紹介
今でも鼻の奥にこびりつくカビの臭い。冷たい鎖。暴力。私を“動物”として扱った看守たち。
地獄のような日々で、唯一の光は黒木直樹だった。
彼は看守の一人でありながら、こっそりとパンを差し入れ、囁いてくれたのだ。
「頑張れ、コリン。僕がついている」と。
――だから、脱出の夜。私は彼を撃った。
床に血を流す彼を、振り返らずに置き去りにした。
そうしなければ、私は“西園寺古里”に戻れなかったから。
安川大学への合格通知。輝かしい未来。
八年ぶりに取り戻すはずだった、私の人生。
しかし、そこに“私”の居場所はなかった。
私の名前、私の成績、私の未来。
そのすべてを、義理の妹が手に入れていたのだ。
両親は偽物の私(妹)に誇らしげに微笑みかける。
「お前を誇りに思うよ、愛しい娘よ」と。
絶望に凍り付く私の目に、信じられない光景が映る。
偽物の妹の隣で、完璧なエリートとして微笑む男。
――黒木直樹。
デザイナーズスーツに身を包む彼は、もうあの地下室にいた少年ではない。
だが、あの瞳は忘れない。
かつての鈍い灰色ではなく、今は鋭く、すべてを計算し尽くした冷たい光を宿して、私だけをじっと見つめている。
見つかった。
あの地獄から逃げるために、唯一の優しさだった彼を裏切ってまで手に入れた自由だったのに。
ねえ、直樹。
あなたは復讐しに来たの?
それとも――私をもう一度、あなただけが鍵を持つ“檻”に引き戻しに来たの?
チャプター 1
西園寺古里視点
ソファに座り、分厚い封筒を手に取る。太陽の光を浴びて、安川大学の校章がきらりと光っていた。
手が震えていた。
緊張からじゃない。純粋な興奮からだ。SATで満点の1600点。やった。本当に、やったんだ。
封筒を破り開けた瞬間、「合格おめでとうございます……」という一文が目に飛び込んできて、思わず叫びそうになった。二階にいる誰かに聞こえないように、慌てて口を手で覆う。ほんの数秒でも、これは私の、私だけの瞬間だった。
この家では、あまりにも長い間、自分だけの時間なんて持てなかった。
「古里?何してるの?」
義理の姉である早川真井の声が、いつもの焦れたような響きを帯びて階段から降ってきた。私は急いで合格通知をシャツの中に押し込んだけど、間に合わなかった。彼女はもう私の目の前に立って、私を見下ろしていた。
「またくだらない郵便物?」
彼女は呆れたように目を回す。
「それとも、どっかの三流大学があなたから金をだまし取ろうとしてるわけ?」
私は深呼吸して、声を震わせないように努めた。
「安川大学に、合格したの」
その言葉が口から出た途端、リビングは恐ろしいほど静まり返った。早川真井は一瞬固まったかと思うと、甲高い笑い声を上げた。
「夢でも見てるんじゃないの、古里。あんたなんて三流大学にすら入れないのに、安川大学ですって?」
彼女は体を二つに折るほど笑い転げた。
「まったく、いつからそんなに妄想がひどくなったわけ?」
説明したかった。証拠として合格通知を突きつけたかった。でも、早川真井はもう背を向けて階段を上り始めていた。去り際に、彼女はこう言った。
「ねえ、現実を見なさいよ。誰もが私みたいに優秀なわけじゃないんだから」
私はその場に座ったまま、彼女のシルエットが階段の角に消えていくのを見ていた。手の中の合格通知が、急にずしりと重くなった。まるで私の甘さを嘲笑っているかのように。この家では、私が何を言っても信じてもらえない。
たとえ、それが真実だったとしても。
六時ちょうど、お父さんとお母さんが定刻通りに帰宅した。夕食の時に安川大学の話を切り出そうと計画していたのに、私が口を開くより先に、早川真井の興奮した叫び声がリビングに響き渡った。
「お母さん!お父さん!これ見て!」
私が二人の後を追ってリビングに入ると、早川真井がスマートフォンを掲げていた。画面にはティックトックの動画が表示されている。彼女の声は興奮に震えていた。
「私の動画、再生回数が二百万回を突破したの!」
お母さんがそのスマホを受け取ると、途端に目を見開いた。
「あら、真井!これは何?」
私も覗き込むようにして画面を見て、心臓が止まりそうになった。
画面に映っていたのは、私のSATの成績証明書。満点の1600点という数字がはっきりと見える。しかし、キャプションにはこう書かれていた。
「ついに満点取っちゃった!安川大学、待っててね! #成績優秀 #満点女子」
「それ、私の成績証明書よ!」
私はほとんど叫ぶように言った。
でも、誰も聞いていなかった。お母さんはすでに喜びの涙を流し、早川真井をきつく抱きしめていた。
