もう、あなたたちのことは愛していません

もう、あなたたちのことは愛していません

渡り雨 · 完結 · 21.4k 文字

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紹介

夫はもう私を愛していない。それどころか、息子さえも、私のことを愛してはいなかった。

ある日、私は夫と息子が、私に隠れて他の女性と海外で暮らす計画を立てているのを、偶然耳にしてしまった。
息子が私を裏切るなんて、初めは信じたくなかった。しかし、事実は目の前に突きつけられ、受け入れざるを得なかった。

計画が明るみに出ると、夫は私を療養院に送り込み、息子とあの女を連れて国外へ去っていった。

彼が帰国した時、すべては変わってしまっていた。

なぜなら、私はもう、彼らを愛してはいなかったのだから。

チャプター 1

友里子視点

 ダイニングテーブルの上、元木の財布が置き去りにされていた。

 友人たちと出かける際、うっかり忘れていったのだろう。私はそれを拾い上げ、彼のもとへ届けることにした。行きつけのバーまでは、ここから歩いて十分ほどの距離だ。

 まさかそこで、自分自身の『葬式』に立ち会うことになるとは夢にも思わずに。

 ……

 個室のドアは少しだけ開いていた。ノックをしようと手を挙げたその時、元木の声が耳に飛び込んできた。

「正直なところ、もううんざりなんだよ」

 私はその場で凍りついた。

「あいつは何もかも管理したがる」元木は続ける。

「俺も牧人も、息が詰まりそうなんだ」

 友人の一人が笑い声を上げた。

「なんだ、今度は牧人の食事まで監視してるのか?」

「牧人には重度のナッツアレルギーがあるからな」元木の声には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。

「それを口実に、あいつは牧人が口にするものすべてに干渉してくる。スナック菓子ひとつ食べるにしても、まずは成分表のチェックだ。まったく、骨が折れるぜ」

 胸が締めつけられるような痛みを覚え、私は思わずドア枠に身を寄せた。

「以前は、彼女のそういうところが好きだって言ってなかったか?」別の友人が尋ねる。

「それが愛の証だ、なんて言ってた気がするが」

 元木は鼻で笑った。

「昔の話だ。今はただ、息苦しいだけさ」

 目頭が熱くなる。人の心とは、こうも容易く変わってしまうものなのか。

「先週なんて、あいつは夏希の後をつけて駐車場まで行ったんだぞ」と元木。

「夏希を呼び止めて、俺を誘惑しようとしてるんじゃないかって難癖をつけたんだ。信じられるか?」

 男たちは口々に同情の声を漏らした。

「で、どうするつもりなんだ?」誰かが訊いた。

「夏希を連れて、三ヶ月ほど海外の田舎へ行くつもりだ」元木の声が弾んだ。

「静かな場所だから、集中治療にはうってつけなんだよ」

「友里子さんに怪しまれないか?」

「牧人を連れて、海外の親子プログラムに参加すると言えばいい」彼の口調に笑みが混じっているのがわかった。

「牧人も口裏を合わせてくれるさ。前にも同じ手を使ったことがあるが、毎回うまくいってる」

 膝から力が抜け、私はその場に崩れ落ちそうになった。

「本当に信じると思うか?」

「もちろん。あいつは牧人のことなら無条件に信じるからな」一拍置いて、元木は続けた。

「それに今回の妊娠は経過が不安定らしくて、最近はほとんど外出もしていない。俺たちが三ヶ月後に戻る頃には夏希の治療も終わって、すべて元通りさ」

 それ以上は聞いていられなかった。店の外へ出ると、夜の空気は窒息しそうなほど希薄で、息をすることさえ苦しかった。

 家に戻り、私はソファに座り込んだまま数時間を過ごした。

 マンションの中は死んだように静まり返っている。元木が帰ってくるのは深夜になるだろう——友人と出かける時は、いつだってそうなのだ。私は壁を見つめた。綺麗に額装された写真たち——私たちの結婚写真、牧人の赤ん坊の頃の写真。かつてはあんなにも幸せだったのに、どうしてこうなってしまったのだろう。

 無意識のうちに手が下腹部へと伸びる。膨らみはまだ小さく、見た目にはほとんどわからない。今回の妊娠には、細心の注意を払ってきたつもりだった。

 それなのに夫は、身重の妻を置き去りにしようとしている。治療を口実に、別の女と海外で三ヶ月も過ごす計画を立てているのだ。

 瞼を閉じると、堪えきれない涙が頬を伝った。

 いや、まずは牧人に確かめなければ。あの子はまだ十歳の子供だ。こんな大事なことで、私に嘘をつくはずがない。

 元木は私を騙せても、牧人までは騙せないはずだ。私の愛しい息子を騙せるわけがない。

 涙を拭い、時計を見る。あと一時間で学校が終わる。

 私は二十分ほど早めに校門へと到着した。

 保護者たちは三々五々に集まり、子供たちを待ちながらお喋りに花を咲かせている。私は一人離れた場所に立ち、バッグを両手で強く抱きしめていた。髪は無造作に束ねただけの乱れたポニーテール、顔はノーメイクだ。つわりが始まって以来、化粧をする余裕などなかった。

 終業のチャイムが鳴り響き、子供たちが一斉に湧き出てくる。私は人混みの中に牧人の姿を探した。

 彼は三人の男の子と一緒に歩いていた。誰かが言った冗談に、大きな笑い声を上げている。

「牧人!」私は手を挙げて叫んだ。

 こちらを向いた瞬間、彼の顔から笑顔が消え失せた。

 彼はじっと私を見つめた後、表情を一変させて友人たちの方を向く。

「あれは百崎さん」彼ははっきりとした口調で告げた。

「ウチの家政婦だよ」

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