紹介
A市で最も優秀な法医である兄は、冷静に記録する。「女性、22歳、死前に長時間火で焼かれた痕跡あり」。彼は知らない。今、自分の妹の死に様を、専門的に描写しているのだということを。
三日前、私はまさにあの倉庫で、何度も兄に電話をかけていた。兄の婚約者である美奈子(みなこ)は私のスマホを手に取り、甘く、そして悪意に満ちた笑みを浮かべて言った。「もう一回かけてみたら?今度こそ、お兄さんが出てくれるかもしれないわよ?」
電話が繋がった。
「悠也(ゆうや)、助けて——」
「リリ、今、婚約のことで忙しいんだ。もう邪魔しないでくれ!」
ツーツーという無機質な音が響く。美奈子はガソリンに火をつけた。
今、兄はついに報告書から顔を上げた。その顔は真っ青だ。被害者の全てのデータが、彼が認めたくない一人の名前を指し示しているから。
ああ、お兄ちゃん。あなたが解剖で触れる一つ一つの傷跡は、私が最後にあなたに伝えたかった言葉そのものなのよ。
――犯人は、あなたのすぐ隣で、ウェディングドレスを着て立っている、と。
チャプター 1
死は、私を連れ去りしなかった。
私の魂は今もなお、黒く焼け焦げた廃墟の上空を彷徨いながら、ゆっくりと晴れていく硝煙を見下ろしている。
A市南区にあるこの廃棄倉庫は、今や飴細工のように捻じ曲がった鉄筋と、炭化した梁を残すのみとなっていた。連続放火事件は、都市全体を恐怖の底に陥れている。
夜明け前、消防隊員たちが撤収作業を進めている。彼らのヘルメットから、水滴がポタポタと滴り落ちていた。彼らがまもなく、あの隅で一具の焼死体を発見することを知っている――あれは、私の死体だ。
また兄の城川悠也に迷惑をかけてしまう。数日後には、彼の婚約パーティーが控えているというのに。
案の定、三十分もしないうちに、パトカーと救急車が現場を包囲した。
白い防護服に身を包んだ悠也が、パトカーから降りてくるのが見える。こんなに離れていても、彼が纏う職業的な冷静さと、その奥に潜む炎への恐怖が伝わってくるようだった。
「四人目だぞ、悠也」
高山俊哉が彼に歩み寄り、沈痛な面持ちで告げる。私の胸が締め付けられた。俊哉は昔と変わらず、いつも悠也のことを気にかけてくれている。二人は幼馴染で、今は俊哉が刑事、悠也が主席監察医という関係だ。
「『フレイム・キラー』がまたやったんだ」
悠也は小さく頷くと、深く息を吸い込み、その焼死体へと歩み寄った。そして、手慣れた様子で検死を始める。
「二十代前半の女性」彼は淡々と報告する。
「死後四十八時間は経過している。炭化が激しく、DNA抽出は困難だろう。結果が出るまで二日ほどかかる」
私は、悠也が自分の死体の傍らにしゃがみ込むのを見つめていた。手袋をはめた手で、炭化した残骸を丁寧に検分している。その所作はあくまで冷静で、見知らぬ他人の遺体を扱うそれと何ら変わりなかった。
「助燃剤の痕跡が明白だ」彼は記録を取らせる。
「被害者は生前、脱出を試みている。この爪痕を見るに、溶接された扉を必死にこじ開けようとしたようだ」
検視を続ける悠也の顔色が、次第に険しくなっていく。
「さらに残忍な点がある」彼は声を低くした。
「燃焼痕から判断するに、被害者は生きたまま長時間焼かれている。犯人は意図的に火勢をコントロールし、彼女にゆっくりと苦痛を与え続けたんだ」
周囲の鑑識官たちが顔を見合わせ、数人が思わず後ずさりする。俊哉は大きく息を吐き出した。
「これまでの件より酷いな」
規制線の外で野次馬たちが囁き合うのが聞こえる。中年の女性が子供をきつく抱きしめていた。
「あの狂人、まだ続けるつもりなの?」
「誰も安心できんよ」老人が首を振る。
「あんな怪物が、わしらのすぐ側をうろついているんだからな」
「可哀想な女の子……」別の声が震えている。
「生きながら焼き殺されるなんて」
悠也は立ち上がり、拳を固く握りしめた。
「この放火魔を必ず見つけ出す。被害者たちの無念、必ず晴らしてやる!」
今調べているのが、あなたの憎んでいる妹の死体だと知っても、そんなことが言えるの?
