第2章
午後の陽射しが薄手のカーテンを透かし、ベルベットの毛布にまだらな影を落としていた。
昨夜は常軌を逸していた。見知らぬ男からの深夜の電話、あのありえない繋がり――あの電話がなければ、自分は正気を失いかけているのだと思っただろう。
私はスマホを掴み、昨夜の番号までスクロールする。千堂早遊。その名前を舌の上で転がしてみる。不思議な響きなのに、どこか懐かしい。
『一度だけ』と自分に言い聞かせた。
『もし何も起こらなければ、昨夜のはただの偶然だったってことだ』
三度のコールの後、彼が出た。
「千堂早遊です」
日中に聞くと、彼の声はより輪郭がはっきりして聞こえた。
「こんにちは、お電話をくださった者です」
私は声を平静に保とうと努めた。
「あの……、あの奇妙な現象について、もう少しお話しする必要があるかと思いまして」
「ああ」
彼の口調がわずかに和らいだ。
「正直、一日中そのことを考えていました。何か新しい発見はありましたか?」
私は深呼吸し、毛布の端に手を伸ばした。
「たぶん。今、どんな感じですか?」
「普通ですよ。オフィスにいて、ちょうど会議が終わったところ――」
私の指先が毛布の表面に触れた。千堂早遊の声が、突然途切れた。
「待って」と、震える声で彼が言った。
「まただ。あの……温かい感覚。誰かに背中を優しく撫でられているような」
私はパッと手を引いた。
「今は?」
「消えた」
彼の声はさらに混乱を増していた。
「一体何なんだ、これは?医者に診てもらうべきだろうか?」
『マジか、本当に効いてる』
心臓が胸から飛び出しそうだった。
「もしかしたら、一度会ってお話しした方がいいかもしれません」
私はおそるおそる言った。
「その……この経験を、お互いに比較するとか」
「いい考えだ」
彼は即座に同意した。
「今夜七時なら空いている。稚弥カフェはどうだろう?花楓通りにある」
稚弥カフェ。花楓通り。私はごくりと唾を飲んだ。一生かかっても、私には縁のないような場所だった。
「素敵ですね」と私は嘘をついた。
「良かった。ところで、フルネームと、何をされているか聞きそびれていましたね」
「雨宮千葉です。美大で写真を学んでいます」
「写真ですか?面白いですね。私は千堂投資銀行に勤めています」
彼は少し間を置いた。
「どうやら、私たちはかなり違う世界の人間みたいですね」
『当たり前じゃない』と心の中で思ったが、口に出したのは「ええ、とても」という言葉だけだった。
電話を切った後、私は毛布を強く握りしめた。奇妙な感覚が全身を駆け巡る。その時、突然、頭の中に声が響いた――私の声ではない。
『これ、子供の頃におばあちゃんに抱きしめられた時とそっくりだ』
私は感電したかのように毛布を放り投げ、息を呑んだ。今のは千堂早遊の声。でも、電話ではそんなこと言っていなかった。彼の……思考が聞こえた?
『なんてこと……。分刻みで状況がおかしくなっていく』
七時五分前、私は稚弥カフェの外に立ち、窓越しに高価なスーツを着たビジネスマンたちを眺めていた。まるで白鳥の集まりに迷い込んだみにくいアヒルの子のようだ。
一時間もかけて服を選んだ――手持ちで一番良い黒のドレスに、唯一まともなヒール。だが今となっては、それらすべてが哀れなほど不相応に見えた。
支配人らしき男性が私を値踏みし、その目にためらいがよぎった。
「ご予約はされておりますか、お嬢様?」
「あの……千堂早遊様とお会いする約束で……」
彼の表情は瞬時に変わり、敬意のこもったものになった。
「ああ、千堂様がお待ちのお客様でいらっしゃいますね。失礼いたしました。どうぞ、こちらへ」
そして、彼が見えた。
千堂早遊は隅のボックス席に座っていた。ダークブラウンの髪は完璧にセットされ、ネイビーのオーダーメイドスーツを身にまとっている。彼が私を見上げた時、その青灰色の瞳に息を呑んだ。声から想像していたよりもハンサムだったが、それ以上に……触れることのできない雰囲気をまとっていた。
彼の手首で、いかにも高級そうな腕時計が照明の下で煌めいている――きっと、私の一年分の学費よりも高価だろう。
「雨宮千葉さん?」
彼は立ち上がり、手を差し出した。
「はい」
私はその手を取り、震えを悟られないようにした。彼の手は温かく乾いていて、その握り方は完璧に調整されていた――長年のビジネスで培われたものだと一目でわかった。
