第5章:クラウスにふさわしいのはナンシーだけ!
エマ視点
デイジーは長いあいだ黙り込み、複雑な表情を浮かべていた。
「決めたの?」
「うん」私はきっぱり答えた。
「わかった!エマ、あなたがどんな決断をしても、私は味方よ」
「ほら、離婚したらクラウスから多額の慰謝料だって取れる。子どもだって、ひとりで育てられるわ」
デイジーは真剣な眼差しで私を見た。「あなたはもっと幸せになっていいのよ、エマ」
また涙が頬を伝った。
「デイジー、もう一つお願いがあるの」
「私が妊娠していること、誰にも言わないで。特にクラウスには」
「誓う」デイジーはためらいなく頷いた。「あなたの秘密で、私の秘密でもある」
ようやく肩の力が抜け、少しだけ体がゆるんだ。
泣きすぎたせいか、明け方にうとうとしてしまった。
次に目が覚めたときには、外はもう明るかった。
今日はデイジーは病院の仕事が休みだった。
私が起きたのを見ると、彼女は尋ねた。
「お腹、まだ痛い?」
私はゆっくり首を横に振った。
「よかった。もう少し休んでて。何か作るわ。今は赤ちゃんがいるんだから、お腹を空かせちゃだめ」
ベッドに横になったまま、私は平らなお腹にそっと手を当てた。
これだけが、私が生きていく理由だった。
デイジーがキッチンから、目玉焼きとベーコンを運んできた。私は体を起こし、ダイニングテーブルへ向かった。
ダイニングの壁にはテレビが掛かっていて、朝のニュースが流れていた。
画面は、ある祝賀パーティーの生中継に切り替わる。
見出しが目に痛いほどだった――『ゴールデンムーン群れのアルファ、女性同伴で公の場に姿』。
映像の中央には、腕にナンシーを連れたクラウスが立っていた。
ナイフとフォークが、がしゃんと皿に落ちた。
「見ないで、エマ。消しなさい」
私の反応に気づいたデイジーが、すぐにリモコンへ手を伸ばす。
私は彼女の手を押さえた。「大丈夫。いずれ向き合わないといけないんでしょう?」
テレビの中で、ナンシーはうっとりとクラウスを見上げ、背伸びして耳元にささやいた。
するとクラウスも笑った。
優しい笑みがその顔に浮かんでいた。私は一度も見たことのない笑顔。
彼の手は、隠す気もなく独占欲と愛情を滲ませながらナンシーの腰を抱いた。
――彼はもともと冷たい人間だったわけじゃない。私にだけ、笑わなかっただけ。
記者たちが押し寄せ、ナンシーへマイクを突きつけた。
「ナンシーさん、クラウスさんとはどういうご関係ですか?」
「二つの群れは婚姻同盟を検討しているのでしょうか?」
ナンシーははにかむように微笑み、そっと首を横に振った。
「私はただ、クラウスの同伴者です」
声は柔らかいのに、その目には勝ち誇った光が走った。
クラウスは不機嫌そうに眉をひそめ、記者の質問が気に入らないようだった。
それを察したナンシーが、慌てて付け足す。
「実は、クラウスはもう結婚しているんです」
そう言った瞬間、彼女の目は急に赤くなった。
「クラウスのことは好きです。でも、私……誰かの家庭を壊す女にはなりたくない」
声を詰まらせ、ひどく傷ついた無垢な人間のように見せる。
「私、銀の毒に侵されています。お医者さまは、もうあまり時間が残っていないかもしれないって……。残りの時間、友だちとしてクラウスのそばにいられるだけで十分なんです」
涙が頬を滑り落ちた。
会場の客たちが同情の声を漏らし、中にはすすり泣きを始める者までいた。
記者たちはますます興奮し、矢継ぎ早に問いかける。
「ナンシーさん、容体はどれほど深刻なんですか?」
「クラウスさんは、そのご病気のことをご存じなのでしょうか?」
「クラウスさんの奥さまに、何か言いたいことは?」
ナンシーの顔色はさらに青白くなった。次の瞬間、クラウスが前に出て、ナンシーの姿を遮った。
彼の声は氷のように冷たく、有無を言わせぬ響きを帯びていた。「インタビューはこれで終わりだ!」
