第3章
恵美視点
港町がまだ眠りについている時間に、私はランニングシューズに足を通す。空は夜明け前の、あの薄灰色だ。コテージをそっと抜け出し、海岸沿いに続く木の遊歩道へと向かう。
吐く息が小さな白い雲になる。空気は冷たく澄んでいて、東浜市のものとはまるで違う。足が板を叩く音が、規則正しいリズムを刻む。眼下の岩には、海が砕け散っていた。
深く息を吸い込む。誰にも見られていない。守るべきスケジュールもない。冷たい大理石の廊下もない。
朝のランニングは、黒木邸での私の唯一の逃げ場所だった。手入れの行き届いた庭園と、がらんとした部屋々々を持つ、あの巨大な屋敷。私が自分のものだと主張できたのは、走っていた私道の区間だけ。それ以外はすべて、あの家族のものだった。尚人のもの。まるで衣装のように身にまとっていた、あの名前のもの。
ペースを上げる。遠くに灯台が見えてくる。
そのとき、記憶が蘇った。
病院の一室。眩しすぎる蛍光灯の光。運動が抗がん剤の副作用の緩和に効くかもしれない、と医者は言った。髪はもう抜け落ち、頭をスカーフで覆い、体は立つのがやっとなくらい衰弱していた。私は屋敷の庭を、石壁に片手で掴まりながら、よろよろと歩き回ったものだ。
尚人は二階の窓から見ていた。私が見上げて微笑みかけようとすると、彼はさっとカーテンを閉めた。
そのときは、忙しいのだろうと自分に言い聞かせた。今ならわかる。彼はただ、あんな姿の私を見たくなかっただけなのだ。
胸が締め付けられる。その映像を振り払おうと、さらに速く走る。呼吸が大きく、荒くなっていく。
そして、それは起こった。
空気が肺に届かなくなる。胸が収縮する。足がもつれる。ポケットに手を突っ込む。
空っぽ。
吸入器を忘れてきた。
砂の上に膝から崩れ落ちる。視界の端がぼやけ、指が地面を掻く。耳鳴りがどんどん大きくなる。
生まれ変わればすべてが変わると思っていた。でも、体に刻み込まれて消えないものもある。前世からの喘息は、まだここに在る。
足音。速い。近づいてくる。
「おい! 大丈夫ですか、聞こえますか!」
声。男の人の。切羽詰まった声。
誰かが隣に膝をつく。温かい手が私の肩を掴み、支えてくれる。力強いけれど、優しい手つきだ。
話そうとするが、ヒューヒューという喘鳴が漏れるだけだ。
「しっかり。僕がついていますから」
ぼやけた茶色い髪と、心配そうな目が見えた。そして、すべてが真っ暗になった。
目が覚めると、鼻の下にプラスチックのチューブが通されていた。酸素だ。胸の圧迫感はもうない。呼吸ができる。
瞬きをして、周りを見渡す。小さな診察室。清潔な白い壁。手洗いやインフルエンザ予防接種を呼びかけるポスターが貼ってある。
隅の机で、誰かが私に背を向けて何かを書いている。青いスクラブ。少し癖のある茶色い髪。
彼が振り返る。
温かみのある茶色い瞳。よく笑う人なのだろうとわかる顔立ち。思っていたより若く、三十代前半くらいだろうか。スクラブにはまだ砂がついている。
「目が覚めましたか」彼の声は優しい。「外では肝を冷やしましたよ」
身を起こそうとする。頭がくらっとした。
彼はすぐに立ち上がり、片手を私の肩に置く。「無理しないで。ここは僕の診療所です。浜辺でひどい喘息発作を起こしたんですよ」
彼の触れ方は自然で、丁寧だ。冷たくも、よそよそしくもない。ただ、そこに在る。
服や靴にまだ砂がついているのに気づく。彼がここまで運んでくれたんだ。
「喘息はいつからですか?」彼は椅子を引き寄せながら尋ねた。
「数年前からです」声がかすれる。「いつもは吸入器を持っているんですけど、忘れちゃって」
