さよなら、世間知らずな私。これより、皆様に破滅をお届けに参ります

さよなら、世間知らずな私。これより、皆様に破滅をお届けに参ります

猫又まる · 完結 · 29.5k 文字

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紹介

純白のウェディングドレスに身を包んだあの日、私は人生で最も幸せな花嫁になるはずだった。

隣の試着室から、婚約者である清水悠馬の声が聞こえてくるまでは――。

「彼女、本当にあなたが愛してるって信じてるのか?」
「もちろんさ。浅倉早苗は本物の世間知らずだからな。甘い言葉を囁けば、すぐに涙ぐんで感謝してくれる」

――ガシャン。
私の世界が、音を立てて砕け散った。

三年間、私が信じてきた愛は、すべてが嘘。浅倉家の信託基金だけを狙った、冷酷な企業合併のための茶番劇。
さらに私を絶望の底に突き落としたのは、たった一人の家族である兄黒川尾原までもが、この裏切りに加担していたという事実だった。

愛する二人に、ただの駒として扱われていた私。

ならば、望み通り「駒」として、この盤面から消えてあげましょう。
私は、結婚式当日に自らの死を偽装するという、最も過激な復讐を選んだ。

そして五年後。
B市の地に降り立ったのは、かつての世間知らずな令嬢浅倉早苗ではない。
数十億円を意のままに操る、冷徹な投資の女王椎名美月。

私が戻ってきたのは、許すためじゃない。
私を裏切ったすべての人間に、その代償を支払わせるため。

「ねえ、清水悠馬。祭壇で死んだはずのあの女を、まだ覚えているかしら?」
「――あなたの破滅を祝いに、地獄から戻ってきたわ」

チャプター 1

白山ホテルの最上階にある会議室。その床から天井まで続く窓からは、碧渚湾の絶景が一望できた。だが、室内に漂う空気は、敗北の匂いで淀んでいた。長テーブルを囲む弁護士や財務顧問たちの顔は険しく、高価なスーツもその表情に刻まれた敗北感を隠しきれてはいない。

清水悠馬は、テーブルの末席に力なく沈み込んでいた。かつては糊のきいていたはずの高級スーツも、今では皺だらけでくたびれている。充血した目で虚空を見つめながら、マホガニーの天板を指でとんとんと叩き続けている。左手首には、かつて高級腕時計があった場所にかすかな日焼けの跡が残るだけだ。その腕時計さえ、数ヶ月前に質に入れてしまった。

会議室のドアが、静かなクリック音とともに開いた。そして、彼女は入ってきた。

椎名美月は、まるでこの場所の主であるかのように振る舞った。完璧に仕立てられた黒のビジネススーツに、艶やかな金髪はタイトなシニヨンにまとめられている。大理石の床に響く一歩一歩の足音が、ナイフのように沈黙を切り裂いた。

「椎名様、本日はお時間いただき、誠にありがとうございます」

弁護団の代表が椅子から立ち上がって言った。

「時は金なり、ですわ」

椎名美月は鋭い声で返した。

「早速、本題に入りましょう」

その声に、清水悠馬は顔を上げた。瞳孔がきゅっと収縮する。その声色には奇妙な既視感があった。思い出せない夢から聞こえてくる残響のようだ。

椎名美月は、冷たい満足感に満たされるのを感じた。五年ぶりね、清水悠馬。想像していた以上に惨めな姿じゃない。

部屋は、椎名美月のヒールが鳴らす音以外、完全に静まり返った。その一歩一歩が、ハンマーのように清水悠馬の胸を打ちつけた。

椎名美月は目の前のフォルダをゆっくりと開いた。

「清水テクノロジー。かつては数十億の価値があったものが、今や借金まみれ。何があったのですか?」

「市況が……急激に変わりすぎたんだ」

清水悠馬はかすれた声でどもった。

「AIバブルが弾けて、その渦中に……」

「渦中、ですって?」

椎名美月の視線が彼を射抜き、その緑の瞳は氷のように冷たかった。

「成功者は言い訳をしません。完全に失敗するか、より強くなって再起するかのどちらかです」

彼女は椅子に深くもたれかかり、まるで顕微鏡の下の虫でも観察するように彼を吟味した。

「椎名投資が、清水テクノロジーの全資産と負債を引き受けます。ただし、条件がありますわ」

沈黙が伸びる。椎名美月が清水悠馬の狼狽する様を楽しんでいるのは明らかだった。

「あなたは、一社員として会社に残りなさい。給与は標準的なもの。特別な待遇はありません」

清水悠馬は椅子を床にけたたましく擦らせながら、勢いよく立ち上がった。

「ふざけるな!ここは俺の会社だ!」

「あなたの会社『でした』わ」

椎名美月は平坦な口調で訂正した。その一言一言が、平手打ちのように響く。

「もう違います」

「清水さん、これが我々が得られる最善の条件です」

弁護士が静かに言った。

「他の投資家は皆、完全に退いてもらうことを望んでいます」

清水悠馬は椅子に崩れ落ち、震える手で拳を握りしめた。五年前、彼はこの街の頂点にいた。それが今では、施しを請う身だ。

「異論がなければ、書類に署名しましょう」

椎名美月はバッグに手を入れると、高価な万年筆を取り出した。

彼女は署名する際、わざと左手を書類の上に置き、窓からの光が指のエメラルドの指輪を捉えるようにした。

清水悠馬の目は、磁石に引き寄せられるようにその指輪に釘付けになった。彼の瞳孔が驚きに見開かれる。あの指輪は……浅倉家の家宝、浅倉早苗の指輪!

