中は調査結果を持ってきた。
「お嬢様、判明いたしました」
彼は一通のファイルを私に差し出した。
「お母様は亡くなる前、ある精神薬を服用され続けていました——クロザピンです」
「クロザピン?」
「抗精神病薬の一種です」
田中が説明する。
「ですが、長期にわたり大量に服用すれば、深刻な副作用を引き起こします。幻覚、妄想、認知機能障害、さらには……」
「さらには、何?」
「自殺衝動を引き起こす恐れがあります」
田中の声は重苦しかった。
「お嬢様、お母様の病気は……」
私はファイルを握りしめた。指の関節が白く浮き出るほどに。
人為的なものだったのだ。
田中が続ける。
「それに、さらに恐ろしい事実が判明しました」
「何?」
「お嬢様が最近服用されている『精神安定剤』……その主成分もまた、クロザピンでした」
全身の血が、瞬時に凍りつくのを感じた。
「なんですって?」
「お嬢様、何者かが同じ手口であなたを陥れようとしています」
田中の声が震えている。
「彼らは、お嬢様をお母様と同じ末路へ……」
私は立ち上がったが、視界がぐらりと歪んだ。
つまり、最近の不眠も、幻覚も、記憶の混乱も——。
すべて、あの薬のせいだったのか?
「その薬を処方したのは誰?」
私は問いただした。
「神代組が運営する私立病院の医師です」
田中が答える。
「ですが、処方箋の受領欄には、凌のサインがありました」
心臓を、切れ味の悪いナイフでゆっくりと切り裂かれるような痛みが走る。
「凌の、サイン?」
「はい」
田中は別のファイルを私に手渡した。
「お嬢様、あなたが薬を服用される際、毎回それを持ってきたのは凌でした」
私はそのファイルを見つめた。そこにははっきりと『クロザピン錠』と記されている。
そして経由者の署名欄には、凌の名があった。
手が震え、ファイルをうまく掴んでいられない。
凌。
凌が、私に毒を盛っていた。
凌が、向精神薬で私を支配しようとしていたのだ。
母と同じように、私を殺すつもりなのか。
私はファイルを死ぬ気で握りしめた。
どうして彼が?
きっと何か、致命的な情報を見落としているに違いない……。
——
不意に、ドアがノックされた。
私は反射的に書類を隠し、「入りなさい」と告げる。
「お姉様、お顔色が優れませんわね。心配ですわ」
美里がゆっくりと入ってくる。その顔に張り付いているのは、虚飾の気遣いだ。
「余計なお世話よ」
私は冷たく言い放つ。
「でも、お姉様……」
美里は急に距離を詰め、声を潜めた。
「ご存じかしら? 凌のことですが……」
「彼がどうしたの?」
私は鋭く彼女を見据える。
「いいえ、別に」
美里はふわりと笑った。
「ただ、お姉様に対して本当に忠実だと思いまして。毎日片時も離れずお傍にいるなんて、羨ましい限りですわ」
「なら、あなたにあげるわ」
「一匹の犬に過ぎませんもの、いりませんわ」
彼女は口元を歪め、立ち上がった。
「そうそうお姉様、来月は私の誕生日ですの。屋敷でささやかな祝宴を開きますから、いらしてくださいね?」
「考えておくわ」
美里は笑みを残し、書斎を出て行った。
私は彼女の背中を睨みつける。今の「凌のことですが……」という言葉、あれはどういう意味だ?