彼の表情が変わる。「いつもは? それじゃダメですよ。喘息はそれほど重い病気ではないけれど、油断すると危険なこともあるのよ」
私は凍りついた。
私の生き死にを誰かが気にかけてくれたのは、いつ以来だろう。尚人は私の健康を尋ねたこともなければ、私が病気なことに気づきもしなかった。前世の最後の年、彼は一度も見舞いに来なかった。
見ず知らずのこの人は、私の安全について説教している。でも、その目は怒っているのではなく、心配してくれている。
まったく別の理由で、喉が詰まる。
彼は自分の口調が厳しかったことに気づいたようだ。表情が和らぐ。そして、手を差し出した。「僕は早瀬亮介。みんなからは亮介って呼ばれてます。崖の上の家の、新しいご近所さんでしょう。藤原さんから聞いてましたよ」
私はその手を取る。温かくて、尚人の外科医の手よりごつごつしている。本物の手だ。「恵美……和泉恵美です」
危うく黒木、と言いそうになる。習慣で口をついて出そうになった名前を、寸前で飲み込んだ。
もし亮介がその躊躇いに気づいたとしても、彼はそんな素振りは見せない。ただ微笑んだ。「港町へようこそ、和泉恵美さん。もっと良い状況でお会いしたかったですけどね」
彼は家まで送ると言って譲らなかった。彼の車は古いSUVで、清潔だがよく使い込まれている。後部座席は医療品と食料品の袋でいっぱいだ。ラジオからはカントリーミュージックが静かに流れている。
「それで、どうして港町に? ここに引っ越してくる人はあまりいないんですよ、特に十月なんて」
私は窓の外を流れる木々を見つめる。「変化が必要だったんです。新しいスタートが」
彼はまるで全てを理解しているかのように頷く。「わかります。僕も三年前に同じ理由でここに来たんですから」
私は彼の方を向く。この温かく、落ち着いた、屈託のない笑顔の男性にも、逃げ出したくなるような過去があったのだろうか。でも、尋ねはしない。彼もそれ以上は語らなかった。私たちは心地よい沈黙に包まれた。
コテージに着くと、彼は私が車から降りるのを手伝い、紙袋を渡してくれた。「処方箋と予備の吸入器をもらっておきました。常に一つは携帯するように」
袋を受け取るとき、指先が触れ合う。彼の手は温かく、たこができていた。働く人の手だ。
彼は私について中に入り、あたりを見回す。彼の視線は、キッチンカウンターに置かれた、ほとんど空の救急箱に留まった。
「ああ、これじゃダメだ」
彼はメモ帳を取り出して、何かを走り書きし始める。「喘息持ちの人が最低限必要なものです。長谷川さんに頼んで、店で取り置きしてもらいますから」
私はそのリストを見つめる。「そんなことまでしていただかなくても」
「医者ですから」彼はこともなげに言う。「それに、小さな町では、お互いに助け合うものなんです。それに、この町の開業医は僕一人ですから、二十四時間いつでも駆けつけますよ。あなたも、もうその一人ですよ」
胸に温かいものが広がる。恋愛感情ではない—まだ。でも、久しく忘れていた安心感があった。
彼はドアに向かい、そして振り返った。「少し休んでください。それと恵美さん? 明日は吸入器を忘れないで」
翌日、キッチンのシンクが爆発した。あたりは水浸し。使い方もろくにわからないレンチを握って床に膝をついていると、ノックの音がした。
「恵美さん? ちょうど通りかかったんだけど……うわ、なんだこれ」
現れた亮介は、洪水のような惨状を一目見て、袖をまくり上げた。五分後、彼はシンクの下に潜り込んでパイプを修理していた。
「本当に、そんなことまで」
