第3章
二ヶ月後、早春の光が降り注ぎ、忌まわしい記憶を覆い隠していた分厚い雪は、そのほとんどが土に還っていた。
私は太郎の家の小さな卓袱台の前に座り、手にした妊娠検査薬に浮かび上がった二本の赤い線を、ただじっと見つめていた。心の中では、安堵、絶望、憎悪、そして微かな母性という、相反する感情が嵐のように渦巻いていた。
本当に、妊娠している。
この子は……私と、あの男の子。
「雪奈、具合でも悪いんか? 太郎が春子婆さんを呼んでくる」
背後から、太郎の心配そうな声がした。その瞳には、一点の曇りもない純粋な憂いが満ちている。この男は、自分が何をしたのか、この村がどれほど狂っているのか、何も理解していないのだ。
「大丈夫」私はまだ平坦な腹部をそっと撫でた。「少し、疲れただけ」
「そっか!」太郎は子供のように無邪気に笑う。「太郎が、雪奈と赤ん坊、どっちも守ってやる!」
その言葉を聞いた瞬間、私の心に、氷のように冷たい何かが突き刺さった。この子は無実だ。だが、その父親は、そしてこの村の人間は、一人残らず私の仇なのだ。
駄目だ、もう受け身でいるわけにはいかない。この子を産むのなら、この地獄で産むわけにはいかない。
この二ヶ月、私は従順な花嫁を演じながら、水面下で観察と分析を続けてきた。民俗学の大学院生だった私にとって、この村が極めて古いシャーマン文化――自然への畏怖と、人身御供の思想が色濃く残る原始信仰――を保存していることに気づくのは、そう難しいことではなかった。彼らの超自然現象に対する盲信の度合いは、私の想像を遥かに超えていた。
「山の神を信じるというのなら、本物の神を見せてあげる」
私は心の中で、凍てつくような笑みを浮かべた。
大学時代にフィールドワークで学んだ、東北地方に伝わる巫女の憑依儀式。シャーマンが「神がかり」状態に陥る際の所作、古語を用いた託宣の様式。それらの知識が、今、私の最大の武器になる。
満月の夜。村人たちは慣習に従い、神社の本殿に集まっていた。月明かりが古びた社殿を青白く照らし、厳かで不気味な雰囲気を醸し出している。
これこそが、私が待ち望んでいた舞台だった。
「あ……ああ……」
儀式の最中、私は突如として呻き声を上げ、その場に崩れ落ちた。体は痙攣し、まるで目に見えない力に支配されたかのように激しく震え始める。
「雪奈!?」
太郎が駆け寄ろうとするのを、源次郎が手で制した。村人たちが息を呑む気配が、肌を刺すように伝わってくる。
私は大学で学んだシャーマンの憑依儀式を、細部に至るまで忠実に再現した。呼吸を不規則にし、白目を剥き、指先を硬直させる。そして、喉の奥から絞り出すように、異質な声を発した。
「禍が来る……血の債は、必ずや償われる……」
私の声は、もはや私のものではなかった。低く、不気味に響き渡り、雪子から聞きかじった、今では誰も使わない古い方言を織り交ぜていた。
源次郎が驚愕に目を見開いて私を見つめている。「こ、これは……まさか、山の神が……降臨なされたのか?」
隣で見ていた雪子が、わなわなと震えながら叫んだ。「あの子が話しとるのは古語じゃ……三百年も前の古語……本物の巫女にしか、できんことじゃ!」
私は内心で勝利を確信した。この愚かな村人たちは、私の演技に完全に呑まれた。
「罪深き者よ……一人、また一人と……裁きを受けるであろう……山の神の怒りから……逃れる者は、誰一人おらぬ……」
私は「神託」を続け、目を固く閉じ、体を揺らしながら、集まった村人一人一人の顔を記憶に焼き付けた。あの地下室で私を辱めた男たち、嘲笑った女たち。
村人たちは恐怖に顔を強張らせ、ひそひそと囁き始めた。
「本当に山の神様が……」
「わしら、何か間違ったことをしたんじゃろうか?」
「雪奈様は、やはり選ばれしお方だったんだ……」
源次郎の顔色は蒼白になり、彼もまたこの「神の奇跡」に完全に圧倒されているのが見て取れた。
演技はおよそ十分間続いた。私はゆっくりと痙攣を収め、「意識を取り戻し」、何も覚えていないかのように弱々しく呟いた。
「私……今、どうしたんでしょうか……?」