「お会いできて嬉しいです。どうぞ、お座りください」
彼は映画のワンシーンのように、ごく自然な仕草で私のために椅子を引いてくれた。
席に着きながら、私はこっそりと彼を観察した。千堂早遊は、まるで雑誌の表紙から抜け出してきたかのようだ――非現実的なほどに完璧だ。
だが彼の瞳の奥には、深い疲労の色が浮かんでおり、それが彼を……人間らしく見せていた。
「素敵なお店ですね」
私は落ち着いているように装って言った。
「打ち合わせでよく使うんです。静かで、プライベートが守られるので」
彼は頷き、それから私の目をまっすぐに見た。
「さて、あの奇妙な感覚について話しましょう」
その時、ふと彼の思考が頭の中に流れ込んできた。
『思ったより快活な人だが、なぜあんなに緊張しているんだろう?』
『おかしい』と私は思った。
『毛布には触れていないのに。私たちの繋がりは強くなっているの?』
「昨夜、誰かに抱きしめられているように感じたとおっしゃいましたね」
私は無理やり意識を集中させた。
「もう少し詳しく説明していただけますか?」
千堂早遊は眉をひそめ、指でテーブルを叩いた。
「非常に奇妙でした。まるで……実際に誰かがそこにいるような。温かくて、心地よくて、思いやりに満ちている。あんな愛情のこもった感覚は、長い間味わっていませんでした」
彼がその「現象」の原因が私だとは、知る由もなかった。彼はただ、似たような奇妙な出来事を経験した見ず知らずの二人が出会っただけだと思っている。
「もしかしたら」と私は慎重に切り出した。
「その感覚は、あなたにとって何か特別な意味があるのでは?」
彼の表情が複雑になり、その瞳に脆さがちらついた。
「祖母が……私が小さい頃、眠っている間に抱きしめてくれたんです」
彼は首を振った。
「馬鹿げていますね。もうずっと昔のことですから」
「おばあ様は……ご存命なのですか?」
私はそっと尋ねた。
「いえ、数年前に亡くなりました」
彼の視線が遠くを見つめた。
「彼女は、私の人生で唯一、心から私を気にかけてくれた人でした。両親は……彼らには彼らの世界があり、優先順位がある」
ウェイターが注文を取りにやってきた。
「あなたのことを教えてください」
千堂早遊はわずかに身を乗り出して言った。
「美術大学は面白そうですね」
「写真専攻です」と私は答えた。
「まだ勉強中です。ご存知の通り、学業とアルバイトの両立で、毎日必死ですよ」
彼の思考が流れ込んでくる。
『謙虚だな。ほとんどの人間は、会った瞬間に自慢話を始めるのに』
「充実していそうですね」と彼は言った。
「その創造性が羨ましい。銀行の仕事は……時々、とても空虚に感じることがあります」
私たちは雑談を続けた。彼は仕事についてプロとしての自信を覗かせながらも、その内面では今のライフスタイルに多くの疑念を抱いているようだった。彼がアートについて尋ねてくるとき、私は彼の純粋な興味を感じ取ることができた。
本当に私を不安にさせたのは、彼の目には、私がこの共有された謎について打ち明けられる相手でしかないという事実だった――彼が、その全ての原因が私であることに全く気づいていないことだ。
一時間後、千堂早遊は腕時計を確認した。
「申し訳ないですが、そろそろ行かなくては。明日の朝、重要な会議があるんです」
二人で立ち上がると、私は真実を告げられないままこの夜が終わることに気づいた。
「お会いできてよかったです、雨宮千葉さん」
彼は再び私の手を取って言った。
「またお会いして、この……現象について話し合いを続けられるといいのですが」
だが彼の思考はこう言っていた。
『また彼女に会えるといいな』
彼が去っていくのを見送りながら、私の内側では複雑な感情が渦巻いていた。彼を欺いていることへの罪悪感。この繋がりが存在することへの興奮。そして、私たち二人の間に横たわる溝がいかに大きいかを思い知らされたことへの恐怖。
彼は千堂グループの御曹司、千堂早遊。M市のペントハウスに住んでいる。私は雨宮千葉。B市の小さなアパートに住み、かろうじて学費を稼いでいる美大生。
カフェを出て、私はきつく自分を抱きしめた。ベッドに横たわるあのベルベットの毛布のことを思いながら。
だが、この繋がりは一体何を意味するのだろう?私は彼に真実を告げるべきなのだろうか?