「私の可愛い娘、安川大学ですって!本当に私たちの誇りよ!」
お父さんはシャンパンを探しに酒棚をごそごそと漁り始めた。
「お祝いをしなくちゃ!うちの娘は天才だ!」
「お父さん、それは私の――」
「古里」
お父さんは私の言葉を遮った。
「真井は昔からずっと優等生だった。お前も姉さんを見習うんだな。あの子は小さい頃から特別だったが、お前は……」
父は最後まで言わなかったけれど、その意味は明らかだった。お前は何の価値もない、と。
私はその場に立ち尽くし、彼らが私の功績を祝ってシャンパンの栓を抜き、早川真井を誇らしげに見つめるのをただ見ていた。駆け寄ってそのスマホを奪い取り、真実を大声で叫んでやりたかった。でも、何かが喉に詰まって、一言も発することができなかった。
「それは、私の成績証明書……」
私の声は、かろうじて聞き取れるほど小さかった。
早川真井は私を一瞥し、その目に勝利の色を浮かべた。
「妹がまた意味不明なこと言ってるわ。私が羨ましいのね、いつものことよ」
それから彼女は言葉を切り、急に声が鋭くなった。
「あそこから逃げ出してきてから、あの子はずっとおかしいのよ」
リビングは再び静まり返った。すべての視線が私に向けられる。心配ではなく、苛立ちと嫌悪に満ちた視線だ。まるで十年前の、あの見捨てられた幼い少女に逆戻りしたような気分だった。
私は踵を返し、自室へと逃げ込んだ。
真夜中、ベッドに横たわると、部屋の中にはスマートフォンの微かな光だけが灯っていた。もう一度あの動画を見たいとは思わなかったのに、まるで呪文にかけられたかのように、気づけば早川真井のティックトックのプロフィールを開いていた。
再生回数二百万回、いいね五十万件、コメント十万件。
私の功績が、彼女の栄光に変わっていた。
コメントをスクロールし始めると、そのほとんどが賞賛と羨望の声だった。
「すごい!」
「まさに天才!」
「私も満点取れたらなあ!」
一つ一つのコメントが、ナイフのように私を切り刻んだ。
そして、それを見つけた――血の気が引くようなコメントを。
「また会えて嬉しいよ、コリン」
スマートフォンが手から滑り落ちそうになった。私はその言葉を凝視した。心臓が胸から飛び出しそうなくらい激しく鼓動していた。
コリン。
この二年間、彼以外にそのニックネームで私を呼ぶ者はいなかった。
記憶が津波のように押し寄せてきた。暗い地下室、鎖の音、そして私の耳元で「コリン」と囁く、あの優しい声。
黒木直樹。
ヤクザのボスの、目の見えない息子。あの地獄のような場所で、私に唯一優しさを示してくれた人。他の誰もが私を所有物のように、道具のように扱う中で、彼だけが真夜中に話しかけてくれ、外の世界がどんなものかを教えてくれた。
彼の目は見えなかったけれど、私の声に含まれる恐怖と絶望を聞き取ることができた。彼は優しく私の髪を撫でながら言った。
「大丈夫だよ、コリン。いつかここから出られる」
でも、私は彼を裏切った。
逃げ出したあの夜、私は彼の安全よりも自分の自由を選んだ。あの大きな銃声と、彼が倒れる時の苦しげなうめき声を覚えている。私は振り返らなかった。ただ走った。命がけで。
彼は死んだと思っていた。
あの秘密は、土の中に永遠に埋もれたのだと。
しかし今、このコメントは彼が生きていることを告げていた。そして、彼は私を見つけ出した。
震える手で、私は閲覧履歴を削除し、スマートフォンの電源を切った。だが、暗闇の中でも、あの言葉が目の前で点滅しているのが見えた。
これは偶然じゃない。ありえない。
黒木直樹は私がここにいることを、私の今の生活を、そして早川真井が私の功績を盗んだことさえ知っている。彼は私に見えないどこかから、静かにすべてを観察しているのだ。
彼がかつて言った言葉を思い出した。
「借りたものは、返さないとね、コリン」
その時は、冗談だと思っていた。
今、彼が本気だったことを知った。
夜風の音が窓から聞こえてきたが、私にはそれが地獄からの呼び声のように聞こえた。頭から布団を被り、記憶を遮断しようとしたが、次から次へと思い出が蘇ってくる。
黒木直樹の声、彼の優しさ、彼の痛み、そして私が逃げ出した時に置き去りにしてきた、途方もない罪悪感。
忘れたと思っていた。やり直せる、普通の女の子になれると思っていた。
でも、借りは時と共に消えはしない。
そして、債権者がついに取り立てに来たのだ。
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初恋よ、引き下がれ!
