第5章 淫乱な女
阿部岳斗は美玲の頬を叩いた。力は強くなかったが、それは彼女の尊厳を完全に踏みにじるに十分な侮辱だった。 美玲は床に這いつくばり、口輪をはめられたまま、その深部には未だ冷酷な金属の固定器具が残されていた。 呼吸を繰り返すたびに、出産時に引き裂かれた傷口が激しく痛み、額からは冷や汗が絶え間なく滴り落ちる。
岩崎春菜は阿部岳斗の背後に立ち、檻の中の惨めな姿を冷然と見下ろしていた。 かつての江口家の令嬢が、今はまるで一匹の牝犬のように自分の足元にひれ伏している。 しかし彼女は、瞳の奥に宿る昏い愉悦を瞬時に押し隠すと、憐れみを誘う哀しげな表情を作り、阿部岳斗の胸に寄り添った。その大きな瞳から、はらりと涙がこぼれ落ちる。
「岳斗……実は私、お姉ちゃんが少し羨ましかったの」
阿部岳斗は眉をひそめ、彼女の肩を抱き寄せた。 「あの女の何を羨む? 男たちに弄ばれた、ただの淫乱な女だぞ」
「だって、お姉ちゃんは本当に愛されていたもの。見て、おばさんはあんなにも彼女を愛していた。お姉ちゃんの名誉を守るため、その罪を償うために、あの高いビルから飛び降りるなんて……命さえ投げ出すほど愛されていたのね」
美玲の瞳孔が、恐怖と絶望に激しく収縮した。 口輪の奥から、くぐもった、引き裂かれるような嗚咽が漏れる。彼女は必死に首を振り、涙と血の混じった雫を床に叩きつけた。 あれは彼女の母親だ。 岩崎春菜という悪魔は、母親を死に追いやった大罪を、これほどまで軽薄に、美しく歪めて語るのか。
春菜は美玲の絶望など聞こえないかのように、岳斗の胸で涙を流し続けた。 「それに、お姉ちゃんはあなたを裏切って、どこの馬の骨とも知れない種を身籠ったのに……それでもあなたは、彼女を捨てきれずに手元に置いている」 彼女は涙に濡れた目を持ち上げた。 「私は違う。子供の頃から誰にも愛されず、私にはあなたしかいないの。岳斗、もしあなたにまで見捨てられたらと思うと、本当に怖くて……」
阿部岳斗の眼差しが、急速に和らいでいく。 彼は彼女の額に優しく口づけを落とした。その声は、美玲が聞いたこともないほど甘く、温かかった。 「余計な心配をするな。お前があんな不潔な女と同じであるはずがない」
檻の床に伏せったまま、その対話を聞いていた美玲の胸は、鈍い刃で何度も抉られるように痛んだ。 八年間育んできた愛情も、幼馴染としての絆も、すべてはただの滑稽な偽りだったのだ。
その時、岩崎春菜の顔から血の気がすっと引いた。 彼女は岳斗を突き放すと、両手で頭を抱え、悲鳴をあげた。
「春菜!」 岳斗の表情が一変し、崩れ落ちる彼女を抱きとめた。
「頭が割れそう……目が見えないの! 岳斗、痛い、痛い!」 春菜は狂ったように暴れ、彼女の爪が岳斗の手背に血の滲むような傷跡を刻む。
「恐れるな! すぐに医者を呼ぶ!」 岳斗は彼女を抱き上げてベッドへと走り、扉の向こうに向かって怒号をあげた。 「医者を呼べ! すぐにだ!」
部屋の中は一瞬にして混沌に包まれた。 美玲は檻の隅で縮こまり、その光景を冷ややかに見つめていた。 天罰だ。 もし本当に神がいるのなら、そのままあの悪魔を狂い死にさせてくれ。
十分も経たないうちに、医者が救急箱を抱えて息を切らしながら駆け込み、すぐに春菜の診察を始めた。
「一体どうしたというんだ!」 岳斗は医者の襟首を掴み上げた。 「なぜ急に見えなくなった!」
医者は恐怖に怯えながら喉を鳴らした。 「あ、阿部様……岩崎様は、一族に伝わる遺伝性の眼疾患を突発的に発症されたようです。視神経が急速に萎縮しています……」
「治療法は!」
「現代の医学では、根本的な治療は不可能です……」医者は生唾を飲み込んだ。 「一ヶ月以内に角膜移植を行わなければ、彼女の光は完全に失われるでしょう」
目が見えなくなる。 春菜は暴れるのをやめ、焦点の合わない虚ろな瞳で天井を見つめ、涙を大粒こぼした。 「岳斗……私は目が見えなくなるの? あなたの姿を、もう二度と見られないの?」 彼女は震える手で彼の手を求めた。 「もう二度と目が見えなくなるなんて、嫌よ……」
岳斗は彼女の手を固く握り締めた。 「そんなことはさせない。角膜など、この世界のどこを探してでも手に入れてみせる」
「でも……他人の目は、馴染まない気がして……」 春菜は弱々しくに彼の胸に寄りかかった。しかし、その光の消えかけた瞳は、正確に檻の置かれた暗がりの方へと向けられた。
