第4章 なかなかやるな
彼女はごろりと寝返りを打ってベッドにうつ伏せになると、枕元からノートパソコンを引っ張り出した。外装はやけにくたびれていて、ぱっと見は年代物だ。
だが電源を入れ、指先がキーボードを走り出した瞬間――反応は外見に反して鋭い。
このマシンのパーツはすべて、水島三久が自分で選び、組み上げた。中身は一級品。
黒い画面にコードが流れ、行がするすると上へ吸い込まれていく。カーソルが最後の二行で三度点滅し、水島三久はエンターキーを叩いた。
ポップアップが跳ねる。
『状況は?』
「計画は順調……」
少し考えて、付け足す。
「今夜は天野真司の家で、おじい様と食事。注意点は?」
天野真司は普段、旧宅で三人の弟と暮らしている。
祖父は郊外の療養院が主で、旧宅には滅多に戻らない。
弟たちは心配していなかった。年は自分のほうが下でも、立場は上――ややこしくはならない。
問題は天野おじい様だ。どんな性格か掴みきれない。なら、好みから攻めるしかない。
カーソルが点滅し、すぐ返信が来た。
『酒は飲むなよ。他はいつも通り』
「……」
水島三久は呆れて唇を尖らせる。ノートを閉じようとした、その時。
また一行、画面に浮かび上がった。
『G国王室のあの方が会いたがっている』
金髪碧眼の男が脳裏をよぎり、彼女は二文字だけ打ち込む。
「無理」
すぐ返ってくる。
『感謝したいだけだそうだ』
「感謝なら現金化してカードに振り込めって伝えて」
『……』
向こうが黙ったので今度こそ閉じようとすると、画面が一瞬ちらつき、またメッセージが届いた。
『明日夜6時、シーズンホテル1888号室。私一人だ』
水島三久は少し迷い、最後に「ok」と打って会話を切った。
再びベッドに倒れ込み、ゆっくり目を閉じる。
雑物置きにはエアコンがない。窓も小さく、空気がこもって息苦しい。入って間もないのに、肌に薄い汗が浮いた。
ふと目を開ける。
出る前に天野真司が言っていた。祖父はおとなしい子が好きだ、と。
おとなしい子……。
――なるほど。今夜の前に、服を選ばないと。
……
夕暮れ。夜の帳が降りるころ。
天野家の旧宅には、すでに灯りがともっていた。
「もう6時近いぞ。まだ来ないのか?」
天野おじい様は筆を持ったまま掛け時計を睨み、リビングのソファで書類を捌く天野真司へ、不満げな視線を投げた。
返事はない。
視線はそのまま、茶卓のそばにいる次男と、三男の澄人へ移る。
――やはり無言。
天野おじい様は苛立って毛筆を机に放った。書きかけの書は途中で止まっている。
「じいちゃん、俺がいるじゃん」
末っ子の天野遊星が、すかさず満面の笑みを作る。筆を片付け、天野おじい様が机を回り込むと、すぐに支えて茶卓へ座らせた。
普段から祖父の機嫌取りは、だいたい遊星の担当だ。
茶卓には湯気の立つ急須。次男の天野拓也が茶を注ぎ、祖父の横へそっと置く。
「雨成大学から車なら、道が良くても20分はかかるよ。今5時40分台だろ? 焦りすぎじゃない?」
拓也は穏やかな声でそう言い、ゆっくり茶を口にした。
天野おじい様は眉をひそめ、別の刺を探す。
「三久が初めて家で食事するのに、なぜ君たちは迎えに行かない?」
「……」
このままだと水島三久が来るまで延々と粗探しを続けそうだ。
沈黙していた澄人が、遊星へ目配せする。話題を逸らせ、という合図。
遊星は困った顔をしたが、ふと思い出したようにスマホを取り出した。
「じいちゃん、今日さ、めちゃくちゃ面白い話があって。うちの学校のトップの不良が殴られたんだけど、殴ったのが小さい女の子でさ。見た目は超かわいいのに、やることが――いや、足が――とにかく凶暴で! 写真もあるんだ、見せるね……」
遊星が盛り上がった瞬間、天野真司が書類をめくる手をわずかに止めた。
「そのトップの不良、内田浩司か」
「え? 兄貴も知ってるの? やっぱ内田浩司の件、話題になってんだな」
遊星はスマホを漁りながら言う。
「その子の写真、俺わざわざ保存して――」
「大旦那様、三久さんがお着きです」
いつの間にか池田守が入ってきていた。
その背後には、ピンクのマーメイドドレスを纏った少女が立っている。息を呑むほど整った顔立ち。瞳にはかすかな笑み。清潔で、眩しい。
一瞬で全員の視線が水島三久に集まった。
ちょうど写真を見つけたばかりの遊星も顔を上げ――固まる。
スマホと水島三久を三、四度見比べ、目を丸くした。
まさか。兄貴の奥さんが、噂の怪力女……?
「三久、来たか! ほら、じいちゃんに顔見せてくれ!」
天野おじい様が手招きする。
水島三久は手提げを握り、スカートを軽く持ち上げて歩み寄った。
遊星は席を譲ったが、好奇心の視線は止まらない。
天野家は男ばかりで、全員185センチ超え。小柄な水島三久はその中でいっそう華奢に見えた。
――これで内田浩司を? どうやって?
「久しぶりだなぁ。三久も立派な娘になった……はぁ、わしも歳を取った」
天野おじい様は感慨に沈み、気分が落ちたようだった。
天野家の男たちは揃って眉を寄せる。
祖父は退院して間もない。体は戻っても、情緒が不安定で――。
