愛の灰:マフィアのドンの後悔

愛の灰:マフィアのドンの後悔

渡り雨 · 完結 · 17.6k 文字

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紹介

私の娘は、七歳の誕生日に死んだ。冷たい病室で、私は次第に体温を失っていく娘を抱きしめていた。

その頃、娘の父親であり、私の夫である浜友(はまとも)は、愛人と共に山頂で夜通し体を重ねていた。

「たかが子供一人だ。いずれもっといい子が生まれるさ」

「佐和美(さわみ)、愛しているのは君だけだ」

彼は知らなかったのだ。この世で唯一彼を愛した魂を、その手で殺してしまったことを。

離婚後、私はもう、あの卑屈に全てを耐え忍んでいた「富島夫人」ではない。

葬儀、スキャンダル、そして価値のない野良の子……

私が失ったもの全て、富島家そのものを代償に、彼に償わせてみせる。

チャプター 1

 娘のクルミの遺骨を納めた骨壺を抱きしめ、私は山頂に立っていた。

 夜風は冷たく、星空は目が眩むほどに明るい。

 ここは、あの子が生前一番気に入っていた場所だ。「見上げれば、噓をつかない星が見えるから」と、あの子は言った。

 七歳の誕生日にも、そう言っていたのに。

 けれどあの日、あの子は病室のベッドで息を引き取った。

 死因は、リシン中毒。

 そして父親である富島浜友は、最後まで現れなかった。

 キャンプサイトに足を踏み入れた瞬間、その「音」が耳に飛び込んできた。

 押し殺したような息遣い、テントの生地が擦れる音、そして女の、粘つくような甘い笑い声。

 足が止まる。

 聞き間違いであってほしいと、その一瞬だけは願った。

「浜友、もっと奥……」

「焦るな」

 男の声は低くしわがれていて、嫌というほど聞き覚えがあった。

「今夜、俺はお前のものだ」

 骨壺の縁に、指先が白くなるほど食い込む。

 テントの中の行為は続く。

「娘さん、病気なんじゃないの?」女が笑い混じりに尋ねる。

「こんなところに来ちゃって、奥さんに怒られない?」

 浜友が鼻で笑う。

「あの女の話はするな。綾香のやつ、また悲劇のヒロイン気取りだろ。どうせ子供をダシにして、俺を繋ぎ止めたいだけだ」

 心臓が、ひび割れる音がした。

「じゃあ、娘さんは?」女は畳みかける。

「私とあの子、どっちが大事?」

 短い沈黙の後、浜友は迷いなく答えた。

「お前に決まってるだろ、佐和美」

「あんなガキ、どうせまたすぐに代わりができる」

 私は立ち去らなかった。

 闇の中に立ち尽くし、彼らの声をすべて聞いた。

 クルミを蔑む言葉も。

 テントの中で絡み合い、喘ぎ、私と娘を嘲笑う声も、すべて。

 情事が終わるまで。

 私は歩き出した。

 テントのファスナーを一気に引き下ろす。

 浜友は呆気にとられ、佐和美は素早く彼の胸にすがりつき、怯えたふりをした。

「綾香?」浜友の顔色が瞬時に曇る。

「俺をつけてきたのか?」

 私は彼を睨みつけ、一言一句噛み締めるように言った。

「ここは、あの子が一番好きだった場所よ」

 佐和美が白々しい声を出す。

「綾香さん、誤解しないで、私はただ……」

「黙れ」

 その言葉を遮った、次の瞬間——。

 パァン。

 私の顔が、力任せに殴り飛ばされた。

 耳鳴りがする。口の中に鉄錆のような味が広がる。

「貴様に佐和美を責める資格があるか!」浜友の怒号が響く。

「この嫉妬に狂った女が!」

 佐和美がそっと彼の手を引く。

「やめて、浜友。これでも奥さんなんだから」

 けれど私に向けられたその視線は、勝利者の優越感に満ちていた。

 私は震える声で笑った。

「夫の寝所に潜り込んでおいて、今さら善人ぶるつもり?」

 パァン。

 二度目の平手打ち。

 私は地面に叩きつけられた。

 胸に抱いた骨壺を守ろうと、とっさに体を丸める。

 地面は冷たい。なのに、過去の記憶が蘇る。

 浜友のために家を守り、敵を退け、彼の実家が没落しかけた時には亡き両親の遺産さえ差し出した。

 それらすべてが、彼にとっては平手打ちにしか値しないものだったのだ。

 突然、プロペラの轟音が空気を震わせた。

 驚いて顔を上げる。

 夜空にヘリコプターがホバリングし、そこから無数のバラの花弁が降り注いできた。

 目に痛いほどの深紅。

 佐和美が歓声を上げ、浜友の胸に飛び込む。

「これ、私のために?」

 浜友は彼女に口づけを落とす。

「バラが好きだと言っていただろ」

 彼女は得意げに笑い、彼の唇を甘くついばむ。

「あとで……もう一回したいな」

 私は、ふと笑ってしまった。

 かつて浜友は、バラの香りを嫌悪していた。私が一度買った時、すぐに捨てろと命じたほどに。

 なのに今、彼女のためならそれを我慢できるのだ。

 私は立ち上がった。自分のものとは思えないほど空虚な声が出た。

「クルミの七歳の誕生日、どうして来なかったの?」

 浜友が眉をひそめる。

 佐和美が急に殊勝らしく頭を下げ、甘い声を出した。

「ごめんなさい、私が悪いの。その日、妊婦健診があって、浜友についてきてもらったの」

 世界が、一秒だけ静止した。

「健診?」

 彼女の腹部に視線を落とす。

 佐和美は頷き、瞳を輝かせた。

 浜友が淡々と付け加える。

「妊娠したんだ」

 立っているのがやっとだった。

 彼は続けた。

「産まれたら、お前が育てろ。跡取りにする」

 これ以上は聞けなかった。

 私は手を振り上げ、佐和美の頰を思い切り叩いた。

 彼女の悲鳴が上がる。

 次の瞬間、私は浜友に突き飛ばされていた。

「貴様、気でも狂ったか! よくも佐和美を!」

 私は懐の骨壺をかばいながら、ゆっくりと這い上がる。

 もう行こう。踵を返した背中に、浜友の声が突き刺さる。

「待て」

 彼は、私が抱きしめている箱を凝視し、怪訝そうに眉を寄せた。

「お前が持っているそれ、なんだ?」

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