私を彼の後悔に埋めて

私を彼の後悔に埋めて

渡り雨 · 完結 · 19.2k 文字

710
トレンド
710
閲覧数
0
追加済み
本棚に追加
読み始める
共有:facebooktwitterpinterestwhatsappreddit

紹介

私の夫、和孝は、誘拐犯を前にして、彼の義姉を救うことを選んだ。

誘拐犯が私のこめかみに銃口を突きつけ、こう尋ねた。
「お前の妻か、それとも義姉か。どちらかを選べ」

和孝は、一瞬のためらいもなく答えた。
「美沙希を解放しろ」

その瞬間、私のお腹の中で動いていた子供までが、ぴたりと動きを止めた気がした。

その後、私は地下室に囚われた。出産を遅らせるための薬が、何度も私の血管に流し込まれる。和孝は、「長男」として生まれる順位を、彼の義姉の子に譲ろうとしていたのだ。

生温かい血が、ついにスカートの裾を濡らしたとき、私は震える手で、暗記するほど覚えたあの番号を押した。

「和孝さん」

受話器に向かって、私はか細い声で囁いた。

「私たちの子、もう待てないみたい」

チャプター 1

瑞穂視点

「どっちか選べ、小沢和孝」

 誘拐犯の銃口が、私のこめかみに食い込む。

「嫁か、それとも兄嫁か」

 鉛を流し込まれたように腹が重い。手首には縄が深く食い込んでいる。隣ですすり泣く美沙希と並べられ、私たちはまるで屠殺を待つ家畜のようだった。

 和孝は逆光の中に立っている。私はその姿を凝視した。

 腹の中では八ヶ月になる胎児が暴れている。彼が口を開くのを待っていた。私の夫であり、十年も密かに想い続けてきた男が、一度でいいから私を選んでくれるのを。

「美沙希を放せ」

 和孝の声には、何の感情の波もなかった。

 犯人が口元を歪め、笑う。次の瞬間、銃床が私の腹部に激しく叩きつけられた。

 激痛が炸裂したその瞬間、美沙希の縄が解かれる衣擦れの音を聞いた。彼女を庇うように去っていく和孝の足音も。ただ、彼が振り返る気配だけは、一度たりともなかった。

「なんであいつが選ばれたか分かるか?」

 犯人が私の髪を乱暴に掴む。

「小沢家の古い掟さ。先に生まれた方が次期当主になる。旦那の兄貴は去年、弟を庇って死んだ。その忘れ形見を残してな。兄貴の血筋を絶やすわけにゃいかねえだろ?」

 なるほど、そういうことか。

 私は奥歯を噛み締め、両手で必死に腹を庇った。拳が振り下ろされるたび、漏れそうになる悲鳴を喉の奥へと押し戻す。

 赤ちゃん、ママはここにいるよ。大丈夫だよ。

 監禁されて二日が過ぎた。警官隊が突入してきた時、どれだけ蹴られたかすでに数え切れなくなっていた。縄を解かれ、救急車を呼ぶかと聞かれる。

 私は首を振った。壁を伝って立ち上がり、一歩ずつ外へ出る。

 太腿の内側を液体が伝い落ちる。粘り気のある、生温かい感触。触れてみると、血ではない。

 羊水だ。

 震える手でスマホを取り出し、暗記している番号にかける。七回目のコールで、やっと彼が出た。

「生きていたのか」

 張り詰めた声だった。

「和孝」私は荒い息をつく。

「逃げ出したの。でも羊水が破れて、子供が……」

「美沙希がショックを受けて、陣痛が早まった」彼は私の言葉を遮った。

「いつ生まれてもおかしくないと医者が言っている。瑞穂、お前はなんでこんな時に」

 私は呆然とした。

「『こんな時』ってどういうこと? 私が破水をコントロールできるとでも?」

「先月、片目の角膜提供同意書にサインしただろう」彼の口調は平坦だ。

「理解していると言ったはずだ。兄貴は俺のために死んだ。目の見えない美沙希は生きていけないと」

「それは、あなたがこれから私を大切にしてくれるって言ったから……」爪が掌に食い込む。

「無駄話はやめろ。美沙希が産気づいている今、お前も産むと言うのか」和孝が鼻で笑う。

「随分な偶然だな。俺のベッドに潜り込んだ時も、偶然だと言い張っていたな」

 電話の向こうから、美沙希のか細い嗚咽が聞こえる。

「和孝さん、痛い……」

「ずっと傍にいるから」

 その声は一瞬で慈愛に満ちたものになり、私に向くと再び氷のように冷え切った。

「山崎に処理させる。余計な真似はするな」

 通話が切れた。

 私は電柱にすがりつき、えずいた。陣痛が万力のように子宮を締め上げる。間隔は五分おき。シャツの裾を裂いて股に詰め込み、屋敷の方角へと足を引きずり始めた。

