紹介
私はそれを受け入れた。子供を産めない私と、跡継ぎを渇望する名木田家。それが理由だった。
夏希が「順調に」妊娠すると、亮介はまるで別人のようになった。彼女のために栄養満点の食事を作り、妊婦健診に付き添い、彼女が嫌いな食べ物一つ一つまで記憶していた。
私の誕生日さえ、彼は覚えていないというのに。
結婚式の二週間前、一通の匿名メールが届いた。
スクリーンに映し出された映像が、私にすべてを理解させた——亮介と夏希が、ベッドの上で体を重ねていたのだ。
なるほど、これが彼の「代理出産計画」の正体だったのか。
婚約者である私は、ただ最後に知らされただけの馬鹿だった。
私は結婚式の準備をすべてキャンセルし、ウェディングドレスを八つ裂きにし、指輪を投げ捨てた。
そして、私たちが結婚するはずだった日。夏希が分娩室で彼の息子を産んでいる頃、私はもう海外行きのファーストクラスに座っていた。
亮介、今度は私の方からあなたを捨てる番よ
チャプター 1
由紀菜視点
「亮介、このドレスどう?」
私は鏡の前で、期待を込めてくるりと回ってみせた。
亮介はソファに座り、スマホの画面を指で弾いている。顔を上げようともしない。
「あぁ、いいんじゃないか」
「ちょっと、全然見てないじゃない!」
私は思わず声を荒らげた。
「私たちの結婚式なのよ、もう少し真剣になってくれない?」
彼はようやく顔を上げたが、その瞳には隠しきれない苛立ちが滲んでいた。彼は私を一瞥すると、投げやりな口調で言う。
「由紀菜、どれも似たようなもんだろ。お前が決めてくれればいい」
「似たようなもの……?」
胸の奥がちくりと痛んだ。
「亮介、一生に一度の結婚式なのよ!」
「由紀菜、俺は本当に疲れてるんだ」
彼はこめかみを強く揉みながら、深い溜息をついた。
「会社のこともあるし、本家からの重圧、それに夏希の件……。もう手一杯なんだよ」
夏希。
その名前を聞いた瞬間、心臓がぎゅっと縮こまるのを感じた。
そう、夏希――彼の幼馴染であり、今、私たちの子を宿している女性。
全ての始まりは、九ヶ月前のあの夜だった。
『由紀菜、現実的な話をしよう』
あの夜、私たちのマンションのリビングで、彼は私に向き合ってそう切り出した。
『俺にはどうしても跡継ぎが必要なんだ。それができなければ君とは結婚できないし、正式に企業を継ぐこともできない。でも君は……』
彼は言葉を詰まらせた。
『子供を望めない体だ』
『だから、何?』
私は精一杯の虚勢を張って問い返した。
『夏希が、俺たちのために代理母になってもいいと言ってくれている。彼女は若いし健康だ。もしかしたら……』
『はぁ!?』
私は頭が真っ白になった。
『正気なの? 亮介、私は絶対に嫌よ!』
しかし、彼は諦めなかった。それから二週間、彼は来る日も来る日も私を説得し続けた。
『頼む、由紀菜。これしか方法がないんだ』
『あくまで医療行為だ。人工授精だし、俺たちの間に感情が入り込む余地なんてない』
『夏希はあくまで問題を解決する協力者だ。子供さえ産まれれば、俺たちは正式に結婚できる』
彼の疲弊しきった顔を見て、心が揺れた。私との結婚を貫くために、彼が親族と何度も衝突していることは知っていた。名木田家の年寄り連中は、家柄が釣り合い、跡継ぎを産める名家の令嬢を望んでいたからだ。私のような平凡な建築士ではなく。
『亮介、私は……』
『由紀菜、分かってくれ。俺は愛してるんだ。君と結婚したい。でも、全てを失うわけにはいかないんだ』
結局、折れたのは私の方だった。
『……分かったわ』
私は唇を噛み締めて言った。
『でも亮介、約束して。夏希との間に絶対に間違いは起こさないって。本当にただの医療行為なんでしょ?』
『誓うよ』
彼は私の手を強く握りしめた。
『由紀菜、俺が愛しているのは君だ。君だけだ』
今思えば、あの時の私はどれほど愚かだったのだろう。
「由紀菜?」
亮介の声で、私は現実へと引き戻された。
「聞いてるか?」
「ええ、聞いてるわ」
私は動揺を押し殺し、平静を装う。
「夏希がどうしたの?」
「最近つわりが重いらしくてな。体調が心配なんだ」
彼は眉間に皺を寄せた。
「なら、病院に付き添ってあげればいいじゃない」
彼は頷くと、またすぐにスマホに視線を落とした。
鏡の中のウエディングドレス姿の自分を見つめ、私は底知れぬ孤独を感じた。本来なら二人で幸せを分かち合う瞬間のはずなのに、彼の心はここにはない。
その時、彼のスマホが鳴った。
亮介の雰囲気が一変する。彼は甘く優しい声を出した。
「夏希? どうした?」
