彼らは彼女を溺愛し、私はすべてを捨てることにした 〜伝説のデザイナーは未練なんてありません〜

彼らは彼女を溺愛し、私はすべてを捨てることにした 〜伝説のデザイナーは未練なんてありません〜

相葉悠衣 · 連載中 · 575.0k 文字

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紹介

かつて世界を震撼させた天才デザイナー。それが私だった。

だけど愛する人のため、私はすべてを捨てて6年間、従順な妻として、母親として尽くしてきた。

――その結果が、これ?

結婚記念日の夜。夫は億単位の金を投じて私の「幻の引退作」を競り落とした。……すべては、生配信のカメラの前で、愛人の首に飾るために。

追い打ちをかけるように、私の愛しい娘がステージへと駆け上がり、その女に抱きついて絶叫したのだ。「ママ!」と。

私の6年間は、ただのピエロだったってわけね。

離婚を突きつけると、元夫はフッと冷笑した。

「ただの家政婦の分際で、俺の金なしに3日も生きられると思ってんの?」

笑わせないで。

お前がいま、全財産と人脈を投げ打ってでも死に物狂いで会いたがっている伝説のデザイナー『ユナ』が……

お前がゴミクズみたいに捨てた、この私だってことも知らずに。

さあ、復讐の始まりよ。

私の人生を泥塗りにした奴らから、すべてを毟(むし)り取ってあげるわ。

チャプター 1

夜10時。佑奈は、チャリティディナーの生中継を流していたテレビを消した。

食卓には見た目だけは美しい料理が並んでいるのに、湯気はとっくに消えている。

ついさっきのチャリティディナーで――帝京のセレブ界に君臨する有川グループ社長・有川紘樹が、破格の金額で神級ジュエリー『星河の夢』を競り落とし、その場で当代人気デザイナー佐伯薫の首に、自らの手でかけたのだ。

佐伯薫は瞳を潤ませ、胸に手を当てて深々と頭を下げる。

「一番の親友、紘樹に感謝します。それから、この作品のデザインを手がけたユナ先生にも。先生はもう表舞台から退かれていますけど……この『星河の夢』は、私の人生で最高の贈り物です」