 五キロメートルの道のりを、四時間かけて這うように進んだ。

 門の前には山崎が立っていた。

「小沢さんの言いつけです」彼は無表情だ。

「待っていただきます」

「待てって?」私は鉄格子の門を掴む。

「子供は待ってくれないわ! もう生まれるの!」

「天保さんもお産に入りました」山崎が目配せすると、護衛たちが私を取り押さえる。

「長子は彼女の子でなければならない。それが小沢さんの決めた『掟』です」

 地下室へと引きずられていく。階段は陰湿で、血と黴の臭いが混じり合っている。ここは和孝が裏切り者を尋問する場所だ。

「和孝は知ってるの!?」私はもがく。「約束してくれたのよ、角膜を提供すれば、やり直そうって……」

「小沢さんは天保さんにも身分を約束しているんですよ」山崎が冷笑する。

「妊娠すれば本妻になれるとでも? あなたのように手段を選ばず寝所に潜り込む女など、小沢さんは見飽きているんです」

 背後で鉄の扉が閉ざされ、拘束帯で手首と足首を固定される。

「看護師はまだか? 分娩抑制剤をすぐに持ってこい!」山崎がスマホに音声を吹き込む。

「和孝が私に出産を遅らせる薬を打てって言ったの? ありえない! 彼に殺されるわよ!」

「小沢さんご自身の命令です」山崎は薄ら笑いを浮かべる。

「天保さんが無事に出産するまで、あなたとそのガキは大人しくしてろとのことです」

 陣痛の間隔が縮まる。お腹の中で子供が狂ったように暴れ回り、私は獣のような咆哮を上げた。

「お願い」涙で顔をぐしゃぐしゃにして、私は山崎に懇願した。

「彼に電話して。本当に生まれるの、薬なんて効かないって伝えて……」

 山崎はスマホを取り出し、スピーカーモードにした。

「まだ騒いでいるのか?」

 疲労と苛立ちの滲む声。

「ボス、小沢奥様の様子がおかしいのですが」

「山崎」和孝が遮る。

「兄貴は俺のために死んだ。これが兄貴がこの世に残した唯一の子だ。俺の言いたいことは分かるな?」

 電話の向こうから、美沙希の弱々しいすすり泣きが聞こえる。

「私のせいね。私がもっとしっかりしていれば、こんな早くに……」

「お前のせいじゃない」和孝の声が優しくなり、再び冷酷な響きに戻る。

「予定通り進めろ。瑞穂の演技には騙されるな」

 山崎がスマホをしまうと、壁にかかっていた牛革の鞭を手に取った。ヒュッ、と空を切る音が響く。

「看護師はまだ来ないのか」

「小沢奥様」

 彼が私に歩み寄る。

「そういうことですので、まずは躾をさせていただきます」

最新チャプター

おすすめ 😍

妻が去り、妊娠を知った俺は、ただ泣き崩れるしかなかった

妻が去り、妊娠を知った俺は、ただ泣き崩れるしかなかった

346.7k 閲覧数 · 連載中 · 蛙坂下道
鈴木七海は、中村健に好きな人がいることをずっと知っていた。それでも、彼との結婚を選んだ。
しかし、結婚して5年後、彼は離婚を切り出した。その時初めて、彼の想い人が私の父の隠し子(私の異母兄弟)だと知った。
離婚を決意した七海だったが、その時にまさかの妊娠が判明した。
不倫夫を捨てた夜、私は新しい彼に抱かれる

不倫夫を捨てた夜、私は新しい彼に抱かれる

158.8k 閲覧数 · 連載中 · 七海
初恋から結婚まで、片時も離れなかった私たち。
しかし結婚7年目、夫は秘書との不倫に溺れた。

私の誕生日に愛人と旅行に行き、結婚記念日にはあろうことか、私たちの寝室で彼女を抱いた夫。
心が壊れた私は、彼を騙して離婚届にサインをさせた。

「どうせ俺から離れられないだろう」
そう高をくくっていた夫の顔に、受理された離婚届を叩きつける。

「今この瞬間から、私の人生から消え失せて!」

初めて焦燥に駆られ、すがりついてくる夫。
その夜、鳴り止まない私のスマホに出たのは、新しい恋人の彼だった。

「知らないのか?」
受話器の向こうで、彼は低く笑った。
「良き元カレというのは、死人のように静かなものだよ?」

「彼女を出せ!」と激昂する元夫に、彼は冷たく言い放つ。

「それは無理だね」
私の寝顔に優しくキスを落としながら、彼は勝ち誇ったように告げた。
「彼女はクタクタになって、さっき眠ってしまったから」
山奥に置き去りにされたので、夫も息子も捨てて「天才科学者」に戻る

