幼馴染のお兄ちゃんに捨てられたので留学したら、今度は『帰ってきて』と泣きつかれた

幼馴染のお兄ちゃんに捨てられたので留学したら、今度は『帰ってきて』と泣きつかれた

渡り雨 · 完結 · 22.0k 文字

941
トレンド
15.1k
閲覧数
1.9k
追加済み
本棚に追加
読み始める
共有:facebooktwitterpinterestwhatsappreddit

紹介

白石綾音の指が弦を滑る時、いつも遠い記憶が呼び覚まされる。かつて高田誠一は彼女をその羽翼の下に庇護し、「僕がいれば、何も怖くない」と囁いた。しかし、その誓いは今や彼女を縛る黄金の鳥籠でしかなかった。

ガラスのファサードを貫く朝光の中、村上裕介が差し出した楽譜が、彼女の人生という楽章を新たなものへと変えてゆく。常識に囚われぬ音楽の鬼才は、彼女に真の音楽の在り方を叩き込んだ。綾音は、己の血液が奏でる音を、その時初めて聴いたのだ。

国際コンクールの眩い光を浴びて、彼女は高田誠一が十二年の歳月をかけて作り上げた完璧な音を、星屑へと砕き散らした。最後のハーモニクスがボストンのホールに溶けて消えた瞬間、聴衆は悟る。いつも俯きがちだったあの優等生が、太平洋の向こう側で、とうに荊の翼を手にしていたことを。

帰国便の機内。村上裕介がそっと彼女のシートベルトを締める。窓に映り込む二つの若い顔。一人の眼差しには十年の孤独が澱み、もう一人の瞳には新生の炎が宿る。高田誠一に守られるだけだった過去の白石綾音は、もういない。音楽という世界で本当の自分を解き放ち、彼女の新たな人生が、今、始まる。

チャプター 1

 リハーサルホールのドアの向こうから聞こえてきた声は、鋭利な刃物のように私の心を抉った。

「呼んだらついてくる子犬みたいだよな」

 聞き慣れたその声が、嘲るように響く。

「実力もなければ個性もない。あんなのと付き合えるわけないだろ」

 高田誠一の声だった。

 六歳の頃から「誠一兄さん」と呼び慕い、ずっと一緒だった。両親が私たちの婚約話を持ち出すまでは、本当に、仲が良かったのに。

 すべてが変わってしまった。

「……大丈夫か」

 隣にいた藤崎くんが、心配そうに声をかけてくる。

「誠一はきっと酔ってたんだ。だからあんな戯言を……気にするな」

 私はかぶりを振る。涙が、瞳のふちで懸命に堪えられていた。

 誠一兄さんはもう一年近く、私との共演を拒み、メッセージも無視し、音楽室に私が入ることさえ許さなかった。学院で顔を合わせても、私を認めた瞬間に踵を返して去っていく。

