第57章

女は慌てふためいて俯き、ワゴンのハンドルを固く握りしめた。

その手はよく手入れされており、時の痕跡は見られない。持ち主が普段から念入りにケアしていることの証左だ。

しかし唐沢優子は、彼女の爪の隙間が赤く染まっていることに気づいた。それは……血のように見える。

「田中主任、あなた……」

言葉が終わる前に、女は警戒したように後ろへ身を引くと、不自然に首をひねり、電動ワゴンを押してそそくさと立ち去った。

どこもかしこも奇妙だ。

唐沢優子は振り返って二、三度その姿を目で追い、歩調は次第に緩やかになっていく。

胸の内の不安が広がっていく。あの水槽から聞こえてきた衝突音は、まるで彼女の声を...

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