鬼のゲームに入った四人

鬼のゲームに入った四人

渡り雨 · 完結 · 47.2k 文字

912
トレンド
963
閲覧数
273
追加済み
本棚に追加
読み始める
共有:facebooktwitterpinterestwhatsappreddit

紹介

ある夜、私は夢を見た。
「百鬼夜行」と呼ばれるホラーゲームに参加し、鬼たちが人々を惨殺していく光景を目の当たりにする夢だ。
最初はただの悪夢だと思っていた。だが、ルームメイトの三人と共に奇妙なメッセージを受け取った時、これがただの夢ではないと悟る。
そして、ドアのチャイムが鳴り響いた瞬間——
百鬼夜行ゲームの幕が、切って落とされた。

チャプター 1

 お盆が終わる最後の夜、私は夢の中で、その生配信を見ていた。

 画面に、血を思わせる赤黒いフォントが滲むように浮かび上がる。

【百鬼夜行ゲーム開始、生死を賭したライブ配信中】

 金縛りにでもあったかのように、私は画面から視線を外すことができなかった。

 映像は、古いアパートの廊下を徘徊する何者かの視点だった。その手には、鈍い光を放つ刃物が握られている。

 そいつは管理人室の前でぴたりと足を止めると、何の躊躇もなくドアを押し開けた。

 室内では、管理人である佐藤のおばあさんが、ドアに背を向けたまま書類の整理に没頭している。背後に迫る死の気配に、全く気づく様子はない。次の瞬間、銀色の閃光が走った。叫ぼうとしたのに、喉から音が漏れることはなかった。

 犯人は手慣れた仕草で老婆の頭部を抉ると、不気味な三日月の形にくり抜き、その腰からじゃらりと鍵束を引き抜いた。

「さて、今宵の供物を決めるとしようか」

 電子的に加工された声は、男のものか女のものかも判別がつかない。

 犯人は古風な籤筒を取り出すと、鍵を一本ずつその中へと落とし、ゆっくりと振り始めた。

「運命の神よ、我に進むべき道を示したまえ」

 カチャリ、と乾いた音を立てて一本の鍵が筒から滑り落ちる。犯人はそれを拾い上げ、見せつけるようにカメラの前に突き出した。

 そこに刻まれた番号は、412——今、私が眠っている、この部屋のものだった。

 はっと息を呑んで跳ね起きると、背中はじっとりと冷たい汗で濡れていた。しんと静まり返った部屋に聞こえるのは、ルームメイトの川崎美奈の規則正しい寝息と、柳沢明日香のかすかな吐息だけだ。

 窓の外では、お盆最後の夜が白み始めていた。空に浮かぶ月が、まるで巨大な銀色の眼球のようにこちらを見下ろしている。

 無意識に枕元のスマートフォンを手に取り、時間を確認しようとして——私は自分が眠っている間に、LINEグループにメッセージを送信していたことに気づいた。内容は、今しがた夢で見た生配信のスクリーンショットと、一文。

