第7章 話そう
エラが電話に出ると、運営委員会の担当者の声が受話器越しに流れ込んできた。
「エラ様。昨今の報道により大会の信用に影響が出ていることを踏まえ、委員会で協議のうえ、当面の間、あなたの参加資格を凍結することに決定いたしました。今後の対応につきましては、追ってご連絡いたします」
エラは数秒だけ黙り、淡々と返した。
「承知しました」
作業台へ歩き、鉛筆を取り、カレンダーの今日の日付を丸で囲む。
驚きはない。ここまで騒ぎが大きくなれば、資格停止も想定の範囲だ。
けれど――この日だけは、刻む。
いつか必ず、今日奪われた分を、利子までつけて取り立てる。
ピンポーン。
不意にチャイムが鳴った。
覗き穴から外を見る。扉の向こうに立っているのはヴィアン。両腕には、上品な意匠のギフトボックス。
エラは扉をほんの少しだけ開け、冷えた声で言った。
「何の用?」
「お姉ちゃん」ヴィアンはにこりと笑う。「招待状、届けに来たの」
ボックスから箔押しのカードを一枚抜き取り、扉の隙間から差し込んでくる。
「来月、クレモン・アート・センターで私の個展があるの。お兄ちゃんたちが言ってた。お姉ちゃんはもう大会に出られないんだから、私の作品を見に来ればいいって。もしかしたら、何かヒントが見つかるかもしれないでしょ?」
エラは招待状を受け取り、開いた。
大きく印刷されたヴィアンの宣材写真。その下に小さな文字で――ヴィアン・クレモン 初の個人ジュエリーデザイン展。
「お姉ちゃん、来ないなんて言わないよね?」ヴィアンが一歩、距離を詰める。「だって今のお姉ちゃん、私の展覧会を見る以外……すること、ないでしょ?」
胸の奥で、冷たい笑いが鳴った。
エラは視線を上げ、ヴィアンを見据える。
「私が大会に出られないって……そんなに確信してるの?」
ヴィアンの笑みが一瞬だけ引きつり、次の瞬間、さらに大きく弧を描く。
「お姉ちゃん。運営の通知、もう来たでしょ? つらいのは分かるけど、仕方ないよ。世間の圧がすごいし、運営だって大会の評判を守らなきゃいけないもの」
言葉は涙が出そうなほど親身なのに、瞳の奥には隠しきれない優越。
エラはしばらく黙ってから、ぽつりと返した。
「情報、早いね」
ヴィアンの肩がわずかに跳ねる。目の奥に、かすかな動揺。
「な、何が言いたいの……?」
「別に」エラは話を切り替えた。「あなたの展示、行くよ」
あまりに急な転換に、ヴィアンが言葉を探している間に、エラが続ける。
「今回は開けても、次があるとは限らないからね。……そうでしょ?」
エラは薄く笑い、容赦なく扉を閉めた。
ヴィアンは立ち尽くし、頭の中が白くなる。
次があるとは限らない?
まさか――自分の作品が盗作だと暴くつもり?
だめ。母親が必死に取りなして、ルイの疑いをやっと消したばかりなのに。今のルイは、エラに責められた負い目で、個展を開いて償おうとしている。ここで邪魔をされたら、全部が台無しだ。
ヴィアンは踵を返して階段を駆け下り、車に飛び乗ると、アレックへ発信した。
「アレック兄さん……」
繋がった瞬間、声に涙が混じる。
「ヴィアン?」アレックの声が焦る。「どうした」
ヴィアンは嗚咽を噛み殺しながら言った。
「お姉ちゃんに招待状を渡して、関係を少しでも……って思ったのに。なのに、全然受け入れてくれなくて……それどころか……」
「何を言われた」
「私が、お姉ちゃんのものを盗んだって……展示するのは全部、お姉ちゃんのデザインだって……」
泣き声がさらに濃くなる。
「アレック兄さん、私、誰のものも盗んだことなんてない。兄さんは知ってるでしょ。あのデザイン、徹夜で何日もかけて描いたのに……どうしてあんなふうに汚すの……」
アレックの声が低く沈んだ。
「……今どこだ」
「お姉ちゃんが借りてる、あのボロいアパート」ヴィアンは涙を拭う。「でも、兄さん……行かないで。もうこれ以上、騒ぎを大きくしたくないの……」
「お前は関わるな」
アレックはそう言って電話を切った。
ヴィアンはスマホを助手席へ投げ、バックミラーに映る真っ赤な目を見つめながら、ゆっくり口角を上げる。
