第1章

 マイケルと付き合って五年。何者でもなかった彼が這い上がり、マフィアのボスへと上り詰めるまで、私はずっと彼のそばで支え続けてきた。

 トップに立ったら役所へ行って、正式に夫婦になろう。そう彼から約束されていて、今日こそが、その婚姻届を提出する日になるはずだった。

 これまでにも、彼は自分の初恋の相手、イヴェイン・プライスのせいで提出を八回も延期してきた。

 九回目の正直。十回目なんて、絶対にあり得ない。

……

 私は役所の記載台に座り、目の前にある婚姻届を見つめていた。私たちが籍を入れようと試みるのは、これで九回目だ。

 隣に座るマイケルは、スマホをスクロールしている。自分の記入欄は、すでに上の空で書き終えていた。

 私は日付の欄へとペンを滑らせた。手が震える。

 今度こそ大丈夫。だよね、マイケル?

 深呼吸をして、まさに日付を書き込もうとしたその時――ガラス扉が勢いよく開いた。

「マイケル!」

 イヴェインが目を真っ赤に腫らし、涙ぐみながらフロアを駆け抜けてきた。私には目もくれない。

「マイケル!」彼女の声はひび割れていた。「仕事ですごく大きなトラブルがあって……契約書の条件が全然分からないの。お願い、一緒に見て!」

 日付の欄の上で私のペンはピタリと止まり、ゆっくりと首を向けてマイケルを見た。

 彼はイヴェインを見つめ、私を見て、そしてまたイヴェインに視線を戻した。その額には、うっすらと汗がにじんでいる。

「イヴェイン、俺は今、ちょっと取り込み中で――」

「マイケル、今日の午後にはこの契約書にサインしなきゃいけないの!」イヴェインは彼の腕にすがりついた。「どうしたらいいか分からない。お願い。こんなの分かるの、あなたしかいないのよ」

 マイケルの表情が変わるのを、私はただ見つめていた。罪悪感と心配が入り混じった、あの見慣れた顔。

 まただ。

 一回目の記憶が脳裏をよぎる。役所の外に立っていた時、マイケルのスマホが鳴った。

「イヴェインが海外から帰国したんだ。空港まで迎えに行かないと」

 彼は私を階段に取り残し、角を曲がって消えていく彼の車を、私はただ見送った。

 二回目は、入り口のドアのところまで来ていた。マイケルのスマホが震え、メッセージを読んだ彼の顔から血の気が引いた。

「イヴェインが病院に運ばれた。アレルギー反応だって。ごめん、行かなきゃ」

 三回目。私たちは駐車場にいた。「イヴェインがバンジージャンプをするんだけど、怖がってるんだ。俺がいてやらないと」

 四回目。五回目。六回目。七回目。八回目。

 いつもイヴェイン。いつも緊急事態。いつも「次は絶対に籍を入れよう、約束する」。

 そして私は、そのたびに「分かった」と頷いてきた。

 だけど、これが九回目だ。

「レミー……」マイケルがすがるような目で私を見ていた。「俺は……」

 私はペンを置いた。不思議なほどの静けさが私を包み込んでいく。ふふっ、と笑いがこぼれた。

 マイケルが凍りつく。「レミー?」

「いいのよ」と私は言った。「仕事は大事だもの。行ってあげて」

 瞬く間に、マイケルの顔に安堵の色が広がった。彼は急いで立ち上がり、ジャケットを掴む。

「分かってくれてありがとう。次は絶対に来よう、誓うよ。次こそ絶対に籍を入れよう」

 前回も同じことを言っていた。その前も。さらにその前も。

 イヴェインと共に去っていく彼を見送る。突然、このフロアがやけに明るく、そしてうるさく感じられた。

 目の前にある婚姻届に視線を落とす。私はそれを真っ二つに引き裂いた。

 九回、私は待った。

 九回、彼は彼女を選んだ。

 引き裂かれた紙片を、記載台の脇にあるゴミ箱へと落とす。

 私は立ち上がり、一度も振り返ることなくその場を後にした。

 外は思いのほか冷え込んでいた。階段のそばにあるベンチに腰を下ろし、スマホを取り出す。

 メールの受信箱はパンパンだった。何十通もの未読メッセージ。そのすべてが、私が数ヶ月間無視し続けてきた仕事のオファーだ。画面をスクロールしていく。

 そして、それを見つけた。

「件名: シニア戦略企画ディレクター - コルレオーネ・グループ」

 私はその名前を、長い間じっと見つめた。

 コルレオーネ。

 三年前、サリヴァン家が港でコルレオーネの積荷を襲撃し、数千万円相当の物資を強奪した。その襲撃でコルレオーネのメンバーが一人命を落とし、三ヶ月にも及ぶ血みどろの抗争が引き起こされた。

 上層部がようやく停戦を仲介した際、サリヴァン家はマンハッタンから永久追放され、そこはコルレオーネの完全な縄張りとなった。

 マンハッタン。コルレオーネの領地の中心。マイケルのファミリーが、絶対に手を出せない唯一の場所。

 私の親指がキーボードの上を動いた。

「コルレオーネ様

 この度はオファーをいただき、誠にありがとうございます。

 謹んでお受けいたします。

 つきましては、勤務開始日についてご教示いただけますでしょうか。

 何卒よろしくお願い申し上げます。

 レミー・クーパー」

 送信ボタンの上で、指が宙に浮く。

 そして、私はボタンを押した。

 マイケル。私がマンハッタンに着いたら、私たちは終わりよ。

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