第82章 さっきのはあなただったのか

桐生冬紀は相手の胸元にほど近く、鼻先にふわりと触れる淡い香りを嗅ぎ取った。

知らない匂いなのに、不思議と心地いい。

得体が知れない。だからこそ、確かめたくなる。

ぼうっとしたまま、反射的に顔を上げる。相手の素顔を見ようとして――その瞬間、また視界が闇に落ちた。

男が、ずり落ちていた黒い布を拾い上げ、彼女の後頭部で結び直したのだ。

一瞬だけ戻った視界に映ったのは、男の顎のラインだけ。

少なくとも、桐生冬紀がいちばん見慣れた御堂怜央ではない。

「……お名前、伺っても?」

低く尋ねると、男はわずかに間を置いた気配だけを返し、答えないまま布を結び終えた。

そして、彼女の手を取る。

...

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