第1章

二度目の人生で、黒宮凛奈が最初にやったことは――浮気の現場を押さえることだった。

「お義兄さん……気持ちいいのは、私? それともお姉ちゃん?」

半開きの寝室の扉の向こうから、耳を塞ぎたくなるような喘ぎ声が漏れてくる。

――そこは、凛奈の部屋だ。

扉の外で凛奈はスマホを取り出し、録画を開始する。前の人生の自分とは違う。今の彼女は、異様なほど冷静だった。

勢いよく扉を押し開け、レンズをベッドの上の絡み合う男女へ向ける。三秒も経たないうちに、二人は同時に甲高い悲鳴を上げた。

「凛奈? お前、アトリエにいるんじゃ――」

男はシーツを引っ掴んで下半身に巻きつけ、顔色を失ったまま駆け寄ってくる。

「ち、違うんだ。聞いてくれ、今見たのは――」

凛奈が三年付き合ってきた恋人、西島真尾。

「どいて」

凛奈は氷みたいな視線で一瞥し、男を無視してスマホをベッドへ突きつけた。布団を頭からかぶって震えている女へ。

「黒宮司奈。さっき西島真尾のこと、何て呼んだ? お義兄さん? 私の彼氏だって知ってて、よくそのベッドに上がれたね」

「お姉ちゃん、ごめんなさい……」

黒宮司奈は布団の中でしゃくり上げて泣き出す。

でも、どうでもいい。凛奈の動画には、司奈の顔が逃げ場もなく鮮明に映っていた。

「黒宮凛奈、撮るのやめろ!」

西島真尾は自分が相手にされないことに苛立ったのか、いきなり手を伸ばしてスマホを奪おうとした。

凛奈は最初から警戒している。身をひねってかわすと同時に、反対の手で思いきり平手打ちを叩き込んだ。乾いた音が響く。

ぱんっ!

西島真尾は呆然とし、頬を押さえたまま口走る。

「凛奈、怒るのはわかる。でも司奈はお前の妹だろ。俺だって、お前がいたから知り合ったんだ。つい……抑えられなくて……。もうバレたなら、三人で一緒にさ、やっていこう? な?」

同じ唾棄すべき言葉を、凛奈は前の人生で一度、聞いている。

あのときの自分は情に縋って、屈辱を飲み込んだ。結果はどうだ。クズ二人に薬を盛られて寝たきりにされ、最後は西島真尾に階段から突き落とされて首を折った。

――だからこそ、神様がもう一度やり直す機会をくれたのなら。

「西島真尾。自分が浮気男のくせに、二人分の幸せを食い荒らせると思ってるわけ?」

凛奈はスマホを素早く操作し、薄く笑う。

「正式に通告する。別れる。あんたたちは永遠にくっついてて。二度と他人に迷惑かけないで」

「お姉ちゃん……」

黒宮司奈は布団を巻きつけたまま起き上がり、腫れた目で縋るように見上げた。

「私、ほんの出来心だったの。叩いても罵ってもいいから……お義兄さんと別れないで、お願い」

「黒宮司奈。ぶりっ子はしまって。見てるだけで吐き気がする」

凛奈は見下ろし、声を刃みたいに落とす。

「私のこと、どこまで馬鹿にしてるの? 服も、バッグも、彼氏も奪って……最後は命まで欲しいんでしょ?」

凛奈は二歳のときに攫われた。黒宮家は何年も捜し続け、その間に偶然の巡り合わせで黒宮司奈を引き取った。凛奈が黒宮家に戻れたのは十八歳になってから。

孤児院で揉まれて育った凛奈は、家族の温もりに飢えていた。司奈を本当の妹だと思って大切にした。司奈が欲しいと言えば何でも与えた。地下室で徹夜して絵を描き、何もできない司奈をH市で最も名の通った若手画家にまで仕立て上げた。

その見返りが、裏切りと殺意だなんて。

「お姉ちゃん、何言ってるの……」

司奈はまだ無垢なふりを続ける。けれど目の奥に、一瞬だけ、隠しきれない動揺が走った。

「いいよ、続ければ」

凛奈は口角を吊り上げる。その笑みは、危険なほど冷たい。

「だって、あんたとお義兄さんがベッドでよろしくやってる動画、もうネットに上げたから。トレンド入りしそうなタグも付けといた。あんたのフォロワー、今ごろ大喜びで見てるんじゃない?」

司奈の瞳が、ぎょっと見開かれる。

「お姉ちゃん、そんな……嘘でしょ……? 何を上げたの?」

その瞬間、司奈のスマホがけたたましく震え出した。

通話口から、マネージャーの半狂乱の怒鳴り声が響く。

『ネットの動画、あれ何!? あんた、いったい何やらかしたのよ!』

司奈は完全にパニックになった。甲高く叫ぶと、服を着ることすら忘れ、獣みたいに凛奈へ飛びかかる。

「消して! 消してよ! 黒宮凛奈、私を潰す気!? だって、私が西島真尾と寝ただけじゃない!」

「へえ。やっと認めた?」

凛奈は露骨に嫌そうな顔で、司奈を突き飛ばした。

「そう。潰すよ」

廊下から、どたどたと慌ただしい足音。

母の橋本美子が物音を聞きつけて飛び込んできた。

「どうしたの!? 何の騒ぎ――」

「ママ……!」

司奈は上着を引っかけると、橋本美子の胸に飛び込んでわんわん泣き崩れた。

「お姉ちゃんが、私の裸の動画をネットに……!」

「凛奈、どうしてそんな意地悪するの……!」

橋本美子は事情も聞かず、その場にへなへなと膝をついて泣き喚いた。

「私が悪かったの、全部私のせい。だからお願い、司奈をいじめないで……! 恨むなら私を恨んで……!」

そう言いながら、床を這うようにして凛奈の足にしがみつく。

「何を上げたの……消して……お願い、消して……! 家の恥は外に出しちゃ駄目よ……!」

前の人生なら、橋本美子が泣けば凛奈は折れた。仕事も、男も、最後には命さえ差し出した。

でも今度は違う。

「触らないで」

凛奈は脚を乱暴に引き抜き、床の女を見下ろす。

「司奈って、最近話題が足りないって毎日愚痴ってたよね。浮気相手とのベッド動画なら、トレンドの一位ぐらい余裕で獲れるんじゃない?」

「誤解よ!」

橋本美子は顔を上げ、必死に取り繕う。

「司奈の部屋が水漏れして、それであなたの部屋で寝てただけなの。西島真尾が入ってきたのだって、きっと司奈をあなたと間違えて――」

凛奈は、思わず笑ってしまった。怒りで喉の奥がひりつく。

こんな吐き気のする嘘を、これ以上聞く気はない。

凛奈は橋本美子をまっすぐ見据え、爆弾を落とす。

「橋本美子さん。あなた、私が実の娘だって――いつ知ったの?」

「三年前に私を家へ連れ戻したときじゃない。十三年前、もう気づいてたんでしょ?」

次のチャプター