「佐藤のおばあさんが殺された。犯人、私たちの部屋の鍵を引いた!」

 私は慌てて送信を取り消したが、メッセージの横には、無情にも「既読」の二文字が灯っていた。


 その日の夜、ベッドに入る前になって、私はとうとう堪えきれずにあの悪夢のことをルームメイトたちに切り出した。

「昨日の夜、すごく嫌な夢を見たんだ」

 ベッドの端に腰掛け、私は重い口を開いた。

「誰かが佐藤のおばあさんを殺すところを生配信していて……その犯人が、私たちの部屋の鍵を引き当てる夢」

 川崎美奈は、かけていた眼鏡をくいと押し上げ、怪訝そうな顔で私を見つめた。

「それって……『百鬼夜行ゲーム』っていう生配信の夢のこと?」

 私は勢いよく顔を上げた。

「どうしてそれを知ってるの」

「だって」

 美奈はごくりと喉を鳴らした。

「昨日の夜、あんたがグループにスクショを送ってきたでしょ。すぐに消してたけど、見ちゃったから」

 その時、それまで黙って話を聞いていた柳沢明日香が、そっと補聴器を耳に着けた。そして、手話を交えながら、少しだけぎこちない声で問いかけてくる。

「配信者のID……『月の鬼』じゃ、なかった?」

 私と美奈は、同時に息を呑んで明日香を見た。

「あ、明日香も……その夢を、見たの?」

 声が震えるのを止められない。

 明日香は静かに頷くと、そばにあったメモ帳にペンを走らせた。

『私たち三人、たぶん、全く同じ夢を見たんだと思う』


 お盆最後の夜、時計の針が零時に近づく頃。私たちはリビングの中央に身を寄せ合い、それぞれが見た夢の細部を必死に突き合わせていた。

「これは偶然なんかじゃない」

 川崎美奈が、スマートフォンで何かを調べながら言った。

「たぶん『予知夢』よ。民間伝承には、こういう夢に関する記述がたくさん残ってる」

 柳沢明日香が、メモ帳に新しい文章を書き足す。

『百鬼夜行だよ。お盆の最後の夜、悪霊たちが百鬼夜行を催すって。それに選ばれた人間は、前もって夢でお告げを受け取るっていう言い伝えがある』

 私はぎゅっと拳を握りしめた。恐怖で奥歯がガチガチと鳴る。

「連続殺人鬼に狙われるくらいなら、本物の妖怪の方がまだマシだよ……」

 一分、一秒と時間が過ぎるにつれて、部屋の空気は張り詰めていく。

 二十三時五十七分。その時、ふと一つの可能性が頭をよぎった。

「そうだ! もしこれが本当に予知夢なら、こっちで因果を変えちゃえばいいんだ! 電子機器を全部オフにして、配信そのものを見なければ、予言は現実にならないんじゃないかな」

 川崎美奈がはっと顔を上げた。

「バタフライエフェクト……。最初の条件を少し変えるだけで、未来の結果が大きく変わるっていう理論ね。あり得るかもしれない」

 私たちは即座に行動に移った。全ての電子機器の電源を落とす。私がスマートフォンの画面が真っ暗になるのを見届けると、明日香もそれに倣って自分の端末の電源を切った。最後に美奈がノートパソコンをシャットダウンする。

 アパートは、完全な闇と静寂に包まれた。

 午前零時零分零秒。

 桜アパートには、不気味なほど穏やかな時間が流れていた。私が安堵のため息を漏らした、まさにその瞬間だった。

 電源を切ったはずの私たち三人のスマートフォンが、暗闇の中で一斉に光を放った。

 412号室のLINEグループに、一本のリンクが送りつけられる。

【@白川杏子 @川崎美奈 @柳沢明日香、鏡のそばで何かが動いてるみたい!】

 送信者の名前は——月の鬼。

最新チャプター

おすすめ 😍

本物の令嬢は、もう誰にも媚びない ~裏切られた私の、二度目の人生

本物の令嬢は、もう誰にも媚びない ~裏切られた私の、二度目の人生

9.1k 閲覧数 · 連載中 · 神楽
前世の私は、有岡家で最も虐げられた「落ちこぼれお嬢様」だった。
執事の娘・西川安菜を哀れんで手を差し伸べた結果は、地獄。
兄たちの愛を奪われ、文字通り血を吸い尽くされ、体重は40キロを切った。
追い詰められた私は、絶望のまま窓から身を投げた。
死に際の一言は……「で? これから安菜の輸血はどうするの?」という皮肉。
……のはずだったのに。
目を覚ますと、私は三年前——安菜が泣きつかれてきた「あの日」に戻っていた。
可哀想なフリをする彼女を見つめ、私は笑った。
もう二度と、優しさなんて見せない。媚びもしない。
“親切”に立ち振る舞い、彼女を使用人部屋へ追いやって自立させてあげることにした。
彼女ばかり庇うお兄様たちの機嫌取りも、もう終わりだ。
かつて尽くしまくった元婚約者・石野星紀なんて、視界に入れる価値すらない。
勘違いしないで。
今の私は、ただの「有岡家のお嬢様」じゃないんだから——。
マフィア姫の帰還

