息子が夫の不倫を隠していた

息子が夫の不倫を隠していた

大宮西幸 · 完結 · 19.6k 文字

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紹介

「なあ浩一、お前毎日愛人に会ってるのに、奥さん気づかないのか?」

「俺が頭いいからな。完璧な隠れ蓑があるんだよ」

夫の得意げな声がヘッドホンから聞こえてきた。

「何だよ、定番の『残業』ってやつか?おいおい、そんなの誰でも使うだろ――」

「いや、違う。もっといい。智也が味方なんだ」

息が止まった。

「お前の息子?マジで?」

「ああ。あの子が俺をかばってくれる。俺が残業だって言うたびに、裏付けしてくれるんだ。『お父さんはすごく頑張ってるんだよ、お母さん。休ませてあげなきゃ』ってな。完璧だろ。葵はあの子の言うことなら何でも信じる。完全に盲目的だよ」

相手の男が笑った。「それは……おい、天才的だな。本当に全然気づいてないのか?」

「まったく。智也のことは完全に信頼してるからな」浩一の声に笑みが滲んでいるのが分かった。「おかげで全部スムーズだ」

全身の感覚が消えた。胸を押し潰す重さだけが、まだ息をしていることを教えてくれた。

チャプター 1

葵視点

「おい浩一、毎日浮気相手と会ってるんだろ。よく奥さんにバレないな?」

「うまくやってるからさ。完璧な隠れ蓑があるんだよ」

 ヘッドホン越しに、夫の得意げな声が響く。

「なんだ、いつもの『残業』って言い訳か? やめとけよ、そんなの誰だって――」

「いやいや、もっといい手さ。俺には智也っていう味方がいるんだ」

 呼吸が止まった。

「子供? マジかよ」

「ああ。あいつが俺を庇ってくれるんだ。俺が残業で遅くなるって言うたびに、あいつが援護射撃してくれる。『お父さんはお仕事頑張ってるんだよ、お母さん。休ませてあげようよ』ってな。完璧だろ。葵はあいつの言うことなら何でも信じるからな。完全に盲目的だよ」

 相手の男が笑った。「そりゃ……お前、天才だな。奥さん、本当に気づいてないのか?」

「これっぽっちも。あいつは智也を完全に信用してるから」浩一の声に笑みが混じっているのがわかった。「おかげで万事うまくいってるよ」

 全身の感覚が麻痺していく。胸を押し潰すような重圧だけが、私がまだ息をしていることを教えてくれていた。

 智也。まだ六歳の息子。あの子が、浩一の嘘に加担していたなんて。

 どれくらいデスクで呆然としていただろう。やがて私はヘッドホンを外した。

 全ての発端となったメールは、まだ画面に開かれたままだ。差出人は空欄。件名にはただ一言、「知っているでしょう」とある。添付された音声ファイル。本文なし。説明もなし。

 誰が送ってきたの? なぜ今?

 私は必死に受信トレイをクリックし、手がかりを探した。だが、何もない。

 そして今、私は知ってしまった。夫は一年も前から浮気をしていた。そして息子はそれを隠蔽していた。二人して私の顔を見ながら、来る日も来る日も嘘をつき、私を馬鹿にしていたのだ。あまりにも滑稽で、信じられない話だった。