山奥に置き去りにされたので、夫も息子も捨てて「天才科学者」に戻る

110.2k 閲覧数 · 連載中 · 68拓海
家族でのキャンプ中、彼女は山奥に一人、置き去りにされた。
夫と息子が、怪我をした「あの女」を病院へ運ぶために、彼女を見捨てて車を出したからだ。

命からがら自力で帰宅した彼女を待っていたのは、同じく家で放置され、怯えていた幼い娘の姿だった。
その瞬間、彼女の中で何かが壊れ、そして決意が固まる。

「あなたたちには失望しました。離婚させていただきます」

夫と、彼に懐く息子に別れを告げ、彼女は家庭という檻を出た。
世間は彼女を「哀れなバツイチ」と笑うかもしれない。
だが、誰も知らなかった。彼女がかつて、科学界で名を馳せた稀代の天才研究者であることを。

あるベンチャー企業の社長にその才能を見出された彼女は、夢の技術「空飛ぶ車」の開発プロジェクトを主導することに。
かつての夫が復縁を迫り、愛人が卑劣な罠を仕掛けてきても、もう彼女は止まらない。

愛する娘を守るため、そして自分自身の輝きを取り戻すため。
捨てられた妻の、華麗なる逆転劇が今、始まる!
社長、奥様が亡くなりました。ご愁傷様です

社長、奥様が亡くなりました。ご愁傷様です

156.3k 閲覧数 · 連載中 · 青凪
お金と特権に囲まれて育った私。完璧な人生に疑問を持つことすらなかった。

そんな私の前に彼が現れた―
聡明で、私を守ってくれる、献身的な男性として。

しかし、私は知らなかった。
私たちの出会いは決して偶然ではなかったことを。
彼の笑顔も、仕草も、共に過ごした一瞬一瞬が、
全て父への復讐のために緻密に計画されていたことを。

「こんな結末になるはずじゃなかった。お前が諦めたんだ。
離婚は法的な別れに過ぎない。この先、他の男と生きることは許さない」

あの夜のことを思い出す。
冷水を浴びせられた後、彼は私に去りたいかと尋ねた。
「覚えているか?お前は言ったんだ―『死以外に、私たちを引き離せるものはない』とね」

薄暗い光の中、影を落とした彼の顔を見つめながら、
私は現実感を失いかけていた。
「もし...私が本当に死んでしまったら?」
溺愛令嬢の正体は、まさかの霊能界トップ!?

溺愛令嬢の正体は、まさかの霊能界トップ!?

203.9k 閲覧数 · 連載中 · 朝霧祈
原口家に取り違えられた本物のお嬢様・原田麻友は、ようやく本家の原田家に戻された。
──が、彼女は社交界に背を向け、「配信者」として自由気ままに活動を始める。
江城市の上流社会はこぞって彼女の失敗を待ち構えていた。
だが、待てど暮らせど笑い話は聞こえてこない。
代わりに、次々と大物たちが彼女の配信に押しかけてくるのだった。
「マスター、俺の命を救ってくれ!」──某財閥の若社長
「マスター、厄介な女運を断ち切って!」──人気俳優
「マスター、研究所の風水を見てほしい!」──天才科学者
そして、ひときわ怪しい声が囁く。
「……まゆ、俺の嫁だろ? ギュってさせろ。」
視聴者たち:「なんであの人だけ扱いが違うの!?」
原田麻友:「……私も知りたいわ。」
転生して、家族全員に跪いて懺悔させる

転生して、家族全員に跪いて懺悔させる

246.2k 閲覧数 · 連載中 · 青凪
婚約者が浮気していたなんて、しかもその相手が私の実の妹だったなんて!
婚約者にも妹にも裏切られた私。
さらに悲惨なことに、二人は私の手足を切り落とし、舌を抜き、目の前で体を重ね、そして私を残酷に殺したのです!
骨の髄まで憎い...
しかし幸いなことに、運命の糸が絡み合い、私は蘇ったのです!
二度目の人生、今度は自分のために生き、芸能界の女王になってみせる!
復讐を果たす!
かつて私をいじめ、傷つけた者たちには、十倍の報いを受けさせてやる...
出所したら、植物状態の大富豪と電撃結婚しました。

出所したら、植物状態の大富豪と電撃結婚しました。

168.1k 閲覧数 · 連載中 · 青凪
5年前、私は誰かの身代わりとなり、無実の罪で投獄された。
出所すると、母親は私が獄中で産んだ二人の子供を盾に、植物状態にある億万長者との結婚を強いる。
時を同じくして、その悲劇の大富豪もまた、家族内での権力闘争の渦中にいた。

街では植物状態の男が若い花嫁とどう初夜を過ごすのかと噂される中、この元囚人が並外れた医療技術を秘めていることなど、誰も予想だにしなかった。
夜が更け、無数の銀鍼(ぎんしん)が打たれた男の腕が、静かに震え始める…

