彼は全員を殺し、私だけを見逃した

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渡り雨 · 完結 · 19.1k 文字

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紹介

18歳の年、私は連続殺人犯に追い詰められた。息も詰まるような三十秒の間、私は彼の耳元である一言を囁いた。

その言葉によって、悪魔は笑みを浮かべながら私を見逃したのだ。

数年後、犯人はついに法に裁かれた。一人の記者が血の匂いを嗅ぎつけた鮫のように執拗に付きまとい、あの夜の真相を明らかにしようとしていた。

彼が私のアトリエに足を踏み入れた、まさにその瞬間、私は突如として悟った。

あの日、私の命を救ったあの言葉は、実は二十年越しに成就する予言だったのだと。

チャプター 1

 東京拘置所。

 連続殺人鬼、神谷朔。

 警察の取り調べに対し、その態度は奇妙なほど落ち着き払っていた。

 東京近郊の団地で犯した一連の凶行について、彼は淡々と供述した。記憶が鮮明な細部に関しては、思案する素振りさえ見せなかった。

 彼曰く、単身の女性と遭遇し、かつ自身が「機が熟した」と判断すれば、必ず手にかけていたという。

 ただし、たった一度の例外を除いて。

 2000年の大晦日。彼は18歳の美術予備校生を見逃していた。

 その後の聴取で、この「気まぐれな良心」が死刑判決を覆す材料にはなり得ないと悟ると、神谷朔はこの話題への関心を失った。執拗な追及に対し、彼は「除夜の鐘が聞こえたから」「年越しのタイミングで気分が変わった」などと、適当な理由を並べてはぐらかすだけだった。

 神谷朔の死刑執行後、「唯一の生存者」を巡る議論はネット上で爆発的に拡散した。

 フリージャーナリストの三沢隼人は、『平成の闇ファイル』なる特番を企画し、真相の解明に乗り出した。

 ネット民の推測は単刀直入だ。神谷朔のような人間が、鐘の音ごときで手を止めるはずがない。あの生存者と彼の間には、知られざる密約があったに違いないと。


 私は、椎名澪。

 現在はある芸術大学の准教授を務め、『彼岸の女』という絵画でその名を知られるようになった。長年、メディアの取材は一切拒絶し、「生存者」としての過去については固く口を閉ざしてきた。だが、今のネット社会における特定班の執念は、私の個人情報さえも暴き立てた。

 神谷朔が私を見逃した本当の理由。それを知るのは、私と彼だけ。

 2000年の大晦日、あの古びたアパートで、神谷朔の手が私の首にかかった瞬間、私はある言葉を口にした。

 その一言が、彼の手を止めさせたのだ。


「これは国民の知る権利に関わることです。それに、他の潜在的な被害者のためでもある」

 私の前に立ちはだかったのは、三沢隼人。例のドキュメンタリー制作のため、もう一ヶ月以上も私につきまとっている男だ。

「あれはただの、ありふれた犯罪よ」

 私は彼を見据え、冷たく言い放つ。

 三沢は引かなかった。私の目を真っ直ぐに覗き込む。

「取材を受けてくれるなら……あの夜に何があったのか教えてくれるなら、俺は何でもします」

 その言葉に、私の足が止まった。

 目の前の男を見る。素材として消費されるのは反吐が出るほど嫌いだが、真相のためなら全てを投げ打つその執着心に、私は微かな興味を覚えた。

 午後、助手から電話が入った。

「准教授、あの三沢という記者ですが、今日チケットを買って美術館に入りました」

「彼、何をしたの?」

「いえ、何も。ただ准教授の代表作、『彼岸の女』の前で長いこと立ち尽くしていました。あの目は……なんというか、特別でした。まるで絵の中に囚われているような」

 スマホを握りしめたまま、私は数秒の沈黙を落とす。

 なるほど。そうか、なるほど。

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絶望の中で目にしたのは、かつて母が手にした科学界の最高栄誉であるトロフィー。
その輝きが、私に本来の自分を思い出させた。

私はエプロンを脱ぎ捨て、白衣を纏う。
もう誰かの妻でも、母でもない。一人の科学者として、世界を驚かせるために。

数々の賞を総なめにし、頂点に立った私を見て、元夫は顔面蒼白で崩れ落ちた。
震える声で私の名前を呼び、足元に縋り付く彼。

「行かないでくれ……君がいないと、俺は……」

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