第2章

 男は手を止めなかった。

 男の指が再び押し当てられ、ぐっしょりと濡れた細い布越しに、ゆっくりと円を描き始めた。その圧は正確無比で、完全に計算され尽くしている。自分の意志とは裏腹に、全身が小刻みに震えた。

 耳元に吹きかかる男の吐息は熱を帯びていた。「感じてるんだろう? こうして俺にぴったりと押し付けられてさ」

 屈辱のあまり、喉がぎゅっと締め付けられる。「私、初めてなんです。こんなこと……今まで一度もしたことない。だから、お願い、放して……」

 そう言えば、男も手を引くはずだと思っていた。だが現実は違った。私の腰を掴む手はさらに力を増し、背後からより強く身体を押し付けてくるのがわかった。

「初めて?」男の声が一段と低く、甘くなる。「最高だな。じゃあ、これがどれだけ気持ちいいものか、俺がたっぷりと教えてやるよ」

 恐怖を感じるべきだった。もっと必死に抵抗しなければならなかった。けれど、私の中で何かが歪に蠢いていた――それは好奇心だったのか、それとも、あえて名前をつけたくないような、もっとほの暗い感情だったのか。

 眠れない夜更けに、自分で自分を慰めたことならある。それでも、奥底にある疼きが満たされることは決してなかった。もしこれが生身の人間だったら、実際にその熱を感じられる相手とだったら違うのだろうかと、ふと想像したこともあった。

 だが、こんな形は望んでいない。この男と、こんな場所でなんて。

 男は執拗に腰を擦り付けてくる。Tバックの細い紐など、その摩擦を遮る何の役にも立たない。布地はすでに脇へと追いやられ、くしゃくしゃに丸まって完全に意味を成さなくなっていた。

 二人を隔てる心許ない障壁越しに、男の体温がじかに伝わってくる。じわり、じわりと、その感覚が容赦のない波となって背筋を這い上がっていく。両脚はすでにがくがくと震え始めていた。

 恐怖と快楽への渇望がぐちゃぐちゃに絡み合い、もはやどちらが自分を支配しているのかすらわからなくなっていく。

 男の動作に焦りはなかった。片腕で背後から私の身体をしっかりと抱き込み、もう一方の手で腰のラインからゆっくりと上へ這わせていく。

 レース越しに手のひらで乳房を乱暴に包み込まれた瞬間、その無遠慮な圧力が、私の理性をさらに崩壊させた。

 膝からがくりと力が抜ける。そのまま立っていることすらできず、私は背後の男にぐったりと寄りかかるしかなかった。

 男の人にこんなふうに触られるのは初めてだった。自分の手ではなく、他人の手によって自分の身体が熱く反応してしまうのも。快感はゆっくりと、だが確実に全身へと広がり、私の中に僅かに残っていたはずの抵抗の意志をいともたやすく打ち砕いていく。

 その時、ふっと男の身体が離れた。

 突然の喪失感は、触れられていた時よりも強烈なショックを与えてきた。衣服を身に着けているかどうかなど関係なく、まるで全身の皮を剥がれ、無防備に晒け出されているような錯覚に陥る。

 だが次の瞬間、男の手はさらに下へと滑り込み、スカートの裾の中へと姿を消した。

 指先がTバックの端を捉え、流れるような手つきでそれを横へと引っ張る。最も無防備な秘所に、ひんやりとした空気が触れた。

「いや――」悲鳴のような声が喉から絞り出される。「お願い、やめて――」

「わかってるよ」男の声は、どこか退屈しているようにすら聞こえた。「口では嫌だと言いながら、身体は真逆のことを訴えてるからな」

 私は両腿をきつく閉じ、息を殺した。自分が今、男にどんな体勢をとらされているのか。この後、何が起きるのか。痛いほどわかっていた。

 その時、カチャリとベルトのバックルを外す音が耳に届いた。

 鋭い金属音が、鳴り響く重低音を刃物のように切り裂く。私は文字通り、凍りついたように動けなくなった。

「待って――」

「しっ」男の手のひらが、私の口を乱暴に塞いだ。「初めてなんだろ。大人しくしてろ」

 背後で男が身動きする気配がした。そして、鈍く焼けつくような熱い塊が、素肌に直接押し当てられた――布越しではない。直接、肌にだ。

「やめ……ッ」声がぶざまに震える。

 男は、自らの手でぐずぐずに濡らした熱の奥へと指を一本滑り込ませた。ゆっくりと、焦らすように引き抜かれたその指は、私が目を逸らせないよう、顔のすぐ横に突きつけられた。

「いい加減、誤魔化すのはやめろよ」空いたほうの手で自身の熱い昂ぶりを握り込むと、男はその焼けつくような硬直を私の両腿の間に挟み込み、ゆっくりと前後に擦り付け始めた。「こんなふざけた下着を着けてる女が、ウブなわけないだろ。見ろよ、こんなに濡らして。お前の口は嘘をついても、身体は正直に答えてるぜ」