 智也。毎朝私を抱きしめ、寝る前には絵本を読んでとせがむ、六歳の息子。この世の何よりも愛している存在。

 なのに、あの子はずっと浩一の裏切りを手助けしていた。ずっと私に嘘をつき続けていた。

 胸の奥で、何かが音を立てて砕け散った。

 私はバッグを掴むと、席を立った。

 玄関のドアを開けた瞬間、テレビの音が聞こえてきた。智也のお気に入りのアニメだ。

「お母さん!」智也が走ってくる。「今日、帰ってくるの早いね!」

 いつものように私に飛び込んでくる。私はそれを受け止めた。

「ただいま」

「お父さん、リビングにいるよ」智也は私の手を掴み、中へと引っ張る。「早く!」

 浩一はソファに寝そべり、スマホをいじっていた。私たちに気づくと顔を上げ、微笑んだ。

「早いな。何かあったのか?」

「ちょっと頭痛がして」嘘は自然と口をついて出た。「家で休もうと思って」

「それがいい」彼は私をほとんど見ずにスマホへ視線を戻した。「俺は今夜、残業で遅くなるけどな。大きなプロジェクトの締め切りがあるんだ」

 私は彼をじっと観察し、罪悪感や動揺の色を探した。だが、何もなかった。

「お父さん、お仕事すっごく頑張ってるんだよ」智也がソファによじ登り、浩一の隣に座る。「ね、お母さん?」

 録音された浩一の声が頭の中で木霊する。「俺が残業で遅くなるって言うたびに、あいつが援護射撃してくれる」

 私は無理やり笑顔を作った。「そうね。本当に大変ね」

 浩一がそこにいる間は、智也と話すことはできなかった。

 夕食は智也の好物のカレーライスにしたけれど、味なんてしなかった。

 浩一は食べ終えると、会社に行かなければと言って出て行った。

 智也は玄関に立ち、手を振った。「お仕事頑張ってね、お父さん!」

 ドアが閉まり、ようやく私は自分がすべきことを思い出した。

「智也?」私は優しく声をかけた。「少しテレビの音を小さくしてくれる? お母さん、お話があるの」

「はーい!」彼は音量を下げた。「なあに、お母さん?」

 私は彼の前に膝をついた。「智也、お父さんって本当によく残業してるの?」

 彼の表情が一瞬、揺らいだ。ほんの一瞬のことだ。今日までの私なら気づかなかっただろう。やがて彼は大きく頷いた。「うん。お父さん、仕事はとっても大事なんだって言ってた」

「そう」喉が張り裂けそうで、声がうまく出ない。「それで智也は、お父さんのお手伝いをしてるのよね? お父さんはお仕事してるよって、お母さんに教えてくれてるのよね?」

「うん!」彼は誇らしげな顔をした。「お父さんを支えるのが大事なんだって。それが家族なんだって」

 ああ、神様。この子は自分が正しいことをしていると本気で思っているんだ。

 私は手を伸ばし、彼の頬に触れた。彼はいつものように私の掌に顔を寄せる。「智也、よく聞いてね。お母さんとお父さん、これからはもう一緒にいられないかもしれないの。私たちは――」

「どういうこと? 別々のお家に住むの?」私の言葉を遮るように、彼の声が響いた。

「……ええ。たぶんね」

 彼は弾かれたように身を引いた。その勢いに、私は前のめりになりそうだった。「やだ! そんなのやだ!」

「智也、お母さんと一緒に――」

「お父さんと住みたい」彼の顔はくしゃくしゃに歪んでいたが、悲しんでいるようには見えなかった。

 誰かに心臓を鷲掴みにされたような痛みが走る。「え? 智也――」

「やだもん!」彼の声が大きくなる。「お父さんと一緒がいい! お母さんと住むなんて絶対やだ!」

「智也、お願い、聞いて――」

「やだ!」彼はなんと、足を踏み鳴らした。「お父さんがいいの! お母さんじゃなくて!」

 彼は二階へと駆け上がっていった。数秒後、寝室のドアが乱暴に閉まる音が聞こえた。

 私はその場に膝をついたまま、心が粉々に砕け散るのを感じていた。

 どれくらいそうしていただろう。やがて私は、なんとか気持ちを奮い立たせた。

 スマホが震えた。かつての同僚からのメッセージだ。彼女はここ数週間、私の仕事ぶりを評価してくれていて、新しいスタジオに私を誘い続けていた。スタジオは海外にあり、家から通うには遠すぎると断り続けていたのだが。

 だが今日、何かが変わった。

 私は返信を打ち込んだ。「その話、受けます。一ヶ月で身辺整理をして、そちらへ飛びます」

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