「山の神が……お前の身体に、山の神が憑依されたのじゃ……」春子が震える声で言った。「お前は、本当に天に選ばれし娘じゃ!」
その瞬間から、村における私の地位は、天と地がひっくり返るほどの変化を遂げた。村人たちの私に対する態度は、哀れな生贄への侮蔑から、神の代行者への畏敬へと変わった。私は、かつてないほどの行動の自由を手に入れたのだ。
数日後の深夜、雪子が自ら私を訪ねてきた。
「雪奈様」揺らめく蝋燭の光の下、彼女は畳に手をつき、畏敬の念に満ちた瞳で私を見上げた。「雪奈様は、真に山の神に選ばれたお方じゃ。わしが持つ巫女の秘術のすべてを、雪奈様に授けよう」
「雪子さん、顔を上げてください」私はあくまで謙虚なふりをし、彼女の手を取った。「私にはまだ、分からないことばかりです。どうか、ご指導ください」
雪子は私を彼女の茅葺きの小屋へと、まるで聖域に案内するかのように導いた。そこには乾燥させた薬草が天井から無数に吊るされ、棚には用途不明の奇妙な器具が並び、独特の匂いが立ち込めていた。
「この薬草は人を安らかに眠らせる」彼女は棚に並んだ瓶を指差して言った。「これは、ありもしない幻を見せる。そして、これは……人を永遠に眠らせる」
私の心臓は激しく高鳴ったが、表面上はあくまで敬虔な表情を保っていた。「これらはすべて、山の神の御心のために?」
「無論じゃ」雪子は厳かに頷いた。「巫女は、生と死の理を会得せねばならん。じゃが忘れるな。呪術は諸刃の剣。使い方を誤れば、我が身に返ってくる」
続く数時間、雪子は私に様々な薬草の調合と効能を、詳細に語って聞かせた。その中には、現代医学では決して知ることのできない、古来より伝わる毒物の製法も含まれていた。彼女はさらに、この村に伝わる歴代巫女の秘密や、あの「浄化の儀式」の真の目的――神の怒りを買った者を、村人自身の手で「処理」するための儀式であること――までも、誇らしげに語った。
「承知いたしました。すべては、山の神の御心のため」
私は敬虔にそう答えながら、内心では歓喜に打ち震えていた。
これこそが、私が求めていた復讐の道具だ。
さらに数日後、私は機が熟したと判断した。
村人たちの集会で、私は再び「神託」の状態に入った。「見える……田中の……彼の命の線が、黒く震えておる……死神が、既に彼の肩に手をかけた」
名指しされた田中は、鼻で笑った。「馬鹿なことを! わしは何十年もこの山で生きてきたんじゃ。山の神様は、わしを守ってくださるわい」
源次郎が心配そうに尋ねる。「雪奈様、何か具体的な予兆が見えたのですか?」
私は思わせぶりに、ゆっくりと告げた。「三日のうちに、彼は聖なる水の中で、不慮の死を遂げるでしょう」
田中はフンと鼻を鳴らし、明らかに私の言葉を信じていなかった。しかし、他の村人たちの間には、不穏な動揺が広がっていた。
それからの数日間、私は密かに田中の行動を調べ上げた。村人たちの噂話から、彼が苛立った時に村外れの温泉に一人で浸かり、心を落ち着かせる習慣があることを突き止めた。
そこは人けがなく、「事故」を起こすにはうってつけの場所だった。
雪子に教わった知識を総動員し、私は無色無味の毒薬を精心に作り上げた。この毒は、摂取から数時間後に極度の恐怖を伴う幻覚を引き起こす。中毒者は、恐ろしい怪物に襲われていると思い込み、パニック状態で自らを傷つけるという。温泉という特殊な環境では、その結末は言うまでもない。
「この薬草はな、人が最も恐れる幻を見せるんじゃ」雪子の言葉が脳裏に蘇る。「怪物に噛みつかれ、引き裂かれると思い込み、必死で己の体を掻きむしり、ついには心臓が止まる……」
翌日の夜、私は闇に紛れて田中の家に忍び込み、彼が常飲している酒壺に、完成した毒を静かに注いだ。
田中、お前が最初だ。だが、決して最後ではない。あの地下室で、私にしたことを覚えているか? 今度は、お前が本当の恐怖を味わう番だ。
太郎の家に戻り、寝台に横たわりながら、私はわずかに膨らんだ腹を撫でた。
「赤ちゃん、お母さんはね、あなたのために、悪人のいない世界を創っているのよ……」
私は暗闇の中で、そう静かに囁いた。








