紹介
帰る前日、お土産屋さんで娘がトイレに行くと言った。
心配でついて行くと、娘が物陰に隠れて私のスマホを持ち、慣れた手つきでパパに電話をかけているのが見えた。
七年間大切に育ててきた小さな天使が、私に背を向けて甘い声で話していた。
「パパ、ママがお土産買ってくれてるよ。明日の午後に帰るからね」
「葉月先生、まだ家にいる?急いで荷物まとめて帰ってもらって。ママに見つからないようにね!」
チャプター 1
仕事ばかりで構ってくれないと娘が拗ね、どこかへ連れて行けとせがまれた。
仕方なく、私は彼女を連れて箱根の温泉リゾートへ数日間の旅行に出かけた。
帰宅する前日、お土産屋で買い物をしていると、娘がもじもじしながらトイレに行きたいと言う。
しばらく待っても戻ってこない。心配になって探しに行くと、廊下の突き当たりの物陰に、私に背を向けた小さな姿があった。私のスマホを手に持ち、誰かと通話している。
「お父さん、お母さんは今お土産選んでるよ。帰るのは明日の午後だって」
私の足が止まった。
「葉月先生、まだおうちにいる? 葉月先生は何が欲しいかなあ? お母さんに買ってもらうように言うね! あ、そうだ。お父さん、早く葉月先生に荷物まとめて帰るように言って。お母さんに見つからないようにね!」
「お母さんってば本当に嫌。帰ってくるの早すぎだよ」
家族のためにお土産を選んでいた私の心は、一瞬にして氷の底へと突き落とされた。頭の中で不快な耳鳴りが響き、全身の血が凍りついていくのを感じた。
耳を疑った。
最愛の夫と、七年間大切に育ててきた愛娘が、グルになって私を騙しているなんて。
たった一人の、葉月という女のために?
葉月先生?
ふと、娘のピアノの先生の名前が遠藤葉月だったことを思い出す。
若くて美しく、物腰も柔らかい。教養があって忍耐強い先生だと、私は何度も褒めたことがあった。
毎週末、夫の翔真が進んで娘の送迎をしていたのは、そういうことだったのか。
まさか……。
「お母さん?」
娘が振り返り、私を見つけて慌てふためいた表情を浮かべる。
私は動揺を押し殺し、無理やり笑顔を作った。
「トイレに行きたいんじゃなかったの? お父さんに電話なんてして、どうしたの?」
「えっと……お父さんの声が聞きたくなっちゃって。電話したの。お母さん、お買い物に戻ろ?」
まだ子供だ。嘘をつくときに視線が泳いでいることに気づいていない。彼女はそう言うと、私の手を握ってきた。
震える声で、私は問いかけた。
「お母さんのこと、愛してる?」
娘は私の懐に飛び込み、小さな顔を擦り寄せてくる。
「朱里はお母さんが一番大好きだよ! お父さんも一番大好き!」
娘の天真爛漫な笑顔を見ながら、私の脳内では二人の自分が葛藤していた。
誤解かもしれないと囁く自分と、あれだけはっきりと聞いておいて誤解なわけがないと叫ぶ自分。
何を信じればいいのかわからない。ただ、一度芽生えた疑念の種は、根を張り、深くなっていくばかりだった。
深夜、朱里が寝静まったあと。
私はソファで膝を抱え、遠藤葉月のインスタグラムのアイコンをタップした。
連絡先を交換した当初、ただのピアノの先生だと思っていた私は、彼女の私生活を覗く必要はないと考え、メッセージのみのやり取りに設定していた。
彼女の投稿を開くのは、これが初めてだ。
最新の投稿は、今夜の21時37分。
「愛する人と過ごす夜は幸せ」
添えられた写真は、指を絡ませた二つの手。その片方の手には、指輪が嵌められている。
呼吸が荒くなる。
その指輪をつけた手は、七年の交際と八年の結婚生活を共にしてきた私の夫、早瀬翔真のものだった。
私は崩れ落ちるように顔を覆った。指の隙間から溢れ出した涙が、スマホの画面を濡らしていく。
最新チャプター
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震える足で帰宅した私の目に飛び込んできたのは、夫の裏切りの証拠だった。
私たちの神聖な寝室。
そのベッドの上には、無惨に引き裂かれたレースの下着がわざとらしく残されていたのだ。
それは明らかに、夫の愛人からの宣戦布告。
「あなたはもういらない」と嘲笑うかのような、残酷なマウントだった。
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