彼は身を翻してナンシーを支え、その目には痛ましいほどの苦しみと罪悪感がにじんでいた。「休ませに連れていく」
映像の中で、彼はナンシーをいたわるようにそっと連れ去っていく。その後ろ姿は、あまりにも優しく、思いやりに満ちていた。
「いったい自分を何様だと思ってるの! 人の夫を奪う略奪女のくせに!」
デイジーは怒りで顔を真っ赤にした。
「エマ、あなたはあんな女よりずっと素敵よ。悲しまないで。自分を卑下する必要なんてないわ」
私はスマートフォンを開いた。
画面には、インタビューに関する通知が無数に表示されていた。
私はいちばん話題になっている記事を開いた。
ナンシーが銀中毒に苦しんでいることは、世間の尽きない同情を集めていた。
コメント欄は、彼女のための祈りで埋め尽くされていた。
「ナンシーさんって本当に優しい。クラウスを愛しているのに、誰かの結婚を壊そうとはしないなんて」
「どうか病気を乗り越えて、クラウスと結ばれてほしい!」
「クラウスのあの気遣い方、本気の愛に決まってる」
私はそのまま画面をスクロールし続け、ふいに別の見出しに目を奪われた。
【衝撃! アルファのクラウスは実は既婚者だった!】
私の指先がぴたりと止まった。コメント欄は騒然となっていた。
「えっ、クラウスって結婚してたの? ずっと独身だと思ってた!」
「奥さんは誰? どうして今まで公表しなかったの?」
すると、誰かがこう書き込んだ。
「聞いた話じゃ、クラウスのルナは狼を持たない女らしい!」
そのコメントは一瞬で人々の目を引いた。
「狼を持たないですって? そんな女がどうしてルナになれるの? 群れへの侮辱じゃない!」
「だからクラウスは公の場で認めないのね。役立たずなんだわ!」
「さっさと離婚すべきよ! クラウスにふさわしいのはナンシーだけ!」
「そうよ! ナンシーをゴールデンムーンのルナにして! 優しくて綺麗で、あの狼なしの役立たずなんかより百倍もいいわ!」
クラウスが私と離婚し、ナンシーが群れのルナになることを望む声は、次第に膨れ上がっていった。
私の顔から、さっと血の気が引いた。
スマートフォンが手から滑り落ち、床に重く叩きつけられた。
「エマ!」デイジーが慌てて私を支えた。
そのとき、不意にキャンベルおじいさまの優しい顔が脳裏に浮かんだ。
クラウスとの結婚式の日、彼は私の手を取り、厳かに言ってくれた。
「エマ、わしの見立てが外れたことはない。おまえとクラウスは、結ばれるべくして結ばれたのだ」
ごめんなさい、おじいさま。結局、私はあなたを失望させてしまう。
そのとき、着信音が鳴って、私の思考を断ち切った。
養母のサリーからだった。
通話に出た瞬間、鋭くきつい声が耳を刺した。
「エマ! テレビを見たの? ナンシーとクラウス、あれはいったいどういうことなの!」
「あなたはあの人の妻でしょう! どうして別の女を連れて祝賀会に出るのよ!」
「もうみんなこの話でもちきりよ! 私がどれだけ恥をかいてるかわかってるの?」
緊張で、手のひらにじっとりと汗がにじんだ。
「お母さん、説明させて。私、ここしばらく体調がよくなくてクラウスに付き添えなかったの。だから一時的な同伴者を立てただけなの」
けれど、サリーの声はいっそう甲高くなり、失望と非難に満ちていた。
「自分の夫を他の女に奪わせるなんて。本当にがっかりだわ!」
彼女の口調がふっと変わった。
「それに、クラウスと結婚してもう一年になるのに、どうしてまだ妊娠していないの!?」
「私だって、ずっと頑張ってるの」私はスマートフォンを強く握りしめた。
だが、サリーは有無を言わせぬ口調で言い放った。
「明日、あなたを病院に連れていくわ。きちんと検査して、体のどこが悪いのかはっきりさせなきゃ!」
だめ。
病院になんて連れていかせるわけにはいかない。
妊娠していることを知られるわけにはいかない。知られたら、サリーはきっとクラウスに話してしまう!