 ただ、どうしてなのか知りたかった。

 今、その理由がわかった。

 彼の目には、私は道端の野良猫と同じだったのだ。機嫌がいいときだけ構い、飽きれば追い払う。そんな存在に過ぎなかった。

「綾音?」

「藤崎くん、音楽室まで付き合ってくれる?」

 彼が差し出してくれた楽譜ケースを受け取り、それで顔を隠すように俯く。

「もう、あの人と話す必要なんてないみたい」

 彼の気持ちは、もう痛いほどわかってしまったから。

 その時、リハーサルホールのドアが内側から開けられた。

 合奏の授業を担当する野原先生が、人の良さそうな笑顔で戸口に立っている。

「おお、白石! ちょうどよかった、今、学園祭の音楽会で共演する曲について話していたところなんだ」

 先生はそう言うなり私の手を取り、有無を言わさずリハーサルホールへと引き入れた。

 私は身体をこわばらせたまま、中へと足を踏み入れる。ピアノの前に座る高田誠一が視界に入ったが、彼は鍵盤に視線を落としたまま、私と目を合わせようともしない。

「さあ、ここに座って」

 野原先生は、誠一兄さんのピアノの向かいにある演奏席を指差した。

「誠一、白石にそんな態度をとるんじゃない。君たち二人は学院の誇りなんだからな」

 高田誠一は一言も発しない。リハーサルホール全体の空気が、窒息しそうなほど張り詰めていた。

「野原先生、白石さんは少し体調が優れないのかもしれません」

 見かねた藤崎くんが助け舟を出してくれる。

「また後日にしては——」

「白石綾音」

 高田誠一が、唐突に口を開いた。その声は、恐ろしいほどに冷え切っていた。

「どうして俺の言うことを聞かない?」

 彼はついに顔を上げ、射抜くように私をまっすぐに見据える。

「両家が俺たちの生活に干渉しなくなるまで、練習は別々にしようと要求したはずだ。なのに君は……どうしてまだついてきて俺を追い詰めるんだ!」

 私は黙り込んだまま、膝の上のヴァイオリンに触れることさえできなかった。

 ただならぬ雰囲気を察した野原先生が、軽く咳払いをする。

「どうやら君たちは、二人きりで話す必要があるようだ。……みんな、我々は一旦外に出よう」

 すぐに、広いリハーサルホールには私と高田誠一だけが残された。

 静寂が、目に見えない壁のように私たちを隔てている。

「君にプライドはないのか?」

 高田誠一の声が、沈黙を破った。

「俺はずっと、君をただの子分くらいにしか思ってなかった。わかるか? 少しは自分で努力したらどうだ。いつも俺の周りをうろついてないで……君みたいな人間、鬱陶しいんだよ」

 誠一の言葉が、鋼の針となって私の心臓に突き刺さる。

 今、ようやく彼の本心が聞こえた気がした。

「俺から離れてくれないか」

 彼の声には、隠そうともしない侮蔑が滲んでいた。

「俺には俺の、追い求める音楽がある。君に足枷をつけられたくないんだ。わかるだろ?」

 指先が氷のように冷えきって、ヴァイオリンを手に取る力も湧いてこない。

 記憶が、潮のように押し寄せる。思えば過去のどんな時も、彼は私に対してひどく無頓着だった。私の演奏への苛立ちと侮蔑。私に向ける、あの嫌悪に満ちた眼差し。私はただ、それらのサインからずっと目を逸らし続けてきただけなのだ。

「誠一兄さん」

 私は、声が震えないように必死で平静を装った。

「これまで長い間、ご指導ありがとうございました」

 深く、息を吸う。

「あなたの言う通りです。私も、自分の道を探さなくちゃいけません。もう、あなたの邪魔はしませんから」

 ヴァイオリンをケースにしまい、私はリハーサルホールを後にした。

 一度も、振り返らなかった。

 ようやく、すべてが終わったのだ。

最新チャプター

おすすめ 😍

本物の令嬢は、もう誰にも媚びない ~裏切られた私の、二度目の人生

本物の令嬢は、もう誰にも媚びない ~裏切られた私の、二度目の人生

11.3k 閲覧数 · 連載中 · 神楽
前世の私は、有岡家で最も虐げられた「落ちこぼれお嬢様」だった。
執事の娘・西川安菜を哀れんで手を差し伸べた結果は、地獄。
兄たちの愛を奪われ、文字通り血を吸い尽くされ、体重は40キロを切った。
追い詰められた私は、絶望のまま窓から身を投げた。
死に際の一言は……「で? これから安菜の輸血はどうするの?」という皮肉。
……のはずだったのに。
目を覚ますと、私は三年前——安菜が泣きつかれてきた「あの日」に戻っていた。
可哀想なフリをする彼女を見つめ、私は笑った。
もう二度と、優しさなんて見せない。媚びもしない。
“親切”に立ち振る舞い、彼女を使用人部屋へ追いやって自立させてあげることにした。
彼女ばかり庇うお兄様たちの機嫌取りも、もう終わりだ。
かつて尽くしまくった元婚約者・石野星紀なんて、視界に入れる価値すらない。
勘違いしないで。
今の私は、ただの「有岡家のお嬢様」じゃないんだから——。
溺愛令嬢の正体は、まさかの霊能界トップ!?

溺愛令嬢の正体は、まさかの霊能界トップ!?