マフィア姫の帰還

55.9k 閲覧数 · 完結 · Tonje Unosen
タリアは何年ものあいだ、母と義理の妹、そして継父と暮らしてきた。だがある日、ついにそこから逃げ出すことに成功する。

ところがその直後、自分にはまだ外に家族がいるのだと知る。そして本当に自分を愛してくれる人たちが大勢いることも――そんなものは今まで感じたことがなかった。少なくとも、彼女の記憶にあるかぎりでは。

タリアは人を信じることを学ばなければならない。新しくできた兄たちにも、ありのままの自分を受け入れてもらわなければならないのだ。
死に戻り真令嬢の復讐 ~偽りの家族も血の兄も要りません

死に戻り真令嬢の復讐 ~偽りの家族も血の兄も要りません

22.5k 閲覧数 · 連載中 ·
前世の橘結衣は、兄たちに尽くし続けた。どんな理不尽にも耐え、健気に笑顔を向け続けた結衣を待っていたのは――お披露目パーティーでの無残な死だった。

破滅を経て死に戻った結衣は、人が変わったように冷徹になる。もう二度と、あの愚かな兄たちのために心を痛めたりはしない。

しかし、冷遇し始めた途端、兄たちの態度が一変する。

「いい加減、そんな冷たい態度を取るな」と迫る社長の長男。

「俺の誤解だったんだ……」と苦悩する医師の次男。

「頼む、やり直させてくれ!」とプライドを捨てて乞うトップスターの三男。

「俺の妹はお前だけだ!」と泣きじゃくる不良の四男。

だが、結衣の答えはひとつだけ。

「みんな、失せて」

復讐と無関心を胸に、彼女は一人の男性の手を取った。

「宮本景太。今日からあなただけが、私のたった一人の『お兄ちゃん』よ」

――しかし、彼女の本当の身分が明かされた時、今度は血縁関係のある「実の兄たち」が押しかけてきて――!?

「『唯一の兄』だと……? じゃあ、俺たちはお前の何なんだ!?」
監禁から1年、捨てられた令嬢は元婚約者の叔父を娶る

監禁から1年、捨てられた令嬢は元婚約者の叔父を娶る

129.3k 閲覧数 · 連載中 · 鈴木楓花
監禁から1年。ようやく帰宅した今井心晴を待っていたのは、変わり果てた日常だった。
家族は心晴を探そうともせず、あろうことか姉の今井優奈のために盛大な誕生日パーティーを開いていた。
しかも、その横には心晴の元婚約者の姿が……二人は婚約していたのだ。
しかし、心晴はただの被害者ではなかった。
彼女は人知れず巨額の資産と強大なコネクションを築き上げていたのだ。
真実を知った心晴は、復讐の狼煙を上げる。
彼女が選んだ新たなパートナーは、なんと元婚約者の叔父だった。
「これからは私のことを『おばさん』と呼ぶのよ、優奈!」
すべてを奪われた令嬢は、やり直しの人生で微笑む

すべてを奪われた令嬢は、やり直しの人生で微笑む

54.1k 閲覧数 · 連載中 · 夢物語
冷たい土の中、私はゆっくりと息絶えようとしていた。
視界を染めるのは絶望の闇。そして、耳元に届くのは――従妹・原田紀奈の、歪んだ嘲笑。

「お姉ちゃん、恨むなら自分の甘さを恨みなさい」

父の薬をすり替え、母を死に追いやり、兄の事故さえ仕組んだ。すべては、目の前で笑うこの女の仕業だった。
さらに突きつけられる、あまりにも残酷な真実。

「あなたの婚約者はね、あなたが身を削って得たお金で、私への婚約指輪を買ったのよ?」

――すべてを奪われ、絶望の中で命を落とした、はずだった。

しかし、次に目を覚ますと、そこは見覚えのある「19歳の誕生日パーティー」の会場。
前世と同じように、婚約者の七瀬崚介が私に無実の罪を着せ、謝罪を迫っている。

(……でも、もう私は、あの頃の愚かな人形じゃない)

