彼が殺したのは、本当の息子だった

彼が殺したのは、本当の息子だった

渡り雨 · 完結 · 20.4k 文字

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紹介

私の夫、中島秀樹(なかじま ひでき)は、Z市で最も権力を持つヤクザのボスだ。

彼はかつて、「お前と息子の聡(さとし)は、命に代えても守り抜く」と私に誓ってくれた。

あのサッカーの試合の日までは。
夫の敵対組織が競技場を襲撃し、聡をかばった私の腹部は銃弾に貫かれた。それでも聡は三発の銃弾を浴び、血の海に倒れ込んだ。

駆けつけた秀樹はその場で襲撃者を制圧し、私たちを彼が所有する私立病院へと緊急搬送した。

病室で、激痛により私はふと意識を取り戻した。彼を呼ぼうと口を開きかけたその時、夫と部下の会話が耳に飛び込んできた。

「ボス、腎臓を一つ取るだけの話じゃなかったんですか? なぜ聡の命まで……知佳(ちか)さんのほうは——」

「知佳は腹を撃たれただけだ、命に別状はない」秀樹の声は背筋が凍るほど冷酷だった。「俺が七年間も聡を育ててきたのは、すべて今日この日のためだ。逸人(はやと)が腎臓の移植を終えた今、あいつを生かしておけば、逸人の後継者の座を脅かす火種になるだけだ」

「何しろ……俺が本当に愛している息子は、逸人だけだからな」

その瞬間、私はすべてを悟った。競技場での銃撃は敵対組織の報復などではない——彼自身が仕組んだ殺人だったのだ。私の息子の命を犠牲にして、愛人の息子の命を救うために。

だが、彼は永遠に知ることはないだろう——

逸人が、彼の実の子などではないということを。

チャプター 1

知佳の視点

「失血が酷い! 血圧、まだ下がってます!」

 医師の声が警報のように、薄れゆく私の意識の中で弾けた。

「クソッ! 絶対に助けろ!」

 秀樹の怒号だ。

 目を開けようとしたが、瞼が鉛のように重い。呼吸をするたび、腹部の傷口が引き裂かれるように痛んだ。

「中島さん、今すぐ輸血が必要です! RHマイナスが少なくとも六単位は!」

「ボス」部下の佐々木の声だ。

「先月東欧から密輸したあの血が――」

「駄目だ!」秀樹が遮る。

「あれは美愛のためのものだ。来月出産を控えてるんだ、万が一の事態は避けたい」

 心臓が、ぎゅっと鷲掴みにされた。

「ですが、奥様の容態の方が遥かに危険です!」医師が声を荒らげた。

「逸人も移植手術を終えたばかりで、予備の血が要るんだ!」

「美愛様のご出産まではまだ四週間あります、新たな血液を手配する時間は十分に! 逸人坊ちゃんも経過は良好で、血液など全く必要ありません! しかし奥様は、今すぐ輸血しなければ今夜を乗り切れません!」

 死のような静寂。

 次いで響いたのは、銃の撃鉄を起こす冷たい金属音。

「黙れ。今ある血でこいつを救え。もし死なせたら、お前も道連れだ」

「つ、尽力します……」

 彼は私が死ぬリスクを冒してでも、あの女とその息子の安全を優先したのだ。

 聡……私の宝物……お母さん、ごめんね……

 暗闇が潮のように押し寄せ、すべてを呑み込んでいった。

            *

 目を覚ますと、白々しい天井が視界を刺した。

 腕を上げる気力すらない。手の中に何か冷たいものが食い込んでいる――私は震える指を、どうにか開いた。

 聡の、サッカーのメダル。

 金色の表面には、どす黒く乾いた血がこびりついていた。

「お母さん、僕絶対に勝つよ! この金メダル、お父さんの誕生日プレゼントにするんだ!」

 聡の弾んだ声が耳の奥で蘇る。それは試合前日の朝のことだった。真新しいユニフォームに身を包み、彼の目は星のように輝いていた。

「僕が一番活躍したら、お父さんも、逸人お兄ちゃんみたいに僕のこと愛してくれるよね?」

 ああ、私の可哀想な宝物。

 あんなにお父さんに愛されようと頑張っていたのに、あの悪魔が自分の命を狙っていることなど、知る由もなかったのだ。

 血塗られたメダルを見つめながら、私は声もなく涙をこぼした。

「聡……私の子……」

 息が詰まるほど苦しい。激しい痙攣の波が全身を襲い、私は身を裂かれるような慟哭を上げた。

 起き上がりたい。息子を探しに行きたい。しかし腹部の傷が引き裂かれるように痛み、私はベッドに力なく倒れ込んだ。

 記憶が、鋭い刃となって脳裏に突き刺さる。

 美愛は秀樹の初恋の相手であり、かつて彼が『一目惚れした』女だった。その後別の男に嫁いだはずの彼女は、五年前、病気を抱えた息子の逸人を連れて彼の前に現れた。病気の子を一人で育てるシングルマザーに、ただ同情しただけ。秀樹は私にそう言った。

 私はその言葉を、馬鹿みたいに信じ切っていた。

 この数年間、秀樹はずっと逸人のためのドナーを探し続けていた。中島組の闇市場での影響力、このZ市の裏社会を牛耳る権力をもってすれば、適合する腎臓など見つからないはずがない。

 だが、彼が美愛にこう囁くのを聞いたことがある。

『あんな臓器じゃ完璧とは言えない。俺は、逸人に最も相応しいものを待っているんだ』

 彼が待っていたもの。

 それは、私の息子の腎臓だったのだ。

 突然、ドアが開いた。

 秀樹が入ってきた。その顔には、悲哀と罪悪感が張り付いている。

「知佳、気がついたか……神に感謝する」彼はベッドの傍らに歩み寄り、私の手を握ろうとした。

 私はありったけの力でその手を振り払った。

「触らないで! この人殺し!」

 激痛に耐えながら無理やり上体を起こし、ナイトテーブルの上にあったハサミへと手を伸ばす。こいつを殺す。刺し違えてでも――

 だが、彼はあっさりと私の手首を掴み、再びベッドに押さえつけた。

「知佳、辛いのは分かる。だが落ち着け……」低く沈んだ声。

「俺が悪かった。俺が、俺たちの息子を守り切れなかったんだ」

「野口組のクソどもには、既に代償を払わせた。実行犯の指を俺がこの手で一本ずつ切り落とし、ワニの餌にしてやった」

 私は彼を死に物狂いで睨みつけた。

「聡は? 聡はどこなの? あの子に会わせて!」

 秀樹はふっと視線を逸らした。

「知佳……聡はもう、荼毘に付した」

「何ですって!?」私の声は惨めにひび割れた。

「あの子はまだ……どうしてそんな……」

「お前のためだ」彼が言葉を遮る。

「今の状態のお前に、聡の遺体を見せるわけにはいかない。耐えられないだろう。それに組のしきたりで、死者は早急に埋葬しなきゃならない。敵に目をつけられるからな」

 嘘だ! 全部でたらめだ!

 遺体を急いで焼いたのは、聡の胸を切り裂き、腎臓を奪った証拠を隠滅するためだ!

 最後に一目顔を見ることも、抱きしめる機会すらも、私から奪い取った……!

 私はベッドに崩れ落ち、ただ声を上げて泣き叫ぶことしかできなかった。

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そして――彼らの全財産すら小銭に思えるほどの『真の巨大財閥の後継者』であることを。

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