マフィアのキングは、まさかこんな花嫁になるなんて思っていなかった

マフィアのキングは、まさかこんな花嫁になるなんて思っていなかった

渡り雨 · 完結 · 23.2k 文字

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紹介

死に戻った私と姉が真っ先にしたこと――それは、花婿を交換することだった。

前の人生で、優しく穏やかな姉・弥佳は、マフィアのボスである西野綾人に嫁いだ。
しかし、その邸宅で待っていたのは、傲慢で横暴な小姑と、虎視眈々と罠を張る狡猾な愛人だった。姉は少しずつ精神を追い詰められ、失意のうちにこの世を去った。

一方の私は、平塚家の礼儀正しい隠し子に嫁いだ。
彼は紳士だった。ただ、私を愛していなかっただけ。
3年間の結婚生活のうち、実に2年半が別居状態だった。

そしてある日、私と弥佳は同時に目を覚ました。
私たちは死に戻ったのだ。あの結婚契約書にサインをする、運命の朝へと……。

チャプター 1

「西野綾人はマフィアのボスなのよ!」

 姉の弥佳は目を真っ赤に腫らし、震える声を張り上げた。

「優香、たとえ私たちが西野家と縁組みしたところで、七宮家なんて、あの人たちの目にはゴミ同然なの!」

「弥佳、あんたは優しすぎて、あの女には勝てないわ」

 私はじっと姉を見つめる。

「――でも、私は違う。あの女よりずっと狂ってるし、ずっと容赦ない」

「安冨は紳士だもの。あんたには、ああいう男のほうが合ってる」

「あの冷血なボスは、私に任せなさい」

 私は迷いなく万年筆を抜き、西野家との婚姻契約書に、自分の名を書きつけた。

 ――七宮優香。

 弥佳は、私の性格をよく知っている。一度決めたら、誰が何と言おうと引き返さない。

 姉は勢いよく飛びついてきて、ぎゅうっと抱きしめた。

「優香、絶対に……絶対に、生き延びるのよ」

 絞り出すような嗚咽が、私の肩を濡らす。

 私は、震える背中をそっとあやすように撫でた。

 わかっていた。姉の絶望まじりの泣き声の底には、私への不安と同時に――自分があの地獄から逃れられた、ほの暗い安堵も混ざっていることを。

 三時間後、飛行機はM市に着陸した。

 スマホの電源を入れた瞬間、画面が着信で乱暴に点滅する。

 ――母からだ。

 通話ボタンを押した途端、耳をつんざくような金切り声が飛び込んできた。

「優香! あんたって子は、どこまで命知らずの馬鹿なの! 姉の婿を横取りするなんて! 西野綾人の機嫌を損ねたら、七宮家全員、道連れにされるのよ! 今すぐ帰ってきなさい!」

 私は鼻で笑い、到着ロビーの出口へと歩みを早める。

「お母様、契約書をちゃんと読みなさい」

 声は氷のように冷えていた。

「書いてあるのは『七宮家の娘』。……私も、その一人よ」

「マフィアのボスが、簡単に誤魔化せる相手だと思ってるの!?」

「決まりは守るし、嫁にも行くわ」

 私はさらりと言い放つ。

「西野綾人がマフィアのボスだからって、私に扱えない男とは限らないでしょ。最悪、追い出される日が来たら――そのときは、あんたが養ってよ」

 母が返事をする前に、私は手を伸ばしてタクシーを止めた。

「じゃ、切るわ。これからは、たっぷり顔を見せに行ってあげるから」

 そう言い捨てて通話を切り、タクシーに乗り込む。

 向かう先は、西野邸。

 そびえ立つ鋳鉄の黒い門。その前には、武装した私兵が二列に並び、まるで修羅の門番だ。安っぽいタクシーから降りた私を見て、隊長格の男が銃を抜き、銃口をこちらに向ける。