奪われた人生も、向けられた悪意も、そのすべてを覚えている。
今度は、私が奪い返す番。
裏切り者たちに、地獄以上の絶望を――たっぷり利子を付けて、返してあげる。
トップ暗殺者、学園に転生する

トップ暗殺者、学園に転生する

7.3k 閲覧数 · 連載中 · ミサキ
太平洋の孤島に響き渡る爆発音の中、私は敵と刺し違えることで、すべてに終止符を打った。
そして、目が覚めた。

16歳。肥満体型。顔中に広がったニキビ。冷え切った体育倉庫の片隅で、私は丸まっていた。
周囲から16年間ずっと忌み嫌われてきたこの肉体の中で、私はわずか3秒で状況を理解した――。

「死体への憑依、つまり――転生だ」

元の肉体の持ち主は、誰もが容赦なく踏みにじる、お人好しの「いじめられっ子」だった。
継母は慢性的な毒物で彼女の身体を破壊し、実の妹は彼女を裏切って罠に嵌め、クラスメイトは彼女を暗闇に閉じ込めて冷水を浴びせ、教師さえも一緒になって彼女を踏みつけにする。

だが、あいにく。
今この身体の中にいるのは、暗殺組織のトップだ。
地獄の底から這い上がってきた、一人の女だ。

私はまず、元の持ち主が昨夜味わった屈辱のツケをきっちりと払わせ、皮膚に残る毒素を洗い流した。
物理のテストでは満点をもぎ取り、超一流の弁護士を1分1秒の狂いもなく現場へ急行させて私の弁護に当たらせ、果ては市長自らに我が家の門を叩かせ、私の後ろ盾にならせた。

今世において、私に借りのある全ての奴らから、一筆一筆、その代償を血で購わせてやる。
離婚後、奥さんのマスクが外れた

離婚後、奥さんのマスクが外れた

330.9k 閲覧数 · 連載中 · 来世こそは猫
結婚して2年後、佐藤悟は突然離婚を申し立てた。
彼は言った。「彼女が戻ってきた。離婚しよう。君が欲しいものは何でもあげる。」
結婚して2年後、彼女はもはや彼が自分を愛していない現実を無視できなくなり、過去の関係が感情的な苦痛を引き起こすと、現在の関係に影響を与えることが明らかになった。

山本希は口論を避け、このカップルを祝福することを選び、自分の条件を提示した。
「あなたの最も高価な限定版スポーツカーが欲しい。」
「いいよ。」
「郊外の別荘も。」
「わかった。」
「結婚してからの2年間に得た数十億ドルを分け合うこと。」
「?」
本物令嬢の正体がばれました

本物令嬢の正体がばれました

166.4k 閲覧数 · 連載中 · ワニノコ
新谷南は新谷家で二十年も育てられたのに、本当の娘が戻ってきた途端、あっさり家を追い出された。

デザイン部のディレクターの席? 本当の娘へ。
何千万円もの価値がある婚約話? 本当の娘へ。

会社中の人間が、彼女という「野良扱いの娘」がどう転げ落ちていくか、笑いものにしようと様子をうかがっていた。

そんなある日、世界限定二十台の高級バイクが会社の前に止まる。降りてきた不良っぽいイケメンが言った。

「妹、兄貴と一緒に帰るぞ」

新谷家の人間「……は?」

そのあとで彼らはようやく知ることになる。

彼女こそ、国内外の美術館の館長たちが面会待ちの列を作る「南先生」と呼ばれるアーティストであり、
新谷グループの全受賞特許の名義人であり、
さらに、伝説の「国家並みの資産を持つ」と噂される周防家の、本当の長女だということを。

大手財閥の若き当主は、封印していた婚約書を取り出し、薄く唇を吊り上げる。

「なるほど。俺の本当の婚約者は、君だったわけか」
追放された偽物の娘、その正体は最強でした

追放された偽物の娘、その正体は最強でした

810.4k 閲覧数 · 連載中 · ゲゲゲ
「本物の娘が見つかった。お前はもう用済みだ」
あの子が現れたその日、私は『偽物の娘』として家を追い出された。
渡されたのは、わずかな小銭と地方行きの片道切符だけ。
さらに婚約者は私をゴミのように捨て、その日のうちに『本物』であるあの子にプロポーズした。

