紹介
今夜は彼の会社が百件目のM&A成約を祝う夜だ。そして、彼が私を市役所に連れて行くと約束した十七回目でもある。
だが、個室の宴会場で、酔っ払った嫌な取引先が図々しくも私の腕を掴んで一緒に飲もうとしつこく迫っているとき、修は新人アシスタントの永井久留美を酒から守るのに必死だった。
「恵美ちゃん、早く、この一杯を飲め! じゃないと俺を馬鹿にしてるってことだぞ!」取引先の手が私の肩に乗り、脂ぎった指が鎖骨をかすめそうになる。
私は本能的に、あちこちで響く乾杯の声の合間を縫って、修に助けを求める視線を送った。
私たちの目が合ったのは一秒にも満たない。
そして彼は身体を翻し、笑顔で久留美の手からグラスを受け取った。「彼女はもう飲めないんです。代わりに僕が飲みます。久留美、ほら、座って。立ってるとふらつくだろう」
久留美は頬を紅潮させ、うっとりとした目で修にそっと寄りかかった。彼女の声は溶けた砂糖のように甘い。「あなたって本当に優しいのね」
チャプター 1
麻生修と付き合って七年、婚約して五年になるが、私たちはまだ入籍していない。
今夜は、彼の会社が百件目のM&Aを成功させた祝賀パーティーの夜。そして、彼が私を市役所へ連れて行くと約束した、十七回目の夜でもある。
しかし貸し切りのレストランで、酔った不快なクライアントが強引に私の腕に絡みつき、一緒に飲もうとしつこく迫ってきているその時、修は後輩アシスタントの永井久留美が酒を飲まされそうになるのを庇うのに必死だった。
「恵美ちゃん、ほら早く、この一杯は飲んでもらわないと! 俺の顔を潰す気か!」
クライアントの手が私の肩に回され、その脂ぎった指先が鎖骨をかすめる。
私は本能的に、絶え間なく響くグラスの音の向こう側にいる修へ、助けを求める視線を送った。
視線が絡み合ったのは、ほんの一秒にも満たない時間。
直後、彼はふいっと向きを直すと、笑みを浮かべて久留美の手からグラスを奪い取った。
「こいつはもう本当に飲めませんから。俺が代わりに飲みましょう。久留美、ほら、ふらつく前に座ってろ」
久留美は頬を桜色に染め、とろんとした瞳でそっと修の傍らに寄り添った。その声は、溶けた砂糖のように甘ったるい。
「先輩、優しすぎますぅ」
周囲にいた同僚たちは、皆一様に首を振った。
その目には、はっきりとした同情の色が浮かんでいる。
私は顔を背け、無理やり笑顔を作ると、グラスの酒を一気に飲み干した。
アルコールが喉を通った瞬間、胃の腑に焼けるような激痛が走る。
宴会が終わる頃には、胃が痛いのか、それとも心が痛いのか、もう自分でも分からなくなっていた。
重い足を引きずってレストランを出る。修が以前口にした言葉――「祝賀会が終わったら、絶対に入籍しよう。今度こそ必ず」――を思い出し、少しだけ気持ちが落ち着いた。
バレーパーキングのスタッフが、エントランスに車を回してくる。
しかし、私がドアハンドルに手を伸ばそうとしたその時、背後からスッと伸びてきた手がドアの縁を押さえた。
「久留美は今夜、俺の代わりにだいぶ飲まされたからな」
修の口調はひどく淡々としていた。
「一人で帰らせるのは心配だ。俺が車で送っていく。お前はタクシーで帰れ」
「今日はもう確実に市役所には行けないな」
彼は私の視線をまっすぐに避けた。
「また後日にしよう」
また後日。来週。今度。
交際して七年、婚約して五年。彼が入籍を先延ばしにするのは、これが十七回目だ。
以前の私なら、間違いなく取り乱して彼と口論になり、本当の婚約者は誰なのかと問い詰めていただろう。
だが今回、私はただ静かに彼を見つめ、薄く微笑んだだけだった。
「分かったわ」
修は一瞬呆然とし、私のあまりの落ち着きぶりに驚いたようだった。だがすぐにいつもの冷ややかな表情に戻り、吐き捨てるように言った。
「埋め合わせに、何かお土産でも買っていくよ」
そう言って、彼は歩き去っていった。
冷たい風に吹かれ、久留美がくしゃみをする。修は即座に自分のスーツのジャケットを脱ぎ、慎重に彼女の肩に掛けた。そして彼女を助手席へとエスコートし、わざわざ身を屈めてドアまで閉めてやったのだ。
彼女が風邪を引かないか、心配でたまらないのだろう。
唐突に、会社を立ち上げたばかりのあの冬を思い出した。
あの夜、私は彼が投資家から最初の資金調達を取り付けるのを手助けするため、胃から出血するまで酒を飲んだ。
