第6章 まさかの展開
天野遊星は天野おじい様のすぐそばにいて、二人が杯を重ねる様子を眺めながら、どこか面白がるように天野真司を見た。
「兄貴、止めないとさ。……このままだと義姉さん、じいちゃんと義兄弟の契り結ぶぞ? そしたら兄貴、義姉さんのこと大叔母さんって呼ぶ羽目になるんだけど」
隣に座る天野澄人が、ちらりと遊星を睨む。
「本当に結んだら、水島三久は天野家全員の大叔母さんになる。君のもな」
「……」
天野遊星の顔から、さっきまでのニヤつきが一瞬で消えた。
「そんな小さい大叔母さん、いらねぇ! 兄貴、早く義姉さん止めて!」
「……」
天野真司は頭痛を堪えるように眉骨を押さえた。どう見ても、止める気がない顔だ。
「じいちゃん! 落ち着けって! その人、俺の義姉さんだから!」
三人の兄が誰ひとり動かないのを見て、遊星は仕方なく、すでに出来上がっている天野おじい様の肩を揺すった。
水島三久は天野おじい様とすっかり意気投合し、気分は最高潮。邪魔が入ったのが気に入らないのか、手をひらひら振って追い払う。
「しっしっ。大人の話に子どもは口出ししない!」
ぐいっともう一杯あおり、空のグラスをテーブルへコトンと置く。次を注ごうとして、ふと天野おじい様の手元を見ると、グラスが止まっていた。
「兄貴、弱いな。ほら、早く飲め!」
「……」
天野遊星は完全に言葉を失った。
天野家で、祖父の頭を押さえつけるみたいに酒を飲ませる女なんて、水島三久が初めてだ。
「兄貴が娶った女、面白いな。家がこんなに賑やかなの、久々だろ。拓也兄さん?」
天野澄人はワイングラスを軽く揺らし、隣の天野拓也へ視線を投げる。口調はからかい混じりでも、目の奥の笑みは隠しきれない。
天野夫婦が亡くなってから、この家はずっと冷えきっていた。
天野真司が20歳で天野グループを継いだ頃は、内部抗争が最も激しい時期だった。兄弟は真司と同じ道を歩き、血縁同士の争いがどれほど冷たいものか、嫌というほど見てきた。だからこそ、同年代の誰よりも早く大人になった。
天野家は医療機器で成り上がり、そこから他業種へ広げていった。兄を支えるため、拓也は医学、澄人は法曹、遊星は芸能界へ。それぞれの場所で噛み合い、天野家は商界での地位を守った。
それでも――家と呼ぶ場所には、どこか足りないものがあった。
天野拓也は口元をゆるめ、穏やかな笑みで三人の騒ぎを見た。
「確かに。義姉さん、案外いい孫嫁になるかもしれないな」
天野家が沈黙していた時間は長い。こんなふうに腹の底からの笑い声が響くのは、いつぶりだろう。
夕食は珍しく二時間も続いた。天野おじい様だけでなく、止めに入った天野遊星まで、水島三久に半瓶の赤を押し込まれて撃沈した。
それなのに水島三久は、まるで最初の一杯と変わらない顔で椅子にもたれ、指先でテーブルをトントン叩く。
「二人とも弱すぎ。起きて飲め!」
天野おじい様は手を振って、あっさり白旗。
「げふっ……」
天野遊星は酒嗝を漏らし、ふらふらと同じく手を振った。
「もう無理……義姉さん、いや……大叔母さん。これから、俺の大叔母さんっす……」
「……」
天野真司はさすがに見ていられず、軽く息を吐いて冷たく言った。
「水島三久。もう飲むな」
「誰が飲むなって!」
水島三久がくるっと振り向き、凶悪に睨みつける。
天野拓也と天野澄人が、酒乱が来ると身構えた――その瞬間。
水島三久は天野真司の顔を見た途端、ぴたりと大人しくなった。
「はい、天野さん」
「……」
「……」
二人は顔を見合わせる。ますます面白い。
「歩けるか」
天野真司はそっけなく彼女を一瞥し、横から刺さる興味津々の視線は無視した。
水島三久は勢いよく立ち上がり、首を傾けてOKの手振り。
「問題なし。直線で歩けます!」
灯りに照らされた赤い頬が、妙に無邪気で幼い。
天野真司の表情がわずかに崩れ、どこか諦め混じりに言う。
「行くぞ。学校まで送る」
「はい! 天野さん!」
語尾がふわりと弾む。笑う眉目みたいに楽しげで、周りまで染めていく。
……
駐車場は旧宅の西側だ。
水島三久はふらふらと天野真司の後ろをついて行き、回廊の途中でふいに立ち止まった。
回廊の灯りは音声感知。真司の足音が遠ざかると、灯りがすっと落ちる。背後の気配が止まったのに気づき、真司は振り返った。
夜の中、月光に滲む彼女の顔はどこか朧だ。
「天野さん」
その瞬間、灯りがぱっと点いた。
「今夜、月が綺麗」
「……」
回廊の真ん中で、彼女は笑っていた。眉尻も目尻も、笑みで満ちている。
簡単で、熱い笑み。
胸の奥を、何かが小さく撃ち抜いた。知らなかった感覚が、静かに芽を出す。
数秒見つめて、天野真司はため息をついた。
「早く来い」
「うん」
真司は歩き出す。だが足取りは、さっきより遅かった。
駐車場に着くと、池田守はまだ戻っていない。
二人は後部座席に座った。左と右、距離を空けて。
「今後、酒は禁止だ」
天野真司は目を伏せ、赤い頬を見た。祖父と遊星を灌倒した光景が蘇り、こめかみが疼く。
手で押さえ、ゆっくり目を閉じる。再び目を開けた瞬間――水島三久の顔が、すぐ目の前にあった。
天野真司の瞳がわずかに揺れる。だが身体は動かない。
彼女の匂いは甘い香水ではなく、雨に濡れた雛菊みたいに淡く澄んでいた。
視線が唇へ落ち、喉仏が小さく動く。
「下がれ。……契約を忘れるな」
水島三久はむっとして引き下がり、ぶつぶつ言う。
「契約第一条、婚後は家のことを外に漏らさない、天野家の立場で得をしない。第二条、接する時は礼儀を守る、勝手に身体に触れない。詳しくは追加条項……」
天野真司の目が深くなる。
「暗唱しなくていい」
「契約に酒禁止はない」
水島三久は不満げに眉を寄せ、またじりじり近づいた。
「それに、なんで触っちゃダメなの?」