佑奈はその光景を、笑っているのか笑っていないのか分からない顔で見つめていた。

有川紘樹は知らない。佐伯薫も知らない。

姿を消したはずのジュエリー界のデザインマスター――「ユナ」が、今この瞬間、テレビの前に座っていることを。

そして、自分の夫が、かつて自分が筆を置く原因になった渾身の一作を、別の女の首にかけていることを。

さらに滑稽なのは――。

難産の末に大出血し、命を削って産んだ娘の有川菜央が、佐伯薫デザインのドレスを着て花束を抱え、ステージへ駆け上がったことだ。

菜央は背伸びして、佐伯薫の頬にちゅっとキスをする。

「薫おばさん、すっごくきれい! わたしの中の綺麗なママ!」

子どもの無邪気さは、いちばん人を切り裂く。

これが、彼女が仕事を捨てて家庭に戻った末に手に入れた結末だった。

今日は本来、有川紘樹と結婚して6周年の記念日。

その日のために、半月も前から準備してきた。娘に贈るための手作りヘアピンも作った。菜央がずっと欲しがっていた、あのキャラクターのものを。

なのに――。

夫は、別の女とスポットライトを浴びている。

娘は、舞台の上で別の女を「ママ」と呼ぶ。

佑奈は俯き、胸の奥がじわじわと凍っていくのを感じた。

突然、思う。――この6年は、最初から最後まで笑い話だったのだと。

賢く尽くせば、紘樹の石みたいな心もいつか温まると思っていた。

娘を全力で愛せば、たとえ紘樹に好かれなくても、菜央だけは自分の味方になってくれると思っていた。

現実は容赦なく頬を張った。

有川紘樹にとって自分は、有川家という大樹に寄りかかって生きる、存在感のない専業主婦。

有川菜央にとって自分は、叱ってばかりの実の母より、優しくて気前よくプレゼントをくれる佐伯薫のほうがずっと上。

泣くと思った。

けれど頬に触れても、何も濡れていない。

失望が限界まで積もると、涙すら枯れるのだと知った。

佑奈は立ち上がり、食卓の料理をすべてゴミ箱へ捨てた。ヘアピンも一緒に放り込む。

欲しがる人がいないなら、捨てればいい。

三十分後。玄関で指紋ロックが解錠される電子音がした。

扉が開き、有川紘樹が眠り込んだ有川菜央を片腕で抱いて入ってくる。

ソファに座る佑奈を見るなり、男の眉がわずかに寄った。今日が何の日か、完全に忘れている顔。

「まだ寝てないのか?」

靴を替えながら、声を低くする。

佑奈は答えず、ただ静かに見つめた。

10年愛した男。

かつて溺れるほど好きだったその目には、いま苛立ちしか残っていない。

紘樹は菜央を出迎えた使用人に渡し、ネクタイを緩めながら階段へ向かった。佑奈の横を通っても、足を止めない。

「菜央は今日は疲れてる。薫が限定のブラインドボックスをくれて、あの子、すごく喜んでた。明日、またくだらないことで叱るなよ」

その言葉が耳に入った瞬間、佑奈の中で何かがすっぱり切れた。

彼女がしつけをしていたのは、薫の甘やかしで育ったわがままを正したかったからだ。

だが紘樹の目には、それが「厳しくてつまらない」だけに映る。

「有川紘樹」

不意に、佑奈が口を開いた。声は驚くほど静かだった。

紘樹が足を止め、振り返る。

「何だ?」

佑奈は顔を上げ、冷たく傲慢な眉眼をまっすぐ射抜く。

「離婚しましょう」

空気が凍りついた。

紘樹は目を細め、瞳に嘲りを浮かべる。驚きはない。むしろ「やっぱりな」という色。

「佑奈、今日は誰に何をされた? それとも暇すぎて、こういう手で俺の気を引くしかないのか?」

彼にとって、佑奈が自分なしで生きていけるはずがない。

仕事もなく、友達もなく、有川家に寄りかかってセレブごっこをするだけの女。

離婚など、冗談にもならない。

佑奈は、その当然のような表情を見て、自分がどれほど盲目だったかを思い知った。

あの誘拐事件――彼を助けるため半身を投げ出し、右手の神経を損傷してデザインを完全にやめた。重傷で、病院で三日間も昏睡した。

目覚めたとき紘樹が礼を尽くしていた相手は、彼のベッド脇にいた佐伯薫だった。彼は彼女を命の恩人だと信じ込んだ。

説明した。

だが紘樹は信じず、功績を横取りする腹黒い女だと決めつけた。

その瞬間から、佑奈は有川家に取り入ろうとする虚栄の女。両家の許嫁と有川爺さんの意向がなければ、そもそも結婚などしなかった、と。

「冗談じゃないわ」

佑奈の声には、一切の感情がない。

「菜央はあなたに。財産もいらない。署名して」

紘樹がようやく、彼女を正面から見た。

地味な部屋着、すっぴん。それでも骨の奥の清冽さは隠れない。

ただ、いつも愛で満ちていた瞳は、いまや死んだ水のようだった。

制御不能な感覚が、紘樹の胸を妙にざらつかせる。

男は鼻で笑い、スーツの内ポケットからカードを取り出して、佑奈の前のテーブルへ放り投げた。

「生中継見たんだろ。あの『星河の夢』が欲しかったのか? 佑奈、いい加減にしろ。欲が深すぎる」

見下ろす視線は冷たい。

「薫は有名デザイナーだ。あのネックレスは、彼女がつけてこそ価値がある。お前がつけてどうする。宝の持ち腐れだろ」

カードを指で弾く。

「これは上限なしだ。補償だと思え。明日、デパートで服でも買え。みすぼらしい格好で有川家の顔を潰すな」

それだけ言い捨て、紘樹は二度と振り返らずに階段を上った。

宝の持ち腐れ。

――それは、ユナの作品だ。

この世界で、それを身につける資格があるのは、自分だけなのに。

佑奈はカードを見ても、目に波一つ立てなかった。

帝京のセレブ界は知っている。有川社長は妻に気前がいい、と。

だが誰が知っているだろう。これは気前などではなく、口止め料だ。

次の瞬間、佑奈はハサミを手に取った。

「カチャン」

カードは真っ二つに割れ、ゴミ箱へ落ちる。

佑奈は二階へ向かい、離婚協議書を取りに行こうとした。

子ども部屋の前を通りかかったとき、扉が少しだけ開いていた。

有川菜央がキッズスマートウォッチを抱え、布団の中でこそこそ音声メッセージを送っている。

「薫おばさん、パパね、今日はわたしを怒らなかったよ。あのボックス、かわいいって褒めた! 薫おばさんがほんとのママだったらよかったのに。あの女、野菜いっぱい食べろって言うだけ。だいきらい!」

佑奈は、扉の前で指をぎゅっと握った。

覚悟していたはずなのに、娘が自分を「あの女」と呼ぶのを耳で聞くと、胸の奥がずきりと痛む。

――もう、未練はない。

書斎へ行き、用意してあった離婚協議書を有川紘樹の机に置く。署名はすでに済ませてある。

有川紘樹が自分を、寄りかかって生きるだけの女だと言うなら――見せてやる。

有川紘樹を離れたとき、佑奈がいったい「何者」なのかを。

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