受話器の向こうの声までは聞こえないが、亮介の顔に焦燥の色が濃くなっていくのが見て取れた。
「今どこだ? 具合はどうなんだ? 病院には?」
「すぐ行く」
彼は弾かれたように立ち上がった。
「動くなよ、そこで待っててくれ」
通話を切ると、彼は足早に出口へと向かう。
「由紀菜、悪い。夏希の具合が良くないみたいだ。行ってくる」
「亮介!」
私は彼を呼び止めた。
「まだ選んでる途中……」
「どれも似合ってるよ、好きなのを選んでくれ」
その背中は、既にドアの向こうへと消えていた。
そうしてまた、彼は私を置き去りにして、別の女のもとへと走り去ったのだ。
その場に取り残された私は、世界が急速に音を失っていくのを感じた。
「文室様、ドレスをお脱ぎになりますか?」
店員が恐る恐る声をかけてくる。
「いいえ、もう少し着てみます」
私は引きつった笑みを浮かべて答えた。
試着室に戻り、丸椅子に座り込んで、荒れ狂う感情を必死に押し殺す。
これは一時的なことだ、と自分に言い聞かせる。夏希は私たちの子を宿しているのだから、亮介が気にかけるのは当然だ。子供が産まれて結婚さえすれば、また私を見てくれる。昔のように愛し合える……。
その自己暗示を断ち切るように、スマホの通知音が鳴った。
メールが一通。差出人は匿名だ。
数秒の逡巡の末、私は添付ファイルを開いた。
その瞬間、私の世界は音を立てて崩れ落ちた。
動画の中の亮介は、夏希を強く抱きしめ、貪るように口づけを交わしていた。頬を撫でる手、首筋へのキス、鎖骨、そして……。
指先が激しく震え、スマホが手から滑り落ちて床に乾いた音を立てた。
これは代理母手術なんかじゃない。愛し合う男女の、最も親密な行為だ。
頭の中が真っ白になる。亮介と夏希は不倫していた。そして私は、まんまと騙されていたただの道化だ!
「嘘、嘘よ、こんなの……!」
後ずさり、壁に背を打ち付ける。涙が止めどなく溢れ出した。
私は狂ったようにドレスを鷲掴みにし、引き裂いた。ビーズが床に弾け飛ぶ音が響く。続いて化粧台。並んでいた瓶やケースを全て床になぎ払う。
「文室様?」
ドアの外から、店員の不安そうな声がした。
「大丈夫ですか?」
私はその場にへたり込み、掠れた声で答えた。
「……ええ、なんでもないわ。もうすぐ出る」
「こちらのドレスは、いかがなさいますか?」
鏡に映る無惨に引き裂かれたドレスを見て、私はふと笑いがこみ上げてきた。涙を流しながら、笑う。
「いらないわ」
私は告げた。
「全部、キャンセルで」
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***
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けれど、彼らはひとつだけ間違えた。
私を、もう戻れないところまで追い詰めたこと。
私が去ると決めたあの日。
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失った誇りを取り戻し、眠っていた才能を開花させ、世界へ羽ばたくデザイナーとして新たな人生を歩み始めた。
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一方で、かつて私を捨てた男は、跪いて許しを乞う。
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けれど、もう遅い。
私が去ったあの日こそが、私が本当の自分を取り戻した日。
もう二度と、過去には戻らない。
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しかし結婚7年目、夫は秘書との不倫に溺れた。
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そう高をくくっていた夫の顔に、受理された離婚届を叩きつける。
「今この瞬間から、私の人生から消え失せて!」
初めて焦燥に駆られ、すがりついてくる夫。
その夜、鳴り止まない私のスマホに出たのは、新しい恋人の彼だった。
「知らないのか?」
受話器の向こうで、彼は低く笑った。
「良き元カレというのは、死人のように静かなものだよ?」
「彼女を出せ!」と激昂する元夫に、彼は冷たく言い放つ。
「それは無理だね」
私の寝顔に優しくキスを落としながら、彼は勝ち誇ったように告げた。
「彼女はクタクタになって、さっき眠ってしまったから」













