「無視できない意外」
「何を言ってるんですか」
朔は彼女を見たまま、すぐには答えなかった。
祈の顔色が少しずつ沈んでいく。ようやく、彼の言葉の馬鹿馬鹿しさに気づいたようだった。
「まだ四日ですよ」
一語一語、区切って言った。
「あの夜から今まで、たった四日です。今の時点で妊娠してるかどうかなんて、わかるわけないでしょう」
朔は少し間を置いた。
「そうだな」
無理に言い訳はしなかった。ただ淡々と視線を戻した。
「今はまだ判断できない」
祈は彼がこんなにあっさり認めるとは思っていなくて、逆に何を言えばいいのかわからなくなった。
しばらくしてから、低い声で言った。「アフターピルは飲みました」
「いつ」
「翌朝」
「説明書通りに」
「はい」
朔は頷いた。
車内が再び静まった。
話はここで終わったと思っていたのに、数秒後、彼がまた口を開いた。
「ただ、アフターピルも百パーセントじゃない」
「知ってます」
声が明らかに冷えた。
「それで?」
朔が顔を向けた。
「だから、もしこの先も体調が悪いようなら、検査に行け」
「そうします」
即答だった。
祈は、彼がこんな当たり前の口調で心配してくることが気に入らなかった。それ以上に、自分が彼の一言で妙に動揺していることが許せなかった。
「でも少なくとも今は、子供の話をする必要はありません」
「今すぐ話そうとは言ってない」
「でもさっき聞いたじゃないですか」
「ただの推測だ」
「こんなこと、勝手に推測するものですか」
朔はしばらく彼女を見て、ふと笑った。
薄い笑みだった。それがかえって、祈を落ち着かなくさせた。
「そんなに緊張してどうした」
「緊張なんてしてません」
「そうか」
「当たり前です」
そう言って、顔を窓の外に向けた。
窓ガラスに映った耳たぶが、かすかに赤い。
朔は一瞥したが、それ以上は追及しなかった。
それでもなぜか、さっきの馬鹿げた推測が口から出た瞬間、ふたりの間に無視できない痕跡のようなものが残った気がした。
まだ四日しか経っていない。
それなのに、ふたりはもう、普通ならこんなに早く出てくるはずのない話題について語り始めている。
祈もそれに気づいて、なんとなくいらだった。
「それと」
彼女は朔に向き直った。
「もし今後、本当に何か問題が起きたとしても、それは私の問題です」
朔の目元がわずかに沈んだ。
「つまり、俺は関係ないと」
「一度の事故があっただけです」
少し間を置いて、声を落とした。それでも、芯は揺れなかった。
「だから、誰も責任を取る必要はない」
車内の空気が静止した。
朔はすぐには答えなかった。
長い沈黙の後、ようやく尋ねた。「ずっとそう思ってたのか」
「何を」
「あの夜は事故だったと」
祈は少し動揺した。
彼が突然こんなことを聞いてくるとは思わなかった。
「違うんですか」
朔は彼女を見た。瞳の色が深くなった。
「お前にとっては、そうだろう」
祈の胸が、不意に締め付けられた。
短い一言なのに、あの夜、男が近づいてきたときの匂いや、目覚めた後、慌てて逃げ出した自分の姿が突然浮かんできた。
すぐに目を逸らした。
「最初からそうです」
「ならそういうことにしておく」
朔はそれ以上追い詰めなかった。
むしろこのあっさりした引き際が、祈をさらに居心地悪くさせた。
盗み見ると、彼はもう窓の外に視線を戻していて、何事もなかったかのように静かだった。
少ししてから、祈は小さく聞いた。
「なぜ、そんなに気にするんですか」
朔は答えなかった。
数秒待ったが、結局それ以上は聞かなかった。
「着いた」
車がスムーズに停まった。東都建築大学の寮のサイド入口の前だった。
祈は少し呆けた。
銀座からここまで、普通なら二十分かかる。それなのに、二分しか経っていないような気がした。
シートベルトを外してドアを開け、片足を外に出したところで止まった。
振り返って、朔を見た。
「これから本当に、私の前に現れないでください」
朔はシートに背を預けたまま、横を向いた。
車内の薄暗い光が表情を曖昧にしていた。ただ瞳の奥だけが、冷たく鋭く光っていた。
「来週月曜、ちゃんと出勤しろ」
祈は固まった。
どういうこと?
なぜ彼が、自分が来週月曜に入社することを知っているのか。
「あなた——」
「おやすみ」
窓がゆっくり上がり、まだ口にしていない問いを遮断した。
祈はその場に立ち尽くし、黒いセダンを見つめた。頭の中が混乱していた。
この男は、自分のことをどこまで知っているのか。
夜風がシャツの襟から入り込んできて、身震いした。寮に入ろうと向きを変えようとしたとき——
「浅野祈」
声が、サイド入口脇の植え込みのあたりから聞こえてきた。しゃがれていて、酒の臭いがした。
足が止まった。
振り返ると、桐島奏汰が植え込みの縁に手をついて立っていた。ベージュのジャケットは皺だらけで、髪も乱れている。相当長い時間ここで待っていたらしい。
だが彼の視線は祈には向かず、彼女の向こう、さっきまで路肩に停まっていた黒いセダンに釘付けになっていた。
窓は上がり、エンジンが低い音を立てている。
奏汰は何かを確認したように、顔色を変えた。
「今の誰だ」
祈は答えなかった。
「聞いてるんだ、誰だって」
奏汰がふらつきながら近づいてきた。酔いが徐々に、ほとんど覚醒に近い恐慌に変わっている。
「あの車、見覚えがある」
声を落とした。
「マイバッハだろ、カスタムナンバー。東京にあんな車は何台もない」
祈は眉を寄せた。
なぜ彼が急にこんなことを気にするのか、わからなかった。
奏汰は祈を凝視した。顔から答えを探そうとしているようだった。
「浅野祈、お前いつからあんな奴と知り合ったんだ」
「あなたには関係ない」
背を向けて立ち去ろうとした。
奏汰が手首を掴んだ。
反射的に振り払った。
「離して」
「誰かに取り入ったのか」
その言葉で、祈は立ち止まった。
振り返り、目が少しずつ冷えていった。
「何ですって」
「さっきの男、あんな車に乗って、わざわざお前を送ってきた。どういう関係だ」
奏汰がまた手を伸ばそうとした。
祈は身を翻してそれを避け、手を上げた。
平手打ちの音が、夜に明瞭に響いた。
奏汰が顔を横に向けた。
「お前——」
「もう終わったんです」
祈は彼を見た。声は静かだった。
「だから、もう私のことに口を出さないで」
背を向けて、寮のサイドドアを押し開けた。
背後で何か罵る声が途切れ途切れに聞こえたが、振り返らなかった。
ドアが閉まった瞬間、すべての音が外に置き去りにされた。
ただ祈は気づいていなかった。角に停まっていた黒いセダンが、すぐには発進しなかったことを。
車内で、朔は後部座席にもたれかかったまま、すでに閉じられた寮のドアを見つめていた。
数秒経ってから、淡々と視線を戻した。
「行け」