午前二時、猛吹雪の中で震える私に対し、修は露骨に嫌悪感を示して鼻を覆い、女の酒臭い息は我慢ならないから近寄るなと言い放った。マフラー一本、貸してはくれなかった。
星見市の夜風が襟元をすり抜け、骨の髄まで冷え切っていく。だが本当に私を凍えさせたのは、胃の中でうねるような激痛の方だった。
私は深く息を吸い込み、何度も折り畳んでは広げた婚姻届を取り出すと、無言のままバッグの奥底へねじ込んだ。
この七年間の関係に、終止符を打つ時が来たのだと悟った。
翌朝、私は人事部長のオフィスに入り、彼女のデスクに退職届を置いた。
「恵美さん?」
人事部長の立花凛が、信じられないという顔で私を見た。
「正気なの? 役員昇格審査がもうすぐ始まるのに。あなたなら絶対に選ばれるわよ!」
「分かっています」
私は静かに答えた。
「修さんはこのこと、知っているの?」
私は無理やり苦笑いを浮かべた。
「折を見て話します。でも彼はおそらく……気にも留めないでしょうね」
凛は深いため息をついた。その声には残念そうな響きがあった。
「恵美さん、あなたと修さんはゼロからこの事務所を立ち上げたじゃない。一番苦しい時期、ずっと彼を支えてきたのはあなたよ。あの厄介なクライアントたちも、徹夜で契約書を修正した日々も――全部あなたが一人で背負ってきたんじゃないの? 今、事務所がようやくトップクラスの仲間入りを果たしたっていうのに、ここを去るなんて……」
彼女は言葉を切り、そして確信に満ちた声で言った。
「修さんは、絶対に後悔するわ」
私は窓の外を見つめ、ぽつりと呟いた。
「もう過ぎたことです。彼が後悔するかどうかは……おそらく、ないと思いますよ」
その夜、私はガランとしたマンションの部屋に帰った。ここに住んで五年になるが、その大半の時間は私一人で過ごしてきた。
スマホの通知音が鳴る。久留美がSNSを更新したらしい。
写真には彩り豊かな手料理がテーブルいっぱいに並べられ、こんなテキストが添えられていた。
「仕事の疲れで胃が痛かったけど、わざわざ胃に優しいご飯を作ってくれる人がいて幸せ。一瞬で治っちゃった!~」
コメント欄は羨望の声で溢れかえっている。その中に「もしかして修さん?」という問いかけがあった。
彼女はそれに対し、頬を赤らめる絵文字だけで返信している。
私はその写真を長いこと見つめ続けた。
この五年間、徹夜明けのたびに、簡単なオートミールのお粥でいいから作ってくれないかと、何度修に頼んだか分からない。
だが彼はいつも面倒くさそうに疲れていると言い放ち、デリバリーを頼めと突き放した。
一度、胃潰瘍が再発した時のことを思い出す。ソファに横たわり、空腹で胃が痙攣するほどの痛みに耐えながら、少しでいいからお粥を作ってほしいと頼んだ。
彼の返事はこうだった。
「自分でデリバリーでも頼めよ」
料理の匂いが嫌いだから、一生台所には立たないと、彼はかつて私にそう言った。
結局のところ、彼が料理をできないわけでも、時間がないわけでも、料理が嫌いなわけでもなかったのだ。ただ単に、私が彼にそこまでさせる価値のない女だったというだけのこと。
今夜帰ると約束したあの男は、もう二度とこのドアをくぐることはないだろう。なにしろ、こんなことは今までにも数え切れないほどあったのだから。私はそう確信していた。
スマホをロックし、ノートパソコンを開く。画面にはヘッドハンターからのメールが十数通並び、どれもトップ企業からのオファーばかりだ。
私の視線は、青葉市から届いた一通のオファーレターで止まった。
青葉市。
三年前、修がビジネス紛争の案件を担当した際、相手側は青葉市に強いコネクションを持つ一族だった。彼は事務所のエントランスで待ち伏せされ、同僚たちの目の前で七ヶ所も刺されたのだ。
一ヶ月間の入院生活。彼の右目には、生涯消えない後遺症が残った。
それ以来、青葉市は彼にとって絶対的なタブーとなった。彼自身が足を踏み入れることを拒絶し、私が現地の案件を引き受けることも決して許さなかった。
私はそのメールを開き、一切の躊躇なく承諾のボタンをクリックした。
そして、二日後に青葉市へ向かうフライトを予約する。
「修」
私はため息のようにかすかな声で呟いた。
「私が青葉市へ行けば、私たちはもう本当に、二度と会うことはないわね」
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