「失せろ。ここは、お前みたいな小娘が好き勝手できる場所じゃねえ」

 私は瞬きひとつせず、バッグから婚姻契約書を引き抜くと、その紙束を男の顔面に叩きつけた。

「よく見なさい。私は七宮家から来た花嫁。西野綾人の婚約者よ。――さて、どっちが『失せろ』と言う立場かしら?」

 朱色の印章を確認した途端、男の顔色が激変する。奥歯を噛みしめながら、一歩退いた。

 私は鼻を鳴らし、書類をひったくると、そのまま大股で屋敷の中へ。

 重厚な玄関ホールへ一歩足を踏み入れた瞬間、シダーウッドと強い酒の匂いが、ぶわっと押し寄せてくる。

 金持ちの家って、どうしてこういう匂いが好きなのよ。

 心の中で毒づいていると、豪奢な螺旋階段の上から、甲高い笑い声が降ってきた。

「まあ、どんなお嬢様が来たのかと思えば――安っぽい小娘じゃないの」

 顔を上げると、ブランド物をこれでもかと身に着けた少女が、ヒールを鳴らしながら階段を降りてくるところだった。西野綾人の、わがままで有名な妹――綾美だ。

 彼女は私の真正面まで来ると、簡素なトレンチコートをこれ見よがしに見下ろし、野良犬でも見るような目をした。

「顔だけは、そこそこ小賢しく色っぽいわね。残念だけど、うちの兄さん、一番嫌いなのは、あんたみたいに自分から股を開きに来るクズよ?」

 隠すこともない悪意。その言葉が、私の中に眠る獣を一気に目覚めさせる。

「安っぽい小娘? 自分から擦り寄るクズ?」

 私は彼女の視線を真っ向から受け止め、口元に冷たい笑みを刻む。

「まず一つ。これは、両家が取り決めた契約。私が一人で押しかけたわけじゃない」

「それから二つめ。クズでも何でも結構。サインはもう済んだ。あんたの兄さんが私を嫌おうがどうだろうが――今夜、ベッドの上で、はっきりわかるわよね。……ついでに、あんた」

 私は彼女の肩を横から勢いよくぶつけ、そのままリビングのソファへ向けて歩き出す。

「部屋に入るときは、ちゃんとノックしなさい。見なくていいものを見る羽目になるから」

 綾美はよろけて一歩後退し、顔を真っ青にさせた。

「あ、あんた、何様のつもりよ! 生意気な――!」

 怒鳴りながら向き直った瞬間、彼女は腕を振り上げ、私の頬をぶちのめそうとする。

 ――その次の瞬間。

 私はその手首をがっちりと掴み、逆側の手で、より強烈な平手を打ち返していた。

 バチン、と乾いた音がホールに響き渡る。

「私を殴るですって?」

 綾美が目をむいて叫ぶ。

「やってみなさい、とでも言うと思った?」

 私は喉奥から笑いを漏らし、彼女の手首を放り出すと、今度は綺麗に巻かれたカールヘアをわし掴みにした。

 遠慮なく、頭を横の柱へ叩きつける。

 鈍い衝撃音。続いて、柱に肩を強くぶつけた悲鳴が上がる。

 さらにもう一撃お見舞いしてやろうとした瞬間――

 螺旋階段の上から、妙に作り込んだ女の悲鳴が飛んできた。

「まあっ! 綾美! 何をしてるの、あなたたち!」

 私は動きを止めて顔を上げる。

 ――雨宮桃子。

 真っ白なロングドレスに身を包み、隙のないメイクで、さながら聖女ぶった天使のような笑みを張り付けている。でもその瞳の奥で、ほんの一瞬、歪んだ愉悦がきらりと光ったのを、私は見逃さなかった。

 彼女は優雅な足取りで階段を降りてくると、わざとらしく眉を寄せた。

「優香さん。たとえこの結婚に不満があったとしても――屋敷に入った初日から、リビングで綾人さんの妹さんをここまで殴るなんて、どうかしているわ」

 私の乱れた髪と、半分外れかけたボタンを、彼女の視線がゆっくりとなぞる。

 そして口元を手で押さえ、嫌味たっぷりにささやいた。

「見てごらんなさいよ、そのみっともない格好。服はぐしゃぐしゃ、髪はボサボサ――まるで路上で騒ぎ立てる発狂女ね」

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