私は心の中で問いかける。だが当然、答えは返ってこない。
現場検証の終盤、俊哉が心配そうに悠也を見やった。
「これで四体目の焼死体だ。最近、根を詰めすぎじゃないか?」彼は言葉を切り、続けた。
「そういえば、妹さんの誕生日はもうすぐじゃなかったか?」
悠也の表情が、瞬時に凍りついた。
「あいつの話はするな。誕生日は俺と美奈子の婚約パーティーと被ってるんだ。あいつにかまけている暇なんてない」
心が引き裂かれるようだった。美奈子は私の誕生日を知っていて、あえてその日を婚約パーティーに選んだのだ。そして悠也は、その『偶然』を全く気にしていない。
彼にとって、私の誕生日など最初からどうでもいいのだ。
十二歳の誕生日に両親が亡くなって以来、悠也は私を恨んでいる。私のことを疫病神だ、人殺しだと罵った。十八歳の時には家から追い出され、それ以来、あらゆる接触を拒絶されている。
だが三年前、記憶喪失の状態で警察に助けを求めてきた伊藤美奈子に対して、悠也は進んで手を差し伸べた。私はそれを遠くから見ているしかなかった。
その後、彼女は徐々に記憶を『取り戻し』、身寄りがないと訴えた。悠也は彼女の脆さに心を動かされ、甲斐甲斐しく世話を焼くようになったのだ。
実の妹の電話には、一度も出ようとしないくせに。
「リリはずっと、陰でお前を支えてきたんだぞ」俊哉はたまらず、悠也の肩を掴んだ。
「俺を通じてお前の世話をしていたのを、知らないわけじゃないだろう? デスクのコーヒーも、徹夜続きの時の差し入れも、全部彼女からだ」
悠也は冷淡に俊哉の手を振り払った。
「よせ、俊哉。あいつの話はやめろ」
空から雨が落ちてきた。黒焦げの廃墟を打つ雨粒が、ジュッという音を立てる。悠也が空を見上げた。
「雨脚が強くなってきたな。現場の証拠が流される可能性がある」
「直ちに遺体をラボへ搬送し、詳細な検査を行う必要があります」鑑識官が進言する。
「現場を封鎖しろ。証拠はすべて持ち帰って分析だ」悠也が指示を飛ばした。
署に戻る車中、俊哉がハンドルを握りながら、ふと違和感を口にした。
「そういや、今日はコーヒーを飲んでないな。目が充血してるぞ」
「あいつのコーヒーなんて要らない」悠也は吐き捨てるように言った。
「だがリリは毎朝、俺にコーヒーを託していただろう。お前のデスクに置くようにな。徹夜の時は夜食まで用意していた。それがここ数日、ぱったり来なくなったんだ」俊哉は食い下がる。
悠也は煩わしげに手を振った。
「気にするな、俊哉。どうせいつもの狂言だ。数日前も和解したいとか電話してきたが、切ってやったよ。癇癪でも起こしてるんだろう」
もう二度とコーヒーが届くことはないし、電話がかかってくることもない。その事実を知ったら、あなたはどう思うの?
