第4章

 重鎮たちが顔色を変える。

 浜友は目を細め、私の覚悟を値踏みしているようだ。

 やがて、彼は煙草の灰を指先で弾くと、恩着せがましい口調で言った。

「もういい、虚勢を張るのはよせ。俺だって鬼じゃない、情がないわけじゃないんだ」

 彼は懐から小切手を取り出すと、ひらひらと地面に放り投げた。

「大目に見てやろう。クルミさえ渡せば、親権は俺が引き受ける。佐和美の子には遊び相手が必要だし、何より、お前みたいな情緒不安定な狂女に娘を任せてはおけないからな」

 佐和美がすかさず口を挟む。甘ったるい笑顔を張り付けて。

「そうよ、綾香さん。私がクルミちゃんを実の娘みたいに可愛がってあげる。安心して私たちに任せてちょうだい」

「手切れ金だ」

 浜友は顎で小切手をしゃくった。

「三百万ドルある。それを持って俺の視界から、この街から消え失せろ。これでも死んだ両親に免じて色をつけてやったんだ」

 三百万ドル。

 我が家の数十億の恩義を、娘の親権を、たったそれだけで買い叩こうというのか。

 あまつさえ、娘を毒殺した犯人の「遊び相手」にしろだと?

 全身の血液が逆流するような感覚。怒りが沸点を超えたその時、私の心は奇妙なほど冷え切っていた。

「クルミが、欲しいの?」

 私は身をかがめ、小切手を拾い上げると、衆人環視の中でそれを粉々に引き裂いた。

「浜友、あんたずっと気にしてたわよね。私が抱えているこの箱が何なのか」

 私はずっと胸に抱きかかえていた黒いベルベットの布を解き、冷たい陶器の肌を露わにした。

 ダンッ!

 重厚な骨壺を、会議テーブルのど真ん中に叩きつける。

「あんたが欲しがってるクルミは、ここよ」

 浜友の顔から傲慢さが消え失せ、表情が凍りついた。

 佐和美の貼り付けたような笑みも、瞬時に引きつる。

 場を支配するのは、死のような静寂。

 浜友はその箱を凝視し、瞳孔を極限まで収縮させた。言葉の意味を理解できていないようだ。

「な……何を、言っている?」

「これが、あんたの娘だと言ったのよ!」

 骨壺を指差し、私は血を吐くような叫び声を上げた。

「あんたがその売女の妊婦検診に付き添っている間に、娘を毒殺した犯人を大事に守っている間に、クルミはもう焼かれて灰になっていたのよ!」

「馬鹿な……」

 浜友が弾かれたように立ち上がる。背後の椅子が派手な音を立てて倒れた。

 顔色は瞬く間に土気色へと変わり、唇がわなないている。

「綾香、この狂人め! 俺への当てつけに、そんな出まかせを言うのか? 生きていた人間だぞ! そう簡単に死んだりするものか!」

「信じないの?」

 私はスマホを取り出し、ある写真を表示させた。火葬炉の前で撮った、最期の光景だ。

 その画面を、彼の目の前に突きつける。

「よく見なさい! これが火葬許可証! これが死亡診断書よ! 死亡日時は、あの子の七歳の誕生日!」

「犯人は、あんたの隣にいるその女が盛ったリシン毒よ!」

 浜友はよろめくように一歩後退した。視線は画面上の書類に釘付けになり、呼吸は壊れた鞴のように荒い。

「嘘だ……こんなこと、あってたまるか!」

 彼は震える手でポケットからスマホを取り出すと、もつれる指で何度も叩き、ようやく病院長への発信ボタンを押した。

 ロビーは恐ろしいほどの静寂に包まれ、浜友の荒い息遣いだけが響く。

 通話がつながった。スピーカー越しに、院長の怯えきった声が漏れ聞こえる。

『富島様……ご連絡しようとしたのですが、あの日、秘書の方から「大切な方と過ごされているので、絶対に邪魔をするな」と……』

「答えろ!」

 浜友が首に青筋を立てて怒鳴り散らす。

「クルミは!? 俺の娘はどこだ!?」

 電話の向こうで数秒の沈黙が落ちた。

 やがて、死刑宣告にも似た声が響く。

『クルミお嬢様は……三日前の誕生日に、毒物による中毒死で……懸命の蘇生措置も及ばず、お亡くなりになりました。ご遺体はすでに、奥様の署名により荼毘に付されております』

 カチャン。

 スマホが浜友の手から滑り落ち、硬い床に叩きつけられて画面が砕けた。

 彼はまるで背骨を抜かれたかのように脱力し、テーブルの上の冷たい石箱を虚ろな目で見つめる。膝から力が抜け、そのまま床に崩れ落ちた。

「クルミィィッ!!!」

 私はその光景を冷ややかに見下ろしていた。今さら何を、一文の価値もない絶望を見せつけているのか。

「浜友、もう芝居はいいわ」

 私は骨壺を愛おしげに撫でながら、静かに告げた。

「あの子の最期の言葉、なんだと思う? 『パパはどうして来てくれないの?』だったわ」

「これで、満足?」

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