第89章

藤堂静香の前を通りすぎざま、神宮寺怜央は冷えた声で言った。

「神宮寺雅人が、とっくに離婚届を渡してたはずだ」

「……どういう意味?」

藤堂静香は目を見開き、怜央を見上げる。胸の奥がざわついて、嫌な予感がまとわりついた。

「この家は一度、おまえのせいで壊れた。まだ大人しくできないなら、さっさと署名しろ」

実際、十七年前――怜央が誘拐され、ようやく見つかって戻ってきた直後。雅人はすでに離婚の書面を用意していた。

だが静香は頑として判を押さなかった。

怒った雅人は家に戻らなくなり、外で暮らすようになった。

それからの年月、宗一郎は静香を不憫に思い、離婚の話を蒸し返せずにいた。

ま...

ログインして続きを読む