私はすぐに田中に電話を入れた。
「美里が着けていたあのネックレスについて調査して」
電話を切って間もなく、凌がホットミルクを盆に載せて入室してきた。
「お嬢様、お休みの時間です」
私はその白い液体を見つめ、ふと笑みを漏らした。
「凌。もし今、私がこのミルクを飲んだら、どうなると思う?」
凌は一瞬きょとんとした。
「お嬢様、何をおっしゃるのですか?」
「何でもないわ」
私はミルクを受け取る。
「ただふと、もう少し用心深くあるべきだと思っただけ」
凌の瞳が揺れた。
「お嬢様、あなたは……」
「凌、座りなさい」
私は向かいの椅子を顎でしゃくった。
彼は戸惑いながらも、腰を下ろす。
「凌、私の元に来てどれくらいになる?」
「一ヶ月と少しです」
「この一ヶ月、私をどう思った?」
凌は数秒沈黙した。
「お嬢様は決断力があり、追随するに値する方です」
「そう、いい答えね」
私は微笑んだ。
凌の体が強張る。
「お嬢様、なぜそのようなことを?」
「ただの気まぐれよ」
私は彼の目を真っ直ぐに見つめた。
「お前にとって、誰が一番大切なの?」
凌は拳を握りしめ、長い沈黙の後、口を開いた。
「……命の恩人、です」
「命の恩人?」
私はゆっくりと笑みを消す。
「その恩人というのは、私のことかしら?」
凌は俯き、何も答えなかった。
「分かったわ」
私は立ち上がる。
「出て行って」
「お嬢様……」
「出て行けと言ったの」
凌は立ち上がり、背を向けて部屋を出て行った。
ドアが閉まると同時に、私は椅子に崩れ落ちた。
それ以来、私は凌が運んでくる飲食物を一切口にしないことにした。精神状態は徐々に回復していった。
だが、肉体へのダメージはすでに深刻だった。
「お嬢様、肝機能と腎機能に深刻な障害が出ています」
T大学付属病院の院長は言った。
「クロザピンおよびその他の毒素を長期にわたり摂取したことで、お体に不可逆的な損傷が生じています」
「治るの?」
「試みることは可能です。ですが、直ちに入院治療が必要です」
院長は厳しい表情で告げる。
「治療したとしても、完全な回復は困難かと」
「分かったわ」
だが、入院するわけにはいかない。
私がここを離れれば、組織の人間がここぞとばかりに実権を奪いに来る。美里に神代組を完全掌握されることだけは、阻止しなければならない。
それからの日々、私は組織の仕事をこなしながら、秘密裏に治療を受けた。
体は確実に弱っていた。
突然の吐血に見舞われることもあれば、意識を失うこともあった。それでも私は気丈に振る舞い、誰にも悟らせなかった。
「お嬢様、もう限界です」
田中が目を赤くして訴える。
「このままでは、死んでしまいます」
「分かっている」
私は窓の外を見つめた。
「でも少なくとも、母の敵を討つまでは死ねない」
「しかし……」
「田中、すべての証拠を集めて」
私は命じた。
「美里と松本千代が母を殺した証拠、そして私に毒を盛った証拠を。美里の誕生パーティーで、衆人環視の中で彼女たちの罪を暴いてやる」
「……承知いたしました」
だがその前に、私は凌と向き合わなければならない。
「お嬢様、凌がここ数日、ずっとドアの外で土下座しております」
田中が言う。
「お目にかかりたいと」
「会わない」
「ですがお嬢様、彼はもう三日も食事を摂っておりません……」
「なら、そのまま跪かせておけばいい」
私は冷たく言い放つ。
「彼は私を殺しかけたのよ。なぜ会う必要があるの?」
田中は溜息をつき、部屋を出て行った。
私は書斎に座り、机上のファイルを睨みつけた。
あの日の会話の後、凌はすぐに私の意図を悟ったのだろう。
凌は、美里に言われてサインしただけだと言った。害があるとは知らなかった、と。
もしかしたら、本当に知らなかったのかもしれない。
だが、それがどうしたというの?
彼は私を裏切った。
私の食事に毒を盛り、行動を漏洩し、公衆の面前で私に恥をかかせた。
たとえ薬の成分を知らなかったとしても、美里の片棒を担いで私を害したのは事実だ。
私は彼を許さない。
永遠に。