 その生々しい感触に、私はその場に縫い留められたように身動きがとれなくなった。剥き出しで、火傷しそうなほど熱く、私が想像していたどんなものよりも太くて硬い塊。

 男は私の最も敏感な場所を執拗に擦り上げる。まるで、夜明けまでたっぷりと時間をかけるつもりだとでも言うように、どこまでも悠然とした動きだった。

 男の手が私のお尻を鋭く叩いた。強い力ではなかったが、その振動は身体の芯まで真っ直ぐに響いた。

「力抜けよ」男が耳元で囁く。「すぐにもっと欲しくなる」

 屈辱感が限界まで膨れ上がり、心の中まで完全に丸裸にされたような感覚に陥る。

「どうかしてる……」私の声はひどくかすれていた。「警備員を、呼ぶわよ」

 男は微塵も怯まなかった。それどころか、ますます面白がるような表情を浮かべる。

「どうぞ。喉が裂けるくらい叫んでみろよ。この爆音じゃ、誰にも聞こえやしないさ」

 男の言う通りだった。耳をつんざくような爆音。ここにはルールなど存在しない。誰も助けになんて来てくれない。

 抵抗したかった。それなのに、腰の辺りにあったはずの拒絶反応は、静かに溶け崩れようとしていた。

 その時だった。ストロボの激しい光が、私たちの頭上を舐めるように通り過ぎたのは。

 暴力的なまでの白い光が、何の前触れもなく私たちのいる片隅を照らし出す。周囲の客たちが一斉に振り返った。あまりにも多すぎる視線。少なくとも十数人の酔っ払いたちが、こうしてあられもなく密着している私たちの姿をまじまじと見つめていた。

 男は片手を這い上がらせ、レース越しに私の胸を鷲掴みにすると、わざと見せつけるように、群衆に向かってゆっくりと揺さぶってみせた。

「すげえな、おい!」

「いけいけ、兄ちゃん!」

 下品な野次が飛び交う。さらに多くの視線が集まる。誰かがスマートフォンを掲げるのが見えた。

 羞恥で全身が焼け焦げそうになり、私は男を力任せに突き飛ばそうとした――だが、男は私の首根っこを掴んで強引に振り向かせると、その唇で私の唇を無慈悲に塞いできた。

 私は驚愕のあまり、両目を限界まで見開いたまま硬直した。

 男の舌が私の歯列をこじ開けて口内を蹂躙する。その間も下半身は私の下腹部にぴったりと押し付けられたままで、大勢の観衆の面前で口づけを交わしているこの瞬間も、身動きするたびにあの硬い熱がぐりぐりと押しつけられてくる。

 鳴り響く指笛。下卑た歓声。どこかの女が腹を抱えて笑い転げる声。

 私を抱きすくめる男の腕は、まるで鋼鉄の檻のようだった。逃げ場などどこにもない。口内を男の舌に荒らされながら、私はただ彼に縫い留められたように立ち尽くすしかなかった。

 ようやくストロボの光が去ると、野次馬たちもすぐに興味を失い散っていった。男が私の唇を解放する。

 私は男の胸を突き飛ばし、むせ返るように酸素を吸い込んだ。立っているのがやっとだった。「あなた、頭おかしいんじゃないの!? みんな見てたわ。動画も撮られて――」

 男は一歩も引かなかった。それどころか、両手を私の腰へと滑らせ、力強く鷲掴みにしてくる。

「ちょっと、何を――」

 男は私をひょいと持ち上げ、強引につま先立ちの姿勢にさせた。転倒を避けるため、私は咄嗟に男の肩へとすがりつく。

 体勢の変化がもたらす結果は一瞬だった。あの硬い熱がさらに下へと滑り込み、男自身の手によってぐずぐずに濡らされた私の急所へと、寸分の狂いもなくあてがわれたのだ。

「降ろしてよ――」

 男は私の腫れ上がった下唇に親指を押し当て、意地悪く口角を上げた。「周りの連中は、俺たちがデキてるって勘違いしてるぜ。ここは大人しく乗っておくのが賢明だろ」

 耳は昔から私の最大の弱点だった。男の唇がそこに触れた瞬間、腰の奥の緊張が私の意志を無視してあっけなく解け落ちてしまう。

 男はそれを瞬時に察知し、ぐんと腰を前に押し出してきた。

 両腿の間に焼けつくような熱が走る。私は必死に力を込め、これ以上奥へ侵入されないよう筋肉を固くして抵抗した。

 無言の攻防戦。だが、優位に立っているのは明らかに男のほうだった。引き返せない一線のギリギリ手前まで、じりじりと容赦なく侵入されていく。

 このままでは、顔すらまともに見えない見知らぬ男に、私の初めてを奪われてしまう。そんなこと、絶対にさせるわけにはいかない。

 絶望的な焦燥感が私を無謀な行動に駆り立てた。私はありったけの力を込め、男の太腿に爪を深く食い込ませた。

「痛ッ……」男が短く息を呑み、ほんの一瞬だけ拘束が緩む。その隙を突いて、私は身体を前へと逃がした。

 荒い息を整える間もなかった。突然、フロアの群衆が大きくうねり始めたのだ。周囲の人間たちが重低音のビートに合わせて一斉に飛び跳ね始め、その巨大な波が人々のバランスを次々と崩していく。

 背後にいた誰かが体勢を崩し、私の背中に勢いよく激突してきた。その凄まじい衝撃が、私を不意打ちで男のほうへと突き飛ばす。

 男の手が私の腰を咄嗟に支えようとしたが、私の身体は止まらなかった。下へ、そして前へ――私の全体重が、まっすぐに男へと押し付けられる。

 その瞬間、焼けつくように熱く、ゆっくりと引き裂かれるような感覚が走った。

 息が止まる。

 嘘でしょう。それはもう、私の中に入り込んでしまっていた。

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