323.1k 閲覧数 · 連載中 · 朝霧祈
原口家に取り違えられた本物のお嬢様・原田麻友は、ようやく本家の原田家に戻された。
──が、彼女は社交界に背を向け、「配信者」として自由気ままに活動を始める。
江城市の上流社会はこぞって彼女の失敗を待ち構えていた。
だが、待てど暮らせど笑い話は聞こえてこない。
代わりに、次々と大物たちが彼女の配信に押しかけてくるのだった。
「マスター、俺の命を救ってくれ!」──某財閥の若社長
「マスター、厄介な女運を断ち切って!」──人気俳優
「マスター、研究所の風水を見てほしい!」──天才科学者
そして、ひときわ怪しい声が囁く。
「……まゆ、俺の嫁だろ? ギュってさせろ。」
視聴者たち:「なんであの人だけ扱いが違うの!?」
原田麻友:「……私も知りたいわ。」
今さら跪いても遅い

今さら跪いても遅い

20.3k 閲覧数 · 連載中 · ショコラ風味
5年間の結婚生活を壊したのが、1通の親子鑑定書だとは夢にも思わなかった。

自分が手塩にかけて育てた息子は、夫が元カノとの間に作った子供だった。さらにあり得ないことに、父子は最初からその事実を知っており、結託して彼女に隠していたのだ。

それだけではない。彼女はドアの隙間から、夫の計画を親の耳で聞いてしまう。元カノが戻ってきたら、彼女を「体面よく」会社から退職させ、財産を一切渡さずに追い出し、5000万の「補償金」で済ませようというのだ。

5000万?彼女が一人で支えてきた会社で、彼女の金と人脉を使って夫の尻拭いをしてきた結果が、たったのそれだけ?

絶望した彼女は、自分のすべてを取り戻すと誓う。

恩知らずの息子? もう愛さない。初恋に狂う夫? 彼も消え失せろ。

だが、彼女が本当に離婚して完全に去ったとき、あの父子は再び彼女に家に帰ってきてくれと泣きついてきた!
「もう一度だけチャンスをくれ」

今度の彼女は、一瞥さえくれなかった。
極品の入り婿

極品の入り婿

2.1k 閲覧数 · 連載中 · 佐藤製作所
彼が財産を相続して戻ってきた時、かつて彼を見下していた人々は彼の前にひざまずくしかなかった。
二度目はない 動じず咲く

二度目はない 動じず咲く

174.5k 閲覧数 · 完結 · Gloria Fox
結婚式の一ヶ月前、私は一年かけて自らの手で縫い上げたウェディングドレスを燃やした。

婚約者は身ごもった愛人を腕に抱き寄せたままそこに立ち、私を鼻で笑っていた。「俺がいなきゃ、お前なんて何の価値もない」

私はきびすを返し、この街で最も裕福な男の扉を叩いた。「ロック氏、政略結婚にご興味はおありですか? 千億ドル相当の株式――それに加え、未来のビジネス帝国も無料でお付けいたしますわ」
離婚後、奥さんのマスクが外れた

離婚後、奥さんのマスクが外れた

331.2k 閲覧数 · 連載中 · 来世こそは猫
結婚して2年後、佐藤悟は突然離婚を申し立てた。
彼は言った。「彼女が戻ってきた。離婚しよう。君が欲しいものは何でもあげる。」
結婚して2年後、彼女はもはや彼が自分を愛していない現実を無視できなくなり、過去の関係が感情的な苦痛を引き起こすと、現在の関係に影響を与えることが明らかになった。

山本希は口論を避け、このカップルを祝福することを選び、自分の条件を提示した。
「あなたの最も高価な限定版スポーツカーが欲しい。」
「いいよ。」
「郊外の別荘も。」
「わかった。」
「結婚してからの2年間に得た数十億ドルを分け合うこと。」
「?」
隠された天才:裏の顔が多すぎて、気づけば世界のトップを震撼させていた件

隠された天才:裏の顔が多すぎて、気づけば世界のトップを震撼させていた件

30.8k 閲覧数 · 連載中 · たけの
私の名前は江川莉奈。

育ての親の一家に家を追い出されたあの日、私は微笑みを浮かべながら、奴らが施しとしてよこした金をゴミ箱へと投げ捨てた。

誰も想像すらできないだろう。この私が、数々の名門貴族や権力者たちが大金を積んで列をなし、首を長くして診察を待つ伝説の名医——【暁】だなんて。

私が時価総額数十億ドルのファッション帝国を裏で支配していることも、ウォール街の株価をたった一回の取引で大暴落させられることも、誰も知らない。私はその正体を、この平凡で冴えない素顔の裏にすべて隠し持っていた。