「その指輪……」

彼は囁いた。

椎名美月は顔を上げ、瞬きもせずに緑の瞳で彼を見つめた。

「何か?」

「いや、ただ……見覚えがあるような気がして」

「特別だからかもしれませんわね」

彼女はわざと指輪をひねり、エメラルドにさらに光を当てた。

「祖母の形見なんです。曰く付きらしいですわ」

清水悠馬の頭は混乱していた。ありえない……浅倉早苗は五年前、死んだはずだ。あの指輪は彼女と共に埋葬されたはず。だが、この女の目、話し方……。

椎名美月は、流れるような自信に満ちた文字で「椎名美月」と署名した。

彼女の視線が、会議室の壁に飾られた一枚の写真へと彷徨った。五年前、浅倉家と清水家が提携契約を結んだ時の写真だ。写真の中の浅倉早苗は黒いスーツを身にまとい、その笑顔は明るく、信頼に満ちていた。清水悠馬がその隣に立ち、ハンサムで自信に溢れ、その瞳には本物の愛と見えるものが宿っていた。

その記憶が、椎名美月を激しく打ちのめした。清水悠馬はかつて約束した。

「結婚したら、ハネムーンはイタリアに行こう。トスカーナの太陽は、君の笑顔みたいに輝いているから」

そして彼女はそれを信じ、こう返したのだ。

「こんなに愛してくれる人なんて、他にいないと思ってた」。

椎名美月は写真の中の、人を信じきっていたあの娘を見つめ、胸の内で感情が渦巻いた。あの浅倉早苗はもう死んだ。その場所に立っているのは、椎名美月なのだ。

清水悠馬は彼女の視線を追い、写真に気づくと、さらに顔を青ざめさせた。

「あれは……」

「美しい方でしたね」

椎名美月は静かに言ったが、清水悠馬はその声色に何か別の響きを感じ取った。

「若くして亡くなるとは、お気の毒に」

「彼女の話は……やめてくれ」

清水悠馬の声がひび割れた。この五年、浅倉早苗の死は、生きながら彼を蝕み続けていたのだ。

「なぜですか? 罪悪感でもあるのかしら?」

清水悠馬の唇は震えたが、彼は黙り込んだ。

弁護士たちが書類を片付け始める。奇妙な緊張感が空気を満たしていた。清水悠馬は椎名美月を凝視し続け、その顔に何か見覚えのあるものを探していた。その優雅な立ち居振る舞い、話す時のわずかな間、指輪に触れる仕草さえも……。

椎名美月は立ち上がると、陽光が横顔を照らす位置に立った。ほんの一瞬、清水悠馬は胸が張り裂けそうなほど見慣れたシルエットを見た。

「待ってくれ……」

だが、椎名美月はすでに窓の方へ向き直っていた。

「B市は本当に美しい街ですね。歴史に満ち、そして秘密にも満ちています」

彼女は再び室内に向き直り、完璧なビジネススマイルを浮かべた。

「明日から、清水テクノロジーは生まれ変わります。過去の過ちは、償われなければなりません」

「皆様、また近いうちにお目にかかることでしょう」

エレベーターの中で、ドアが閉まった瞬間、椎名美月のプロフェッショナルな仮面は剥がれ落ちた。彼女はゆっくりと手袋を脱ぎ、手首にある細い傷跡を露わにする。五年前の手術の傷跡だ。

鏡張りの壁には彼女の姿が映っていた。金色の髪、完璧なメイク、非の打ちどころのないスーツ。すべてが、周到に用意された武器だった。

決意が椎名美月の内を満たした。五年間の準備、五年間の待機、そしてついにこの日が来た。

『清水悠馬、五年前、花野ブライダルで泣いていたあの娘を覚えている?あの娘は死んだ。今ここにいるのは、あなたが二度と触れることのできない女王よ』

携帯が震えた。画面に水野奈津の名前が光る。

「第一段階完了。彼は疑い始めたわ」

「気をつけろ、早苗。感情で計画を台無しにするな」

「心配ないわ、奈津。私はもう浅倉早苗じゃない。あの世間知らずな娘は五年前に死んだのよ」

白山ホテルのロビーは、大理石とクリスタルのシャンデリアで輝いていた。椎名美月は石の床を横切り、その一歩一歩から自信が溢れ出ていた。

「椎名様、お車をお呼びいたしましょうか?」

ドアマンが丁寧に尋ねた。

椎名美月は優雅に微笑んだ。

「いえ、結構です。少し歩こうと思います」

ホテルの外に出ると、B市の春のそよ風が彼女の顔を撫でた。彼女はエントランスに立ち、かつて自分に多大な苦痛をもたらしたこの街を見上げた。

冷たい怒りが、椎名美月の胸に宿った。

『清水悠馬、黒川尾原、森本日織……。私が死んだとでも思った? 私の苦しみの上に築いた幸福を享受しながら、安らかに眠れるとでも? 甘かったわね。私は戻ってきた。許すためじゃない、あなたたちに代償を払わせるために』

彼女は指のエメラルドの指輪をひねり、それが太陽の光を浴びて、復讐の炎が燃える己の瞳のようにきらめくのを見つめた。

椎名美月は静かに囁いた。

「また会えたわね。さあ、過去の清算を始めましょうか」

春の風がB市の街を吹き抜け、新しい季節と、復讐の始まりを告げていた。

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