紹介
彼女は子供が彼の子だと言い、彼はそれを信じた。
彼女は私が突き飛ばしたと言い、彼はそれを信じた。
彼女は私が嫉妬深いと言い、彼もまたそれを信じた。
ただ、私が言った言葉だけは、彼は一言も信じてくれなかった。
ウェディングドレス店に銃声が響き渡る。ヤクザの組長である戸井田慎司は、彼女を抱きかかえて逃げた。彼は、部下が私を助けに来るとでも思っていたのだろう。
あの一本の電話を受け取るまでは——
「ボス、木屋さんの姿が見当たりません……」
この冷血なヤクザの組長も、ようやく失うという味を知ったのだ。
残念ね。取り返しのつかない過ちというものは、一生続くのよ。
チャプター 1
婚約者が初恋の相手を妊娠させた。もう三ヶ月になるらしい。だが、私への裏切りはこれが初めてではなかった。
息を切らせて駆けつけた時、女が婚約者の胸に寄りかかっていた。その手は、わずかに膨らんだ腹部を愛おしげに撫でている。十数分前、戸井田組のシマであるカジノで揉め事があったと連絡を受けたばかりだった。
先に私に気づいたのは、その女だった。
「未来?」
驚きと、そしてどこか哀れむような響きを含んだ甘い声。
「どうしてここに?」
慎司の背中が強張ったのが見て取れた。それでも、彩弥香の腰に回した腕を解こうとはしない。
「揉め事があったんだ」
低い声で言いながら、彼は視線を逸らした。
「身の程知らずの馬鹿が、彩弥香に失礼な真似をしやがった。始末はつけた」
私は、彼女の白磁のような指が腹を撫でる動作を見つめる。
「何ヶ月なの」
「……三ヶ月よ」
三ヶ月前。私は死の淵にある母に付き添い、最後の肉親が息を引き取るのをただ見守っていた。三ヶ月前。たった一人で葬儀を取り仕切る私に、慎司は「片付ける用事がある」と言い捨て、焼香だけ済ませて慌ただしく去っていった。
彼が片付けていた用事とは、これのことだったのか。
「三ヶ月も知っていて、私には黙っていたのね」
「未来――」
「半年前、彼女は現れた。心不全で余命幾ばくもないと言って。あなたは彼女のために全てを投げ出した――名医、専門家、最高峰の心臓外科チーム。理解しようと努めたわ。それはただの罪悪感で、責任感なのだと自分に言い聞かせて」
彼は何も答えない。
「二ヶ月前の定例会――本来なら私たちの婚儀を発表するはずだったあの夜もそう。あなたは彼女を連れて皆の前に現れた。私は隅で道化のように立ち尽くし、囁き声を聞いていたわ。『組長の婚約者が代わったらしい』って」
「それは――」
「そして今、彼女はあなたの子を宿している」
彩弥香の瞳が涙で潤む。見上げたその顔は、守ってやりたくなるほど青白く、儚げだ。
「未来……ごめんなさい……」
震える声。
「こんなことになるなんて思わなかった。私はただ……」
彼女は胸を押さえ、呼吸を荒くする。
「先生は、私の心臓じゃ保たないかもしれないって。出産まで生きられないかもしれないって……。だから、死ぬ前に一度だけでいい、母親になる喜びを知りたかったの」
あふれた涙が頬を伝う。慎司はすぐに腕に力を込め、心配そうにその灰色の瞳を覗き込んだ。
「泣くな」
低く、優しい声。私には一度たりとも向けられたことのない響き。
「ストレスは心臓に毒だ」
私は立ち尽くしたまま、婚約者が他の女――自分の子を孕んだ女を慰めるのを見つめていた。
「彼女のせいじゃないんだ、未来」
ようやく私を見た彼は、ひどく疲れた様子で言った。
「ただ……そうなってしまったんだ」
五年の献身、五年の忍耐、五年の犠牲。それが、「ただそうなってしまった」の一言で片付けられる。
突然、彩弥香が崩れ落ちそうになり、慎司の腕にしがみついた。
