第32章 あんな彼は見たことがない

「お金なら出せます。たくさん……いくらでも。あなたたちが欲しいだけ払うから」

長身の男が、ふっと笑った。

その笑みには悪意がない。むしろ、どこか憐れむような色さえ混じっている。男は心海を見下ろした。まるで車のライトに照らされて立ちすくむ子鹿を見るみたいに――哀れで、けれど助けようのないものを見る目で。

「お嬢ちゃん、無駄だよ」

声は大きくない。だが静まり返った個室では、ひと言ひと言がやけに鮮明に響いた。

「こっちは金で動いてるだけだ。恨むなら、別の相手にしな」

男が一歩、詰める。

心海は反射的に下がった。

――けれど、背中が壁に当たる。

ひやりと冷たい感触。逃げ場がないと突...

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