第2章
朋之が車で別荘に帰り着いたのは、すでに深夜だった。
ハンドルを握りながらも、彼の脳裏にはパーティーでのあの光景がこびりついて離れなかった。静流が顔を覆って泣きながらも、『彼女のせいじゃない、全部私が悪いの』と庇っていた姿だ。その健気で思いやりに満ちた態度を思い返すたび、今夜の澪の振る舞いはあまりにも常軌を逸していると確信させられた。
彼は招待客全員に頭を下げ、妻は『情緒不安定』だの『最近プレッシャーが大きくて』だのと弁明して回らなければならなかった。向けられる同情の眼差しが、ひどく屈辱的だった。
玄関のドアを押し開けると、リビングは深い闇に沈んでいた。朋之がスイッチを入れると、明かりが照らし出したのは伽藍洞のような空間——澪の荷物が、ほとんど持ち去られていたのだ。壁に飾ってあった彼女お気に入りの抽象画は姿を消し、本棚の医学書も半分以上がごっそりと抜き取られている。
ダイニングテーブルの上に、一通の書類がポツンと置かれていた。
離婚届だ。
朋之は眉をひそめ、書類を乱暴にテーブルへ投げ戻した。本気なのか?たかがパーティーでの諍い一つで、離婚だと?
酒棚へ歩み寄り、グラスにウイスキーを注ぎながら、この三年の結婚生活を振り返る。
自分は澪に何を与えてきた?都心の一軒家、高級外車、そして働かずとも優雅に暮らせるだけの経済力。彼女の浪費を咎めたこともなければ、決断に口を挟んだこともない。
自分は良き夫であると信じて疑わなかった。
だが、澪はどうだ?彼女はただの一度も自分を心から信頼しようとしなかった。母親の死を理由にすべての男を疑い、結婚して三年経っても子供を作ろうとさえしない。だからこそ、静流と和解させ、前を向いて歩いてほしかったのだ。
それに、静流は澪が邪推するような腹黒い女ではない。あれはただの不運な事故だ。百歩譲って誰かに非があるにせよ、それは崇介の責任であり、静流を責めるのは筋違いというものだ。当時の彼女は、ただの無力な少女にすぎなかったのだから。
スマートフォンが短く震えた。
静流からのメッセージだ。
『朋之さん、ごめんなさい、全部私のせいです。私が二人の喧嘩の原因を作ってしまった。私がお誘いしなければ、こんなことにはならなかったのに。澪ちゃんとは本当に仲直りしたかったけど、やっぱり私、すごく嫌われてるみたい……』
朋之は深々とため息をついた。なぜ澪は、静流のように優しく、人の痛みがわかる女になれないのか。彼女はいつも冷たく距離を置き、まるでいくら温めても溶けない氷の塊のようだ。
「何日か頭を冷やさせればいい」朋之は独りごちた。
「外の世界で苦労すれば、誰が自分の拠り所なのか、嫌でも思い知るだろう」
*
母が死んでからというもの、この世界で頼れるのは自分自身しかいないのだと、私は骨の髄まで思い知っていた。
志都美おばさんの肩に寄りかかりながら、私の脳裏に過るのは、静流と崇介の結婚式の情景だった。
母の死からわずか一年後、崇介は静流を後妻に迎えた。盛大な披露宴、フルオーダーのウェディングドレス、そして指にはめられた鳩の卵ほどもある巨大なダイヤモンドリング。
対して、母はどうだったか。彼に嫁いで二十年、身粉を砕いて働き、家事の一切を完璧にこなしてきたというのに、ウェディングドレスの写真一枚すら撮ってもらえなかった。
かつて母は、記念に写真を撮り直したいと提案したことがある。
当時、父はパソコンの画面を食い入るように見つめたまま、顔を上げることもなく言い放った。
『結婚して二十年も経つのに、そんなもん撮って何の意味があるんだ』
母はそれ以上何も言わなかった。けれど、彼女の瞳に一瞬だけよぎった深い落胆の色を、私は見逃さなかった。
いつか自分でお金を貯めて、絶対に母へ写真をプレゼントしようと心に誓った。だが、その資金が貯まる前に、母はこの世を去ってしまった。
静流の結婚式の日、私はそのホテルでアルバイトをしていた。トレイを手に部屋の片隅に立ち、崇介が彼女の手を取って壇上へ上がるのをただ見つめていた。彼が彼女に向ける視線は、今にも零れ落ちそうなほど甘く優しいものだった——あんな目をして母を見たことなど、一度たりともなかったのに。
あの瞬間、私は生涯絶対に結婚などしないと誓いを立てた。
男の約束など信じない。永遠なんて言葉も信じない。そんなものは、女を都合よく従わせるための甘い罠にすぎないのだから。
けれど、朋之が私のその考えを変えた。
付き合い始めた頃の彼は、本当に優しかった。週末には海へ日の出を見に連れ出してくれ、深夜まで残業した日には温かいスープを届けてくれた。私の誕生日には、手作りのケーキまで焼いてくれた。
私はよく悪夢を見た——血だまりの中に倒れる母の姿、私の名前を呼ぶ母の声。泣き叫んで飛び起きるたび、朋之は私を強く抱きしめ、何も言わずにただ優しく背中を撫でてくれた。
プロポーズの後、二人で母の墓参りへ行った。彼は墓前の前にしゃがみ込み、こう言ったのだ。
『お義母さん、どうか安心して澪を僕に託してください。絶対に彼女を悲しませないと誓います』
その時、私はついに生涯を託せる人に出会えたのだと信じ切っていた。
しかし去年から、すべてが狂い始めた。
彼は私に静流との和解を勧めるようになった。彼のスマートフォンには見知らぬ番号からのメッセージが届くようになり、決まって深夜に鳴った。彼はそれを病院の同僚だと言い張った。
その後、私は私立探偵を雇い、完全な調査報告書を手に入れた。
朋之と静流は、この一年の間に十数回も密会を重ねていた。カフェ、レストラン、果ては静流の自宅まで。静流は謝罪したいという口実で、丸一年もの間彼に接触し続けていたのだ。朋之はそのことを、私に一言も話さなかった。
探偵は一枚の写真も差し出した。宝石店の入り口に立つ朋之が、精巧な小箱を手にしている写真。
それは、静流へ贈るためのネックレスだった。
今夜、彼が血相を変えて静流を庇うように立ちはだかった姿を思い出す。私の手首を掴んだ彼の瞳に浮かんでいた、不満と嫌悪の色——あんな冷たい目を向けられたのは、あれが初めてだった。
あの瞬間、私は母と全く同じ末路を辿る自分の姿を幻視したのだ。
「本当に決めたのね?」
志都美おばさんが、静かに問いかけた。私を理解してくれてはいるものの、やはり結婚生活がこんな結末を迎えることは望んでいないようだった。
「決めたわ」
私はかつて、朋之を自分の安息の地にしようとしていた。彼を信じ、愛そうと努力した。
だが、母の死が私に一つの真理を教えてくれたのだ。
決して、自分の心のすべてを誰かに委ねてはいけないのだと。
