紹介
誰もが私たちが結婚し、共にプリツカー賞の授賞台に立つものだと思っていた。彼が葉山由紀子――恩師の学術上の宿敵の娘――を愛するようになる、その時までは。
私は身を引いた。愛情は、私が設計できるものではなかったから。
だが、彼があの女のために、恩師の人生をその手で破滅させることになろうとは、思いもしなかった。
五年後、功成り名を遂げた彼は東京に戻り、鎌田先生に「罪を償いたい」と意気揚々と言った。
私は、笑った。
行けばいいわ、野島覚。ただ、あなたはもう一生、先生を見つけ出すことなどできない。
チャプター 1
覚が帰国したという報せは、淀みきった建築業界という水面に投じられた一石のようだった。
プリツカー賞の最年少ノミネート候補。欧州の潤沢な資本と、すでに竣工した三つのランドマークを引っ提げての凱旋。その栄光は、直視できぬほどに眩い。
帰国祝いのパーティー会場は渋谷の『TRUNK HOTEL』。招待状なら二日前にオフィスへ届いていた。
「浅坂さん、野島さんって先輩なんですよね?」
インターンが近寄ってくる。
「以前はかなり親しかったとか? 今回戻られて、真っ先に会いたいのは浅坂さんじゃないですか」
「親しくないわ」
私は顔も上げずに答える。
「えっ? でも所長が、お二人は鎌田徹郎先生の門下生だって。それに……」
「西地区プロジェクトの立面図、出力してきて」
彼女はばつが悪そうに去っていった。
私は図面を睨みつける。だが脳裏に浮かぶのは別の設計図だ。引き裂かれ、踏みにじられ、そして最後には一人の人間を死に追いやった、あの設計図。
私は招待状を手に取ると、シュレッダーに放り込んだ。
五年前に、こうすべきだったのだ。
残念なことに当時の私は、許すに値する人間がいるのだと信じてしまっていた。
◇
夜七時。私はクライアントとの打ち合わせで、奇しくも同じホテルを訪れていた。
エレベーターの扉が開いた瞬間、ロビーの喧騒が波のように押し寄せてくる。
シャンパンタワー、交わされるグラス。東京の建築業界の重鎮たちが、こぞって集まっているようだ。
彼の姿は、一目でわかった。
覚は人垣の中心にいた。白髪の重鎮たちと談笑している。その隣に寄り添う女は、シャンパンゴールドのドレスを身に纏い、絵画のように精巧な笑みを浮かべていた。
葉山由紀子。
五年。彼女の顔に張り付いたその勝者の表情は、何一つ変わっていない。
私は身を翻して避けようとしたが、遅かった。
「雲雀」
覚の声だ。彼は大股でこちらへ歩み寄ってくる。その顔には、隠しきれない驚きと喜びが浮かんでいた。
「どうして来なかったんだ? 君の事務所にも招待状を送らせたはずだが」
まるで昨日も一緒に徹夜で図面を引いていたかのような、あまりにも自然な口調。あの五年という歳月が、単なる短期出張でしかなかったかのように。
私は半歩、後ずさる。
「野島さん、離れてください」
周囲のざわめきが瞬時に止んだ。あらゆる視線が私たちに突き刺さる。
覚の笑みが強張る。その瞳に、困惑と傷ついた色が走った。
「雲雀、まだ怒っているのか?」
彼は溜息をつき、私には見覚えがありすぎるあの『包容力のある男』のポーズをとった。
「あの時の俺が間違っていたのはわかってる。だが今回戻ってきたのは、償いのためでもあって……」
「結構です」
私は言葉を遮った。
「急いでいますので」
由紀子が絶妙なタイミングで彼の腕に絡みつき、甘ったるい声を出す。
「雲雀、もう何年も経つのに、相変わらず強情ね。覚ったら、今回のためにオークションでバウハウスのオリジナル・スケッチを落札したのよ。鎌田徹郎先生への贈り物にするって。明日、一緒に先生に会いに行きましょう? 先生もきっとあなたに会いたがっているわ」
爪が掌に食い込む。
鎌田徹郎。
よくもぬけぬけと、その名を口にできたものだ。
「必要ありません」
私は覚を見据えた。
「取り返しのつかないことというのは、あるものです」
覚が眉を寄せる。
「雲雀、恨む気持ちはわかる。だが先生は俺を一番可愛がってくれていた。きっと会いたがっているはずだ。あの事は俺の一時の迷いだった。今の俺には力がある。これからいくらでも埋め合わせは……」
私は口元を歪めた。
「覚。あなたの贈り物なんて、先生には届かないわ」
彼はきょとんとして、言葉の意味を理解できていない様子だった。
由紀子が彼の袖を引き、小声で囁く。
「先生、体調が優れないのかも。面会謝絶とか? 日を改めて予約しましょう」
「手間をかけることもない」
覚は手を振り、私に向き直った。
「わかった、まだ頭が冷えていないんだな。明日、俺一人で上野の先生のところへ行ってくる。きちんと説明してくるよ。先生が許してくれれば、君だって俺を拒む理由はなくなるはずだ」
言いながら、彼は私の肩をポンと叩いた。駄々をこねる子供をあやすかのように。
そしてきびすを返し、人混みの中へと戻っていく。自身の栄光の刻を続けるために。
私はその場に立ち尽くし、彼の背中を見送って鼻で笑った。
明日、先生に会いに行く?
野島覚。あなたは一生かかっても、もう二度と先生を見つけられない。
最新チャプター
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***
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