「大丈夫、大丈夫」彼はカウンターの下からくぐもった声で言った。「みんなで助け合うんです」
四日目、母の古いアップライトピアノを車から降ろそうと悪戦苦闘していると、一台のトラックが停まった。亮介が他の男性二人と飛び出してくる。
「人手が必要だって聞いてね。こちらは三浦さんと田中さん」
「どうして……」
「長谷川さんが、引越し業者を探してるって話してたから。困った時はお互い様ですから」
彼らはピアノを運び込み、窓際に設置してくれた。彼らが帰った後、私は椅子に座ってピアノを弾いた。すると、コテージが我が家のように感じられた。
六日目、スーパーの鮮魚コーナーで途方に暮れていると、聞き覚えのある声がした。「今日のズワイガニは新鮮ですよ。調理法、教えてあげましょうか?」
一時間後、亮介は私のキッチンでズワイガニの茹で方を教えてくれていた。二人で笑いながら、袖をまくり、鍋からは湯気が立ち上っている。彼の笑い声は大きくて、心からのものだった。
公民館の掲示板にチラシを貼った。「子供向けピアノ教室」。一週間もしないうちに、三人の親から電話があった。最初の生徒は里香ちゃんという七歳の女の子で、鍵盤が逃げてしまうかのようにぎゅっと握りしめていた。
私はまた教えている。自分のお金を稼いでいる。自分のものを築いている。
黒木邸では、私は何でも持っていた。でも、何一つ私のものではなかった。触れることのできない、鍵のかかった部屋にあるグランドピアノ。尚人が決して一緒に食べてくれない食事を作る料理人たち。「黒木夫人」を演じるための衣装でいっぱいのクローゼット。
ここでは、この壊れかけのコテージで、子供たちにお箸の使い方を教え、自分で作った質素な夕食を食べながら、私は初めて生きていると感じていた。
引っ越してきて一週間後、里香ちゃんのレッスンを終えようとしていた。夕日が窓から差し込んでいる。彼女の小さな手は音階でおぼつかないが、一生懸命に弾いている。
玄関のベルが鳴った。
「お迎えが来たみたい」外から里香ちゃんのお母さんの声がする。「和泉先生、また来週!」
二人を見送り、ドアをさらに大きく開ける。
そこに亮介が立っていた。スクラブ姿ではない。ダークブルーのパーカーにジーンズ。ピクニックバスケットとブランケットを抱え、耳が少し赤くなっている。
「やあ」彼は体重を移動させる。「急で悪いんだけど、今夜、浜辺で焚き火があるんだ。町中の人が集まるんだけど。来ないかな? 僕のゲストとして」
彼はそわそわして、首の後ろをこすっている。緊急事態に慣れた医者のような自信はなく、文化祭で好きな子をダンスに誘う高校生のようだ。
心臓が胸の中で奇妙な動きをする。
前世では、私自身としてどこかに招待されることなどなかった。尚人の催しでは、私はいつも「黒木夫人」だった。肩書きであり、付属品。誰も私が何をしたいかなんて気にしなかった。誰も尋ねなかった。彼らは私がそこにいる必要があると告げるだけだった。
でも、亮介は私を恵美として見ている。ただの、恵美として。彼の目は希望と不安に揺れている。彼は要求するのではなく、尋ねている。私に選択肢を与えてくれている。
脈が速くなる。
「喜んで」
彼の顔がぱっと輝く。あの明るい、屈託のない笑顔だ。「よかった! 七時に迎えに来てもいい?」
私は頷く。
彼はほとんど弾むようにして自分の車に戻っていく。私はドアを閉め、それに寄りかかり、胸に手を当てて、心臓の鼓動を感じていた。
窓から、彼が歩き去るのを見つめる。車に着く直前、彼は小さくジャンプして、空中で小さくガッツポーズをした。
まるで、欲しかったものを手に入れた子供のように。