……上等じゃない。せいぜい勝った気でいればいいわ。
だって彼らは、私の【本当の顔】を何一つ知らないのだから。

名門病院が見放した命を救う『天才外科医』。
オークションで数億円の値を叩き出す『伝説の画家』。
裏社会の闘技場で無敗を誇る『影の女王』。
そして――彼らの全財産すら小銭に思えるほどの『真の巨大財閥の後継者』であることを。

今さら元婚約者が土下座で許しを請おうと、本物の娘が嫉妬で狂いそうになろうと、もう遅い。
かつて私に婚約破棄の書類を叩きつけた冷酷で傲慢なCEOでさえ、今や何かに取り憑かれたように私を追い回し、「もう一度だけチャンスをくれ」とすがりついてくる始末。

私を捨てて、自分たちの人生を『アップグレード』したつもり?
笑わせないで。最初から、圧倒的に上の存在だったのは私のほうよ。
私が囲っている億万長者

私が囲っている億万長者

9.6k 閲覧数 · 連載中 · ほしの ちなつ
私はただ、心の痛みを紛らわせたかっただけ。

彼は息を呑むほど美しく、落ちぶれていた。夫の裏切りがもたらした傷が完全に癒えるまで、彼をそばに置いておくつもりだった。

お金で彼の付き添いを買い、すべてのルールを私が決め、すべてを完全に掌握しているつもりだった。

けれど、私の隣で横たわるこの男の正体は、彼が語ったものとはまるで違っていた。

魅惑的な笑顔と抗いがたい容姿の下に隠されていたのは、仇敵から身を隠す億万長者の素顔だった。

今や彼は、私の生活に、私のベッドに、そして私の心に――完全に絡みついている。

身を引くことは、彼のそばにいることよりも、もっと危険かもしれない。
全能令嬢の帰還、家族が倒産?

全能令嬢の帰還、家族が倒産?

37.5k 閲覧数 · 連載中 · きりゅう りんか
万能の女神・夏川紅蓮が実家に戻ると、一家は何者かの手で破滅に追いやられた後だった。
父は冤罪で獄中にあり、母は病に伏せっている。
六人の兄たちも、ある者は身体に障がいを負い、ある者は無気力に沈んでいた。
そんな折、家に潜り込んでいた偽令嬢は状況を見るや否や一家を見捨てて姿を消し、さらに屋敷までも奪い取ろうとしていた。
世間は夏川家を「落ち目の負け犬」と嘲笑い、皆がこぞって踏みにじる。

紅蓮が静かに一声を発すれば、暗部より無数の異能の士たちが姿を現し、形勢は一瞬にして逆転する。
父は無実のまま出所し、母は健康を取り戻し、廃人同然だった長兄は再び己の足で歩き出し、残る五人の兄たちもまた紅蓮の導きによって各々の才覚を花開かせ、やがて各界を牽引する大物へと成り上がっていく。

しかし、そんな彼女を指さして嘲る者がいる。
「夏川紅蓮は地味で野暮ったい田舎者だ」と。

何を隠そう、彼女は無数の隠された顔を持つ存在。
神医の令嬢も彼女なら、国画の大家も彼女。
伝説のハッカーも彼女なら、正体不明の謎の女優も彼女。
そして、暗部を統べる首領さえも——彼女なのだ。

そんな折、頂点に君臨する名門の若様が、彼女をそっと腕のなかに抱き寄せた。

「誰が彼女を田舎くさい地味女だと言った? 彼女こそ、俺・諏訪淳行の婚約者だ」

紅蓮が流し目をひとつ送る。

「婚約、破棄しなくていいの?」

「しない」

彼が長いあいだ追い求めてきた決して手の届かない高嶺の花こそが、いま腕のなかにいる婚約者なのだ。
解消などありえない——この婚約は、死んでも解消しない。