紹介
最初の八回は、泣きすがって別れを拒んだのは私だった。
でも九回目は違う。離婚届を突きつけたのは、この私だ。
彼はサインを終えると言った。「彼女が出て行ったら、またやり直そう」
私は答えた。「……わかった」
彼は知らない。私の航空券は、もう予約してあることを。
今度こそ、私は本当に去る。
チャプター 1
映美視点
夫の体はまだ私の上に覆い被さっているというのに、その心はとっくに別の場所へと飛んでしまっていた。
今日は、浅井理奈が帰国する日だ。
事後。彼は私の隣に横たわり、虚ろな瞳で天井を見つめていた。
私は上体を起こし、ナイトテーブルの引き出しから、昨夜のうちに署名を済ませておいた書類を取り出すと、彼の胸の上に置いた。
「サインして。この後、空港まで理奈を迎えに行くんでしょう」
悠人は一瞬きょとんとして、視線を落として離婚届を目にすると、跳ね起きるように身を起こした。その顔には、見慣れない困惑の色が浮かんでいる。
九回目となる離婚。過去八回はすべて彼から切り出され、彼が私の前に離婚届を突きつけてきた。そのたび私は、泣きながら首を横に振るか、土下座してすがりつくか、さもなければ彼の隙を見て書類を隠してきた――まるで、その紙切れさえ見えなくなれば、この結婚生活をもう少しだけ繋ぎ止められるとでも言わんばかりに。
離婚届を私の方から差し出すのは、これが初めてだった。
彼はその用紙をじっと見つめ、ずいぶんと間を置いてからペンを手に取り、署名欄にゆっくりと自分の名前を書き込んだ。その動きはひどく遅く、普段の彼――何事も即断即決の灰瀬悠人とはまるで別人のようだった。
彼は離婚届を私の手元に戻すと、抑揚のない声で言った。
「理奈が帰ったら、また籍を入れよう」
「ええ」
私は短く応じ、書類を折りたたんで封筒にしまった。
八回の離婚と、八回の復縁。彼はこれまで一度も約束を破ったことはない。婚姻中は絶対に浮気をしないという約束も、彼は律儀に守り抜いてきた――なぜなら、離婚した後に彼が何をしようと、私には口出しする権利などないからだ。それは自由であって、裏切りではない。
その馬鹿馬鹿しいほど几帳面な「誠実さ」のせいで、私は界隈の笑い者になっていた。
灰瀬悠人が愛しているのは理奈である。そんなことは誰もが知っていた。
そして私、白石映美は、時間になれば呼び戻され、用が済めば追い払われる、ただの都合のいいおもちゃに過ぎない。
私は立ち上がり、クローゼットへスーツケースを取りに向かう。
「今回は俺が出て行くよ」
彼の視線が私を追い、その口調には言葉にしがたい不安が混じっていた。
「いいの。晴香おばあちゃんにお願いして、しばらくお世話になることになってるから」
途端に、彼の顔色が変わった。
「映美」
彼は勢いよく居住まいを正し、声を数段低くした。
「ばあちゃんのところへ行って、何をするつもりか、はっきり言え。お前にはもう身寄りがないんだぞ。俺のばあちゃん以外に、この世界でお前を気にかけてくれる人間がどこにいる? お前は、この世で唯一お前を大事に思ってくれている人まで利用するつもりか?」
二回目の離婚の時のことを、彼ははっきりと覚えているのだ。あの時、私は半ば狂気に駆られていた。睡眠薬を大量に飲み込み、おばあちゃんの家の居間の前で倒れ、そのせいで彼女はショックのあまり心臓発作を起こしてしまった。
彼の言わんとしていることは、痛いほど理解できた――要するに、理奈との時間を邪魔されたくないのだ。一切のトラブルを避けたいし、何より私に祖母を盾にされて掻き回されたくない。ただでさえ、彼と理奈は一緒に過ごせる時間が少ないのだから。
三回目の離婚の後、私は理奈が住むマンションの下で丸二日も張り込んだことがある。車の中で体を丸め、すっかり冷え切ったおにぎりを齧っていた私は、泥まみれのような無惨な姿だったため、危うく管理会社に不審者として通報されそうになった。
三日目の早朝、二人が揃って外出するのをようやく捉え、私は悠人のプライベートクラブまでこっそり後をつけた。個室のドアを押し開けた時、彼らはまさにキスをしている最中だった。
悠人は理奈の肩に手を回したまま、悪びれもせずにこう言い放った。
「お前も、あの女みたいに俺から離れられなくなればいいのにな」
周囲から冷やかしの声が上がり、笑い声が個室に響き渡った。
誰かが入り口に立つ私に気づいて、その笑い声は唐突に鳴り止んだ。
悠人はほんの一秒だけ驚いた顔を見せたが、すぐに内ポケットから離婚届を取り出し、見せつけるようにテーブルに置いて、淡々と言った。
「俺と映美は、もう離婚してるんだ」
あの瞬間、私はドアの前に立ち尽くしたまま、泣くことすら忘れていた。
それ以来、界隈の誰もが知るようになった。悠人が深く愛しているのは理奈であり、別れた妻である私が未練がましく付き纏い、手を放そうとしないのだと。彼は一途な男で、私はただの笑い者だった。
もっとも、今回の彼の心配は、いささか取り越し苦労というものだ。
「おばあちゃんのところに泣きついたりしないわ」
自分の声が、見知らぬ誰かのようにひどく平坦に聞こえた。
「あなたたちの邪魔もしない」
悠人は眉をひそめ、自分の耳を疑うかのように黙って私を値踏みしていたが、それ以上は何も言わなかった。
私はスーツケースのハンドルを握り、背を向けて玄関へと歩き出した。
「理奈がこっちにいるのは半月だけだ」
不意に、彼の手が私の手首を掴んだ。声のトーンが少し下がる。
「半月経ったら、また籍を入れよう」
私は一瞬だけ立ち止まり、心の中でそっと嘲笑した。
なんて偶然だろう。
私の航空券はすでに手配済みだ。行き先は海外。そして出発の日は――ちょうど半月後だった。
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