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夫の浮気が発覚したのは、相手の女が病院に運ばれたからだった。二人の行為があまりに激しかったせいだという。
そして、何よりも私を打ちのめしたのは、その相手が――私の実の妹だったという事実だ。
その瞬間、心臓を煮えたぎる油に放り込まれたような、耐え難い激痛が全身を貫いた。
追放された偽物の娘、その正体は最強でした
あの子が現れたその日、私は『偽物の娘』として家を追い出された。
渡されたのは、わずかな小銭と地方行きの片道切符だけ。
さらに婚約者は私をゴミのように捨て、その日のうちに『本物』であるあの子にプロポーズした。
……上等じゃない。せいぜい勝った気でいればいいわ。
だって彼らは、私の【本当の顔】を何一つ知らないのだから。
名門病院が見放した命を救う『天才外科医』。
オークションで数億円の値を叩き出す『伝説の画家』。
裏社会の闘技場で無敗を誇る『影の女王』。
そして――彼らの全財産すら小銭に思えるほどの『真の巨大財閥の後継者』であることを。
今さら元婚約者が土下座で許しを請おうと、本物の娘が嫉妬で狂いそうになろうと、もう遅い。
かつて私に婚約破棄の書類を叩きつけた冷酷で傲慢なCEOでさえ、今や何かに取り憑かれたように私を追い回し、「もう一度だけチャンスをくれ」とすがりついてくる始末。
私を捨てて、自分たちの人生を『アップグレード』したつもり?
笑わせないで。最初から、圧倒的に上の存在だったのは私のほうよ。
令嬢の私、婚約破棄からやり直します
婚約まで二年、そして結婚まで更に二年を費やした。
だが長谷川冬馬の心の中で、彼女は幼馴染の市川美咲には永遠に及ばない存在だった。
結婚式の当日、誘拐された彼女は犯される中、長谷川冬馬と市川美咲が愛を誓い合い結婚したという知らせを受け取った。
三日三晩の拷問の末、彼女の遺体は海水で腐敗していた。
そして婚約式の日に転生した彼女は、幼馴染の自傷行為に駆けつけた長谷川冬馬に一人で式に向かわされ——今度は違った。北野紗良は自分を貶めることはしない。衆人の前で婚約破棄を宣言し、爆弾発言を放った。「長谷川冬馬は性的不能です」と。
都は騒然となった。かつて彼女を見下していた長谷川冬馬は、彼女を壁に追い詰め、こう言い放った。
「北野紗良、駆け引きは止めろ」
「もう疲れた」不倫夫を捨て、自由になる
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二人は人目もはばからず、濃厚な口づけを交わしていた。
夫の腕の中にいる女は、潤んだ瞳で彼を見つめている。一見すると純情そうだが、その眼の奥には私への明らかな悪意が潜んでいた。
妻である私は、ただその場に立ち尽くすしかなかった。
爪が掌に食い込み、血が滲む。
けれど、手の痛みより、引き裂かれた心の痛みのほうが遥かに強かった。
冷たい風が、私の髪を揺らす。
その瞬間、ふと強烈な疲れを感じた。
ああ、もういいや。
5年間の結婚生活。
私は彼を許すのをやめ、自分自身を解放することにした。
名門貴族との甘い結婚
その男性こそ、ホワイトシティ一の大富豪だったのだ。