こうして、元囚人の彼女と植物状態の夫との、予期せぬ愛の物語が幕を開ける。
さようなら、愛してくれない家族たち。地味な専業主婦は研究界の女王へと覚醒する

さようなら、愛してくれない家族たち。地味な専業主婦は研究界の女王へと覚醒する

138.5k 閲覧数 · 連載中 · 86拓海
「君よりも、彼女のほうが母親にふさわしい」
愛する夫と子供たちにそう言われ、私は家庭内での居場所を失った。
六年間、身を粉にして尽くしてきた日々は、何の意味もなかったのだ。

絶望の中で目にしたのは、かつて母が手にした科学界の最高栄誉であるトロフィー。
その輝きが、私に本来の自分を思い出させた。

私はエプロンを脱ぎ捨て、白衣を纏う。
もう誰かの妻でも、母でもない。一人の科学者として、世界を驚かせるために。

数々の賞を総なめにし、頂点に立った私を見て、元夫は顔面蒼白で崩れ落ちた。
震える声で私の名前を呼び、足元に縋り付く彼。

「行かないでくれ……君がいないと、俺は……」

かつて私を見下していたその瞳が、今は絶望と後悔に染まっていた。
社長、突然の三つ子ができました!

社長、突然の三つ子ができました!

72k 閲覧数 · 連載中 · キノコ屋
五年前、私は継姉に薬を盛られた。学費に迫られ、私は全てを飲み込んだ。彼の熱い息が耳元に触れ、荒い指先が腿を撫でるたび、震えるような快感が走った。

あの忌まわしい夜から逃げるように去った私だったが、ほどなくして三つ子を妊娠していることに気付く。

五年後、医療界の新星として戻ってきた私は、継母、継姉、実の父へ全ての仕返しを誓う。

その時、彼が現れた。三人の小さな自分そっくりの顔をじっと見つめながら、優しく「パパ」と呼ぶよう子供たちを誘う彼。

ふとシャツのボタンを外し、悪戯っぽく笑って言った――

「どうだい、あの夜の熱をもう一度味わってみないか?」
不倫夫を捨て、私は大富豪の妻になる

不倫夫を捨て、私は大富豪の妻になる

90k 閲覧数 · 連載中 · 七海
人生最良の日になるはずだった、結婚式当日。
新郎の車から出てきたのは、見知らぬ女の派手なレースの下着だった。

しかも、その布切れにはまだ。生々しい情事の痕跡が残されていた。

吐き気がするほどの裏切り。
幸せの絶頂から地獄へと突き落とされた私。

けれど、泣き寝入りなんてしてやらない。
私はその場でウェディングドレスの裾を翻し、決意した。

「こんな汚らわしい男は捨ててやる」

私が選んだ次の相手は、彼など足元にも及ばない世界的な億万長者で?
逃げる秘書の資産は三千億!?急げ、社長!

逃げる秘書の資産は三千億!?急げ、社長!

72.5k 閲覧数 · 連載中 · 神楽坂奏
十年前、中林真由の母親が腎臓移植を必要としたが、家には手術費を工面する金がなく、挙句の果てに家まで叔父一家に乗っ取られた。
少しでも多くのお金を稼ぐため、彼女は高級クラブでウェイトレスとして働き始めた。
女があまりに美しく、誰も守ってくれる者がいない時、その美しさは原罪となる。
初出勤の日、彼女は危うく猥褻行為の被害に遭いかけた。
男たちが彼女を取り囲み、卑猥な視線をその身に注ぐ。
クラブの金持ちたちは、彼女のような世間知らずの子羊を見つけ出すのが実にうまかった。
彼女が最も惨めなその時、今野敦史が現れた。
この十年、彼女はずっと今野敦史の傍にいた。
友人たちも、家族も、皆が今野敦史を知っていて、二人が付き合っていると思い込んでいる。
でも、今まで彼の周りには女が絶えなかったじゃない。それが今、「ついに運命の相手を見つけた」なんて言ってるの。
今、ようやく彼から離れる機会を得たというのに、どうして手放せようか。
天使な双子の恋のキューピッド

天使な双子の恋のキューピッド

85.5k 閲覧数 · 連載中 · 鯨井
妊娠中の私を裏切った夫。不倫相手の策略に陥れられ、夫からの信頼も失い、耐え難い屈辱を味わった日々...。

しかし、私は決して諦めなかった。離婚を決意し、シングルマザーとして懸命に子育てをしながら、自分の道を切り開いていった。そして今や、誰もが認める成功者となった。

そんな時、かつての夫が後悔の涙とともに現れ、復縁を懇願してきた。

私の答えはただ一言。
「消えなさい」