「岳斗、私、実はずっとお姉ちゃんの瞳に憧れていたの」 その言葉は、毒蛇の這うような冷たさで美玲の耳に滑り込んだ。 「お姉ちゃんの目はあんなにも澄んでいて、美しいわ。もし、お姉ちゃんの瞳を通してあなたを見ることができたら……私はきっと、世界で一番幸せになれる」
美玲の全身の血液が、一瞬にして凍りついた。 岩崎春菜は、自分の瞳を奪おうとしている。
阿部岳斗はゆっくりと首を巡らせ、その冷酷な視線を檻の美玲へと定めた。 その目は、人間ではなく、ただの「部品」を見つめているかのようだった。
「わかった」
「うぐぅ――!」 美玲は狂乱したように鉄格子に身体を叩きつけ、悲痛なくぐもった咆哮をあげた。 口輪に遮られ、まともな声すら出せない彼女は、自らの頭部を容赦なく鉄格子にぶつけ続けた。 彼女はすでに、すべてを奪われた。 子供も、母親も、尊厳すらも。 それなのに、最後にはその光さえも奪い去ろうというのか。
「こいつを引きずり出せ。手術の準備をしろ」 岳斗は冷徹に医者に命じた。
ボディーガードが檻を開け、物言わぬ抜け殻を扱うように、彼女を外へと引きずり出した。 美玲は狂ったように扉の枠にしがみつき、必死に抵抗したが、その激しい動きによって深部に挿入された金属が肉を削り、激痛のあまり意識が飛びそうになる。
岳斗が歩み寄り、彼女の濡れた髪を乱暴に掴み上げて顔を強制的に上向かせた。 「美玲、大人しくその瞳を春菜に差し出すんだ。さもなければ――」 彼は声を限りなく低くし、耳元で呪いのように囁いた。 「田舎で暮らす、まともに動くこともできないお前の祖母が、一寸刻みに肉を削がれていく様子を、想像してみるか?」
美玲の身体が、完全に硬直した。 祖母。 彼女に残された、最後の、唯一の「命」。 彼女の目から静かに涙が溢れ、絶望の中でその瞳を閉じ、すべての抵抗を放棄した。
「連れて行け」 岳斗は冷酷に彼女を放り投げた。
医者がおずおずと近づいたが、彼女に触れようとした瞬間、凄まじい血の匂いと腐敗の臭気にその表情を強張らせた。 美玲の下半身の惨状に目をやった医者は、血の気を失い、その場に膝をついた。
「阿部様……この手術は、今すぐには行えません!」
岳斗の表情が険しくなる。
「滅相もございません!」 医者は弁明するように叫んだ。 「彼女の身体をご覧ください。過酷な出産の後、禁忌の箇所が重度に裂け、激しく化膿を伴う感染症を起こしています! 高熱、重度の栄養失調、さらには失血が酷く、今麻酔をかければ心臓が持ちません!」 医者は震える手で、痛々しく汚れ傷ついた彼女の患部を指し示した。 「無理に角膜を摘出すれば、彼女は確実に手術台の上で絶命します。さらに全身の感染がここまで進んでいると、角膜自体が汚染されている可能性があり、岩崎様への移植は極めて危険です!」
阿部岳斗は、血と汚れに塗れ、異臭を放つ美玲を極限の嫌悪を込めて見下ろした。
「ならば治療しろ。命を繋ぎ、その不潔な病を完治させろ。こいつは春菜の瞳を保つ『容器』だ。目を奪うまでは、死ぬことすら許さん」
「は、はい! 承知いたしました!」
美玲は部屋から引きずり出され、地下にある冷徹な医療室へと運ばれた。 そこには最先端の機器が整っていたが、温もりは一切なかった。彼女は手術台の上に四肢を固定され、身動きを完全に封じられた。
医者は静かにマスクと手袋を着用し、鋭い医療器具を手にして近づいた。 「美玲さん、我慢してください」
麻酔は、施されなかった。
医者はまず、彼女の顔を覆っていた革製の口輪を乱暴に取り外した。 「あ、あぁ……!」 顎の骨が外れるかのような鈍い痛みに、彼女はかすれた悲鳴をあげた。
続いて、下半身。 深部に埋め込まれていた金属の器具が、容赦なく一気に引き抜かれた。 せき止められていた血と不浄な分泌液が溢れ出し、あまりの激痛に美玲の背が弓なりに引き絞られる。
「押さえろ!」医者が指示を出す。
二人のボディーガードが、彼女の細い手足を容赦なくベッドに抑えつけた。 冷徹な生理食塩水と強力な消毒液が、爛れ、傷ついた彼女の深部の肉へと直接注ぎ込まれた。
「あああああ!! 殺して! 阿部岳斗、お願いだから私を殺して!!」
狂乱の叫びが、閉ざされた地下室に虚しく響き渡った。 彼女の指先は手術台の端を血が滲むほど固く掻き毟り、その爪が何本も根元から裂け、紅い筋が滴り落ちる。 傷ついた不浄な肉組織が少しずつ削り取られ、麻酔のない生肉へと、容赦なく針と糸が通されていった。 針が肉を貫くたびに、彼女の身体は激しく痙攣し、白目を剥きながら、ただ地獄の底へと沈んでいった。