さらに劇的なことに、私の実の親はこの街で頂点に君臨する最高峰の大富豪だった。

そして私の婚約者——すでに顔を合わせているにもかかわらず、その正体を知らなかったあの男こそ、この街の誰もが名前を聞くだけで震え上がる、ビジネス界の冷酷な死神:梅原晴琉だったのだ。

ある日、彼は私の手を執り、ゆっくりと距離を詰めると、耳元で低く囁いた。

「俺のこの鼓動、今なら感じられるか?」

私は至って真面目な顔で彼の胸に手を当て、大真面目にこう返した。

「心拍数は確かに少し高めですが、非常に健康的です。心配ありませんよ」

彼は一瞬呆気にとられ、それからふっと吹き出した。その瞬間の彼の笑顔に、私の心臓もなぜかドクンと跳ねた。それは、自分自身でも説明のつかない初めての衝動だった。

だが、彼が私の真実に一歩ずつ近づくにつれ……私の心は揺らぎ始めている。自分の最後の秘密を、あとどれくらい隠し通せるのだろうか。

外されるはずのなかった仮面——。だが、あの人が執拗にその霧を剥ぎ取ろうとするとき、私は一体どこへ向かえばいいのだろう?
舐めるつもり?なら、思い知らせてあげる

舐めるつもり?なら、思い知らせてあげる

52.5k 閲覧数 · 連載中 · 桜井 ゆい​
18年間、自分が実の娘でないとは知らずに生きてきた。ある日、荷物をすべて玄関の外に放り出され、街角に立ち尽くす私の前に現れたのは、噂では極貧だという「生家」から迎えに来た、見たこともない「兄」。

ところが、その兄が乗ってきたのはトラクターだった。

ガタガタと揺れるトラクターがたどり着いた先は、まるで古城のような大邸宅。そこで私は思い知る。本当の家族のもとに引き取られた私は、貧しくなるどころか、前よりずっと裕福になっていたのだ。

……だが、ちょっと待ってほしい。なぜ私には突然、婚約者というものが存在するのか。しかもその相手は、私の大学の教授だという。誰か、説明してくれないだろうか。
今さら跪く元夫を置き去りに、大富豪の甘い執着愛が始まりました

今さら跪く元夫を置き去りに、大富豪の甘い執着愛が始まりました

11.9k 閲覧数 · 連載中 · 桜井 ゆい​
夫は私を、別の男のベッドへ差し出した。
あの男にとって、私は自分の出世や欲望のために利用する「モノ」でしかなかったのだ。

だが、あの男は夢にも思っていなかった。
自分がゴミのように投げ捨てた贈り物が、この国で最も恐れられ、最も力を持つ男の「かけがえのない愛する人」になるなんて。

やがて絶望を知り、私の前に跪いて許しを乞う元夫。
その惨めな姿を見下ろす私を、最高峰の男が背後から抱き寄せ、耳元で低く甘く唸った。

「俺の子供を身ごもっておきながら、一体どこへ行こうというんだ?」

――捨てられた妻の反撃と、逃げられない絶対的な愛が、ここから始まる。
マフィア姫の帰還

マフィア姫の帰還

56.6k 閲覧数 · 完結 · Tonje Unosen
タリアは何年ものあいだ、母と義理の妹、そして継父と暮らしてきた。だがある日、ついにそこから逃げ出すことに成功する。

ところがその直後、自分にはまだ外に家族がいるのだと知る。そして本当に自分を愛してくれる人たちが大勢いることも――そんなものは今まで感じたことがなかった。少なくとも、彼女の記憶にあるかぎりでは。

タリアは人を信じることを学ばなければならない。新しくできた兄たちにも、ありのままの自分を受け入れてもらわなければならないのだ。
不倫夫を捨て、私は大富豪の妻になる

不倫夫を捨て、私は大富豪の妻になる

359.9k 閲覧数 · 連載中 · 七海
人生最良の日になるはずだった、結婚式当日。
新郎の車から出てきたのは、見知らぬ女の派手なレースの下着だった。

しかも、その布切れにはまだ。生々しい情事の痕跡が残されていた。

吐き気がするほどの裏切り。
幸せの絶頂から地獄へと突き落とされた私。

けれど、泣き寝入りなんてしてやらない。
私はその場でウェディングドレスの裾を翻し、決意した。

「こんな汚らわしい男は捨ててやる」

私が選んだ次の相手は、彼など足元にも及ばない世界的な億万長者で?