これでいい。
アレックは寡黙でも、兄たちの中でいちばん自分を甘やかす。エラに公の場で恥をかかされたとなれば、黙っていられるはずがない。
今回は――エラが前みたいに、無傷で逃げ切れるか見ものだ。
……
アレックが電話を切ったのと同じ頃、エラのスマホにノ拉からメッセージが届いた。
『アレックが今、数人動かした。そっちへ向かってる。気をつけて』
エラは短く返す。
『了解』
立ち上がって窓辺へ行き、カーテンをほんの少しだけめくる。
街路樹のアオギリの下に、黒いSUVが停まっていた。
車内に四人。助手席の大柄な男――アレック。
エラはカーテンを戻し、寝室へ入る。ベッドサイドの引き出しから、前もって用意しておいたものを取り出し、トレンチの内ポケットへ滑り込ませた。
それから作業台へ戻り、何事もない顔でデザイン画の続きを引く。
アレックが来る。驚く理由はどこにもない。
前の人生でも、ヴィアンの盗作を暴こうとしたせいで、アレックに人を差し向けられた。
あのときは無防備だった。肋骨を二本折られ、右手の小指も折れ、丸一か月ベッドから起き上がれず――自分を証明するための最良の時期を逃した。
ヴィアンはいずれ必ず、アレックを焚きつける。だからこそ、ノ拉に動きを見張らせていた。
思ったより早いだけ。準備は、できている。
――前の人生。泣きながら理由を問うた自分に、アレックはただ冷たく言った。
「触っちゃいけないものに触れた」
今度は、その言葉の意味を――本人に骨身で理解してもらう。
二十分後。
ドンドン、と扉が叩かれた。
エラは鉛筆を置き、ドアの前へ立つ。
「どなた?」
一瞬の静寂のあと、聞き慣れない男の声。
「電力会社だ。点検に来た」
エラは少し黙り、わざと自分から扉をわずかに開けた。
外には、体格のいい男が三人。
「こんな時間に、点検?」エラが訊ねた。
返事はない。
三人は一気に押し入り、防犯チェーンを力任せに引きちぎった。
エラは目を見開き、怯えたふりで後ずさる。
「な、何するの?! やめて!」
「話をするだけだ」男がドアを閉め、短く言い切った。
「知らない人と話すことなんてない! 出てって!」エラが声を張る。
男が鼻で笑う。
「嬢ちゃん、利口にしとけ。次に来るのは、俺ら三人だけじゃ済まねえぞ」
エラは三人を見て、首をすくめる。
男たちは、ようやく怯えたと勘違いしたらしい。大股でリビングへ入ってくる。
狭い部屋が、いっきに圧迫された。
「……で。何の話?」エラが警戒を隠さず問う。
男は答えず、作業台へ行き、描きかけのデザイン画をつまみ上げてざっと眺めると、机へ放り投げた。
「へえ。才能あるじゃねえか、嬢ちゃん」
唇を歪める。
「ただな――才能ってのは、ありすぎても災いになる」
エラは男を睨む。
「それで?」
「目障りなんだよ」男の声が冷える。「人の道を塞いだなら、罰を受けるのは当然だろ」
エラは怯えと怒りを混ぜた顔で叫ぶ。
「道を塞ぐって何よ! 努力したら罪なの?! 回りくどいのはいい。ヴィアンがあなたたちを寄こしたんでしょ!」
男は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに薄笑いを浮かべる。
「当たりだ。お前はヴィアン様の枠を奪って、盗作だなんだと汚した。クレモン家を出たら、誰も手が出せねえとでも思ったか?」
「違う!」エラが叫ぶ。「奪おうとしてるのはあっち! 盗んでるのもあっちよ!」
男が目を細める。危うい光。
「まだ言い張るか?」
大きな手を振った。
「なら、デザイン画は全部燃やせ」
「やめて!」エラが飛びかかろうとした瞬間、男が腕を掴んで引き戻す。
「利口にしろ、嬢ちゃん。大人しくしてりゃ、紙だけで済ませてやる。だが――」
男は拳を鳴らした。
「逆らうなら、少し躾けるくらい、なんでもねえ」
「……そう」エラが、ぴたりと抵抗をやめた。
その冷たい笑みに、男が一瞬たじろぐ。
次の瞬間。
男の首筋に、ひやりとした感触。
鋭い刃が一気に押し当てられ、頸動脈の上で止まった。