その時、悠也の携帯電話が鳴った。画面の表示を見た瞬間、彼の眉間の皺が解け、声色が甘く変化する。
「やあ、美奈子……」
画面を見る必要すらない。相手は美奈子だ。悠也にこれほど優しい顔をさせられるのは、彼女の電話だけなのだから。
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公平を期すという名目のもと、兄たちは彼女からリソースを根こそぎ奪い、その尊厳を踏みにじってまで、運転手の娘を支えた。
彼女は兄たちのためにすべてを捧げたというのに、家を追い出され、無残に死んだ。
生まれ変わった今、彼女は人助けの精神などかなぐり捨てた。許さない、和解しない。あなたたちはあなたたちで固まっていればいい。私は一人、輝くだけ。
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五兄:「この義肢は、なぜこんなに出来が悪いんだ?」――彼女が製作をやめたからだ。
六兄:「なぜチームが負けた?」――彼女が脱退したからだ。
兄たちは地に膝をついて許しを請うた。「戻ってきてくれ。俺たちこそが、血を分けた本当の家族じゃないか」
彼女は絶縁状を兄たちの顔に叩きつけ、冷ややかに笑った。
「車が壁にぶつかってから、ようやくハンドルを切ることを覚えたのね。株が上がってから、ようやく買うことを覚え、罪を犯して判決が下ってから、ようやく悔い改めることを覚えた。残念だけど、私は――許さない!」
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育ての親の一家に家を追い出されたあの日、私は微笑みを浮かべながら、奴らが施しとしてよこした金をゴミ箱へと投げ捨てた。
誰も想像すらできないだろう。この私が、数々の名門貴族や権力者たちが大金を積んで列をなし、首を長くして診察を待つ伝説の名医——【暁】だなんて。
私が時価総額数十億ドルのファッション帝国を裏で支配していることも、ウォール街の株価をたった一回の取引で大暴落させられることも、誰も知らない。私はその正体を、この平凡で冴えない素顔の裏にすべて隠し持っていた。
さらに劇的なことに、私の実の親はこの街で頂点に君臨する最高峰の大富豪だった。
そして私の婚約者——すでに顔を合わせているにもかかわらず、その正体を知らなかったあの男こそ、この街の誰もが名前を聞くだけで震え上がる、ビジネス界の冷酷な死神:梅原晴琉だったのだ。
ある日、彼は私の手を執り、ゆっくりと距離を詰めると、耳元で低く囁いた。
「俺のこの鼓動、今なら感じられるか?」
私は至って真面目な顔で彼の胸に手を当て、大真面目にこう返した。
「心拍数は確かに少し高めですが、非常に健康的です。心配ありませんよ」
彼は一瞬呆気にとられ、それからふっと吹き出した。その瞬間の彼の笑顔に、私の心臓もなぜかドクンと跳ねた。それは、自分自身でも説明のつかない初めての衝動だった。
だが、彼が私の真実に一歩ずつ近づくにつれ……私の心は揺らぎ始めている。自分の最後の秘密を、あとどれくらい隠し通せるのだろうか。
外されるはずのなかった仮面——。だが、あの人が執拗にその霧を剥ぎ取ろうとするとき、私は一体どこへ向かえばいいのだろう?
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執事の娘・西川安菜を哀れんで手を差し伸べた結果は、地獄。
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追い詰められた私は、絶望のまま窓から身を投げた。
死に際の一言は……「で? これから安菜の輸血はどうするの?」という皮肉。
……のはずだったのに。
目を覚ますと、私は三年前——安菜が泣きつかれてきた「あの日」に戻っていた。
可哀想なフリをする彼女を見つめ、私は笑った。
もう二度と、優しさなんて見せない。媚びもしない。
“親切”に立ち振る舞い、彼女を使用人部屋へ追いやって自立させてあげることにした。
彼女ばかり庇うお兄様たちの機嫌取りも、もう終わりだ。
かつて尽くしまくった元婚約者・石野星紀なんて、視界に入れる価値すらない。
勘違いしないで。
今の私は、ただの「有岡家のお嬢様」じゃないんだから——。













