第3章
綾辻穂弥視点
クロスホテルのロビーは煌々と輝き、S市きってのエリートたちが集うパーティーがたけなわだった。私は神崎空の腕に手を添え、献身的な妻の役を必死に演じていた。
けれど、見知った顔がこちらへ歩いてくるのを目にした瞬間、心臓が止まるかと思った。
「綾辻さん、神崎さん、お久しぶりです。ご結婚おめでとうございます」
桐生陸――大学の同級生で、前世での私の不倫相手。そして、神崎空を破滅させるために私が使った、武器そのもの。
相変わらず彼はハンサムで、ブロンドの髪は完璧にセットされ、その優しい微笑みはどんな女性をも魅了する力があった。
「桐生陸、どうして……どうしてここに?」
私の声は緊張に震えていた。
隣に立つ神崎空の声は、氷のように冷たかった。「桐生さん、アメリカに戻られていたとは思いませんでした」
神崎空を盗み見ると、ワイングラスを握る彼の手が微かに震え、その深い瞳に痛みがよぎるのが見えた。
その痛み――私は、あまりにもよく知っていた。
ー
「お二人はとてもお幸せそうですね」
桐生陸は完璧な笑みを崩さない。
「綾辻さん、ずいぶん変わりましたね」
私は無理に微笑んだ。
「そうかしら?」
「昔はもっと……活気があったように思いますが」
桐生陸は意味ありげに神崎空に視線を送った。
「D市でのこと、覚えていますか? あなたが言った……」
「桐生陸」
私は彼の言葉を素早く遮った。
「もう過去のことよ」
しかし、彼の言葉はすでに刃となって、神崎空の心に突き刺さっていた。
神崎空の顔が、前世で数えきれないほど見てきたのと同じように、青ざめていくのが分かった。
なんてこと。どうしてまた、こんな光景を繰り返させてしまったの?
「失礼、少し席を外します」
神崎空はグラスを置き、その場を離れた。
彼の後ろ姿を見送りながら、記憶が津波のように押し寄せてきた。
ー
前世の私は、同じパーティーで、社交界のエリートたちに囲まれながら、一人の男を破滅させる言葉を口にした。
「桐生陸と結婚すればよかった。少なくとも、彼はロマンチックなことを知っているもの」
神崎空の表情を今でも覚えている――最初は驚き、次に不信、そして最後には深い絶望。
彼は死人のように青ざめて、まるで皆の前で平手打ちされたかのように立ち尽くしていた。
会場中の人々がそのドラマの展開を見守り、ひそひそと囁き、憐れむように首を振っていた。
桐生陸でさえ、私を慰めようとした。
「綾辻さん、神崎さんのことをそんな風に言うべきじゃない」
それなのに私は? 面白いとさえ思っていた。神崎空が苦しむのを見て、楽しんでいたのだ。
ああ、あの頃の私は、どうかしていた。どうしてあんなことが言えたんだろう?
どうして自分の夫を、皆の前で辱めることができたの? どうして他の男を利用して、彼を傷つけることができたの?
私は、人でなしだった!
ー
家に戻ると、リビングルームの暖炉ではパチパチと火が爆ぜ、炎が踊っていた。
家までの道中、神崎空は一言も話さなかった。今、彼は床から天井まである窓のそばに立ち、そのシルエットからは疲労が滲み出ていた。
「空、前はあなたを傷つけたけど、でも今は……」
私は勇気を振り絞って彼に近づいた。
彼は苦々しい笑みを浮かべて振り返った。
「また彼を使って俺の心をかき乱すつもりか? それとも、俺と結婚したことを後悔しているのか?」
その笑いは、涙よりも痛々しかった。
「違う! 私は本当に変わったの! もう絶対に……」
「穂弥、疲れたんだ」
神崎空はうんざりしたように私の言葉を遮った。
「同じゲームを二度もしたくはない」
ゲーム? 私たちの結婚が、ゲームだと思っているの?
違う――私がゲームにしてしまったんだ。彼が心を閉ざすしかなくなるまで、何度も何度も傷つけて。
「ゲームじゃない! 空、私は本気なの!」
私は涙がこぼれそうだった。
「本気? 笑わせるな」
神崎空はスーツの上着を脱ぎ始める。その動きは硬かった。
その時、彼の右手の傷跡が目に入った――拳から手首にかけて走る、白い痕。
私は息を呑んだ。
「その手の傷……どうしたの?」
神崎空は静かに言った。
「昔のことだ。覚えていないのか?」
記憶が、稲妻のように私を撃ち抜いた。
一年前、私たちが出会って政略結婚のことを知った直後のこと。会社のパーティーで、酔った男に体を触られそうになった。神崎空が私たちの間に割って入り、男が持っていたグラスで殴られ、破片が彼の手を深く切り裂いたのだ。
血が床に溜まり、神崎空は痛みで顔を真っ白にしながらも、私に怪我はないかと尋ねてくれた。
その時の私は、何と言った?
「誰がお節介を焼けと言ったの? 私一人で対処できたわ」
あんなことを、本当に言ったんだ! 私を庇って怪我をした人に!
「空……」
私は声を詰まらせた。
「ごめんなさい、あの時は私……」
彼は力なく笑った。
「いいさ。もう慣れた」
涙が、止まらなかった。
「いつ、私を諦めたの?」
私は震えながら尋ねた。
神崎空は長い間黙っていたが、やがて答えた。
「最初に君が『これはただのビジネス上の関係だ』と言った時かもしれない。最初に君が人前で俺を無視した時かもしれない。最初に君が、他の男を使って俺を辱めた時かもしれない」
彼は私を見つめた。その瞳は深い疲労に満ちている。
「穂弥、愛していない相手を愛することがどんなものか、分かるか? 崖っぷちに立っているようなものだ。一歩踏み出せば粉々になると分かっているのに、それでも前に進むのをやめられない」
「でも、今は愛してる!」
私は必死に叫んだ。
「そうか?」
神崎空は階段の方へ向き直った。
「なら、なぜ君から感じるのは恐怖だけなんだ?」
彼の足音が階段に響き渡る。その一歩一歩が、私の心に重くのしかかるようだった。
私はソファに崩れ落ち、暖炉で踊る炎を見つめながら、体の芯まで凍りつくのを感じた。
