第2章

 翌朝、食卓の空気は窒息しそうなほど異様だった。

 林美香は私のエプロンを身に着け、二つの粥を運びながらしとやかに微笑んだ。

「雪奈さん、朝食を作ってみました。お口に合うといいのですが」

 神谷陽輝は主人の席に座り、ゆっくりと海老の殻を剥いている。

 以前は、それは私が受けるべき待遇だった。

 今、彼は剥いた海老の身を林美香の器に入れた。

「たくさん食べろ。君は痩せすぎだ」

 その声は耳障りなほど優しい。

 林美香は恐縮しながらも、挑発的な視線を私に向けた。

「ありがとうございます、神谷社長」

 私は黙々と粥をすすった。味などしなかった。

【弾幕:ムカつく!クズ男は主人公が海老アレルギーだって知らないのか?昔、主人公が彼のために海老剥きを練習して指を傷だらけにしたのに!】

【弾幕:落ち着け、もうすぐ主人公は病院に行く。カウントダウン開始だ】

「川島雪奈」

 突然、神谷陽輝が私を呼んだ。

「この海老を食べろ。美香の好意を無駄にするな」

 スプーンを握る私の手が止まる。

 私は重度の海老アレルギーだ。彼は以前それを知っていたはずだが、忘れたのか、あるいは故意なのか。

「アレルギーなの」

 私は平静に事実を述べた。

「甘ったれるな」

 神谷陽輝は冷たく鼻を鳴らした。

「昔はそんなに金のかかる体質じゃなかっただろう。食べないのは美香の顔を潰すことになるぞ」

 真っ赤な海老を見つめると、胃の中で何かが逆流しそうになった。

 アレルギーのせいではない。吐き気がするほど気持ち悪いからだ。

「分かったわ」

 私は海老を一尾掴むと、彼の目の前で口に放り込んだ。殻も剥かずに噛み砕き、飲み込む。

 喉に鋭い痛みが走ったが、私は表情一つ変えなかった。

 神谷陽輝は眉を深く寄せ、私が本当に食べるとは思わなかったのか、その瞳の奥に一瞬の動揺が走った。

「正気か?」

 私は箸を置き、ティッシュで口元を拭った。

「顔は立てたわよ。用事があるから、先に行くわ」

 バッグを手に取り、決然と歩き出す。

 別荘の門を出た瞬間、私は嘔吐した。

 だがアレルギー薬を買いに行くことはせず、そのまま東京都心にある総合病院へ向かった。

 一連の検査の後、医師はフィルムを手に重苦しい表情を浮かべた。

「膠芽腫。ステージ4です。視神経を圧迫しているので、最近視界がぼやけたり激しい頭痛があったりしませんか?」

 医師はため息をついた。

「入院をお勧めします。そうすれば、あと半年は保つかもしれません」

「治療しなかったら?」

「三ヶ月です。それに、かなりの苦痛を伴います」

 診断書を手に、病院の長い廊下を歩く。窓から日差しが差し込んでいるのに、全身が凍りついたように寒い。

 携帯が鳴った。神谷陽輝からのメッセージだ。

 写真が送られてきた。

 写真の中で、彼は林美香にネックレスを買い与えていた。それは私がかつて何度もねだった限定品だった。

追伸:【美香の方がお前より似合っている】

 その文字を見て、私は笑った。

 そして、診断書を丸め、ゴミ箱に投げ捨てた。

【弾幕:あああ!なんで捨てちゃうの!あいつの顔に叩きつけてやればいいのに!】

【弾幕:バカね、主人公は彼に将来死ぬほど後悔させたいのよ。今教えたら、同情を買おうとしてると思われるだけだもの】

 そう。

 神谷陽輝、あなたには教えない。

 いつか来るその日、あなたがこの世界のどこを探しても、私を見つけられないようにしてやる。

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