「めまいが……胸が苦しいの……」
慎司の顔色が変わる。
「どうした! 発作か?」
「わからない……さっき驚いたからかも……」
彼は躊躇なく彼女を横抱きにし、出口へと向かう。そして一度だけ、私を振り返った。
「先に帰ってくれ。彼女を病院に連れて行く」
そう言い残し、どこが痛むのかと優しく問いかけながら出て行った。彼女は彼の胸に顔を埋め、弱々しく頷いている。
だが、背を向けるその刹那。
彼女の視線が慎司の肩越しに私を捉えた。涙の膜の向こう側、私が確かに見たもの――それは、氷のように冷徹な、勝利の光だった。
二時間後。私は銀行の応接室にいた。
「木屋様、お母様の遺産整理にはあと五営業日ほどかかります」
「構いません」
五日。あと五日耐えればいい。母が遺してくれたこの金があれば、どこへだって行ける。戸井田慎司のいない場所なら、どこへでも。
書類にサインし、銀行を出る。初秋の風が冷たく頬を刺した。五日後、私は彼の人生から完全に消え失せる。
屋敷に戻った頃には、すでに日は落ちていた。二階へ上がり、廊下の突き当たりにある客間へと向かう――この五年間、私が宛がわれていた部屋だ。
主寝室は、結婚後のために取ってあった。かつて慎司は、固く閉ざされたその扉を指してこう言ったものだ。『結婚したら、ここが俺たちの部屋だ』
だが、その扉が私のために開くことは、もう永遠にない。
スーツケースを取り出し、荷造りを始める。階下から物音がした。足音、そして慎司の低い声。
「足元に気をつけろ」
廊下に出て、階下を見下ろす。彩弥香が慎司の腕に縋り付き、ゆっくりと階段を上ってくるところだった。
彼女は私を見上げ、そして微笑んだ。
「未来」
甘ったるい声。
「素敵なお屋敷ね。慎司に連れてきてもらわなかったら、こんなに綺麗だなんて知らなかったわ」
慎司は私を見ようともせず、彩弥香を支えて最後の一段を上る。
「医師から静養が必要だと言われている」
事務的な口調だった。
「彼女には主寝室を使わせる。あそこの方が広いし、体にもいいだろう」
私たちの、主寝室。
「慎司――」
「彼女はもう長くないんだ、未来」
彼はようやく私を見据えた。その目には懇願の色が浮かんでいる。
「死にゆく人間と張り合うのはやめてくれ」
彩弥香は申し訳なさそうに俯き、それから彼の方に頭をもたせかけて溜息をついた。
「窓が大きくて……日当たりが良さそう……。ここでなら、きっと体も良くなる気がする……」
一呼吸置いて、彼女はさらりと付け加えた。
「もし、それまで生きていられたら、だけど」
慎司が抱く腕に力を込める。
「馬鹿なことを言うな」
彼はそのまま彼女を連れて主寝室へと向かう。私が一度も足を踏み入れたことのない聖域が、彼女のために解き放たれる。目の前で扉が閉ざされた。中からは、まるで幼子をあやすような慎司の優しい声が漏れ聞こえてくる。
私は踵を返し、客間に戻ってベッドに崩れ落ちた。この屋敷は彼が私に約束した家。あの寝室は彼が誓った未来。そのすべてが今、彼女のものになった。
一睡もできぬまま夜が明けた。私は眠ることを諦め、キッチンへと向かった。
かつて彼のために数え切れないほどの食事を作った場所。だが今や、このささやかな領分さえも奪われようとしている。
「おはよう、未来」
振り返ると、彩弥香がキッチンの入り口に立っていた。
黒いシルクのネグリジェ。胸元が大きく開き、雪のような肌を露にしている。肩に散らばる髪は気怠げで、それでいてひどく艶めかしい。
死を前にした病人には、とても見えなかった。
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